■「人生で最も幸せな日」台無しに
「軍が遮断したインターネットや携帯電話ネットワークがようやく復活したのでメールしています」
2月2日午後2時、フェイスブックのメッセンジャーにヤンゴン在住の友人、テーダーソウさん(35)からメッセージが届いた。前日の1日、ミャンマーでは、昨年11月の総選挙で圧勝した与党、国民民主連盟(NLD)党首のアウンアンスーチー氏や同党幹部らを拘束する軍事クーデターが起きた。スーチー氏を事実上の指導者とするNLD政権の発足につながった民主化の流れが始まって、わずか約10年。それまで半世紀近くにわたり同国を支配し続けた軍事政権時代に一気に回帰するような出来事に、多くの国民が目を疑ったという。
「希望が失われた瞬間だった。明日何が起こるのかも分からない状況だった」というテーダーソウさんだが、悲観に沈む時間は長く続