世界を救ったワクチン生みの親ジェンナー、その記念館がコロナ禍で苦境に

「近代ワクチン接種法が生まれたところ」とそこは呼ばれる。
今から220年余り前。イングランドの小さな村で、村民たちが木造小屋の前に列をつくった。順番に中に入ると、手術用のメスで腕の皮膚を少し切られた。そして、天然痘に対する初めてのワクチンが接種された。
先駆的なこの予防接種を実施したのは、地元の医師エドワード・ジェンナーだった。自宅の庭にあるこの質素な小屋を「ワクシニア(牛痘)の神殿」と呼んだ。ここから世界に広がった公衆衛生のうねりは、1980年にはついに天然痘の根絶宣言となって実を結んだ。
ところが、今、節くれ立った板壁が目に付くこの小屋から、新たな苦難が生まれている。
ジェンナーの自宅は、小屋がある庭とともにその偉業を伝える「Dr. Jenner's House, Museum and Garden(ジェンナー博士の家、博物館と庭=以下、記念館)」として残っている。世界が新型コロナワクチンの普及を急ぐ中で、ジェンナーの功績は幾度となく語られるようにもなった。
しかし、記念館の事業は、存亡の瀬戸際に立たされている。来館者を迎え入れるドアは、閉ざされたままだ。将来の見通しも、定かではない。
「問題は、この国の博物館や記念館が、長年にわたって慢性的な資金不足に陥っていたことにある」。記念館の支配人オーウェン・ガワーはこう指摘する。「新型コロナは、さまざまな問題を浮き彫りにしたが、これもまさにその一つということだろう」
この記念館は、英国内に数多くある独立した文化遺産保存施設の一つだ。こうした施設は、いずれも2020年に運営の危機に見舞われるようになった。コロナ禍で来館者が途絶え、主な財源の一つとなってきた入場料収入を失ったからだ。
一部の施設は、(訳注=コロナ禍が一時下火になった)20年の夏から秋にかけて数カ月間は開館した。しかし、ジェンナー記念館を含む多くは、限られた予算しかなく、狭い場所に必要となる新型コロナ対策をとれずに閉館したままだった。
来館者のゲストブックを少しめくれば、最後の記帳が20年2月だったことが分かる。終わりの方の名前の一つには、絵が付いている。スパイクがいくつも突き出た球体。今では、だれにも分かる新型コロナウイルスの形を、子供が走り書きしていた。
記念館の運営は、パンデミックの前から大変だった。財政基盤が、なかなか安定しなかったからだ。常勤はガワーだけ。あとは、数人のパートと数十人のボランティアでなんとかしのいでいた。
「この小さな記念館を売り込むのが、どんなに大変なことか」とガワーはため息をつく。
所在地のバークリーは、(訳注=ロンドンの西約170キロ、イングランド西部の港湾都市)ブリストルのすぐ北にある。(訳注=英国最長の)セバーン川に面した、眠ったように静かな田舎町で、多くの人でにぎわう英国の観光名所からはほど遠い。
ほとんどの来館者は、周辺地域の人々だ。医学マニアがさらに遠くから来ることは、たまにしかない。
記念館として訪問者を受け入れるようになったのも、1980年代になってからだ。それまでは、長らく個人の住宅だった。
今では、1階の数室にジェンナーゆかりの所持品などが収められている。折りたたみ式の眼鏡や本人の髪の毛、(訳注=接種にも使われた外科手術用の両刃のメス)ランセット、医療に関連した図画類などが、小さなガラス張りの陳列ケースにびっしりと並ぶ。2階には、天然痘根絶への歩みが展示されている。
最近のある朝。ガワーは記念館の敷地を歩きながら、この施設の大切さを改めてかみしめた。新型コロナワクチンの接種の呼びかけに、歴史の再現を見る思いがしたからだ。
「当時も、接種を受けるのを喜び、新たな希望を見いだした人がいたに違いない。一方で、不安になり、神経をとがらせた人もいただろう」
1790年代にジェンナーが始めた種痘。それを受けた村民の気持ちが、ガワーには一段と身近に感じられるようになったという。
ジェンナーの種痘は、人痘接種法を踏まえて作られた。アフリカやアジアで、何世紀にもわたって施されていたやり方だ(訳注=天然痘患者の患部の膿〈うみ〉などを健康な人に接種する免疫療法。ただし、感染して重症化する危険もあった)。
加えて、自分の地元での伝聞にも着目した。牛の乳しぼりをしている女性は、牛痘にかかってもひどい症状にはならず、天然痘にもかからないというものだった(訳注=ラテン語の「vacca(『雌牛』)」は、ワクシニア(vaccinia〈牛痘〉)やワクチン(vaccine)の語源になった)。
ジェンナーのワクチンは、人間にとってはリスクがはるかに低い牛痘を活用した。
その記念館は、閉館したままでも、2020年はかろうじて持ちこたえた。コロナ禍が始まり、大々的に寄付を募ったことが寄与した。
英政府も21年3月、「Culture Recovery Fund(文化再建基金)」の年間予算に3億ポンドを上乗せし、(訳注=コロナ禍で影響を受けた文化活動の)救済に乗り出すことを発表した。この他にも、差し迫った際の緊急助成策を打ち出した。
しかし、ほとんどの助成金は、即座に資金を必要とする事態を想定しており、長期的な資金の需要は対象にされていない。しかも、ジェンナー記念館は、20年にそれなりの寄付金を集めたことから、こうした助成金のほとんどについて受給資格がないことになってしまった。
ただ、英国ではワクチンの接種が順調に進み、新たな感染者数が減っている。ロックダウンの冬が終わり、規制のない自由な夏がやってくるのではないかとガワーは期待する。そうすれば、久しぶりに来館者を迎えることができる。記念館の建物の正面を飾るアルベルティーヌ種のバラも咲き始めて、歓迎することだろう。
イングランドには、計2500ほどの独立博物館や文化遺産の保存施設がある。ジェンナー記念館のように、特定分野の収集品をいっぱい所蔵しているところが多い。
「20年は、この分野全体が緊急資金の投入で破綻(はたん)を免れていた」と「Association of Independent Museums(英国独立博物館協会)」の理事長エマ・チャップリンは語る。
「その多くが20年中にそれまでの蓄えを切り崩している。生き延びるためだったのは明らかだ」とチャップリンは現状を説明する。「嵐をとりあえずはやり過ごしたとしても、21年を通じて支援が必要だろうし、22年も存在し続けるにはそうなりそうだ」
何よりも、再び開館すること自体に「まずかなりの手間をかけねばならないだろう」と見ている。
ただし、あえいでばかりいるわけではない。中には、ジェンナーの後に続く施設もいくつか現れた。
いつもの来館者に代えて、新型コロナワクチンの接種会場として人々を受け入れることにしたのだ。イングランド中部のウェスト・ミッドランズ地方にある「ブラック・カントリー暮らしの博物館」と北部の都市リーズの「サックレー医療博物館」。それに、文化遺産ということでは、南西部にあるソールズベリー大聖堂も加わる。
ジェンナー記念館が再開されれば、ガワーとしてはやりたいことがある。今回のパンデミックで浮かび上がったテーマについての展示を新たに取り入れることだ。
視野を広げ、世界からワクチンの接種に関連した事例を集めること。それに、命を救うため、医療に尽くした多くの人々に光をあてること。ジェンナーなら、きっと賛同したに違いないと信じるからだ。
「ワクチンの誕生は、たった一人のヒーローの手で実現したのではない。そんな考え方を変えようと私たちは真剣に思っている」とガワーは話す。ジェンナーが突破口を開くことができたのも、「他の多くの研究に支えられてのことだった」というのだ。
それに、ジェンナー自身が一貫して示した開放的な姿勢が、教訓を今にもたらすことができると思っている。ワクチンの特許を取って、閉鎖的に扱うようなことはしなかった。だれにでも対価なしにワクチンを与え、接種方法は他の医師にも教えた。
そして、今。世界の国々は、限られた量の新型コロナワクチンを奪い合っている。反ワクチンキャンペーンも、根付いてしまった。そんな中で、私たちがどうやってここまで来られたのかを改めて示すことは、かつてないほど有意義なはずだとの確信がある。
「ジェンナーは、卓越した業績を成し遂げた。接種で救った命の数々。接種で変えることができた人生の数々。すべては、ここから始まった」とガワーはいう。
「その理念も、卓越していた。単に、昔あった一理念というだけのことではない。今、まさに問われていることなのだ」(抄訳)
(Megan Specia)©2021 The New York Times
ニューヨーク・タイムズ紙が編集する週末版英字新聞の購読はこちらから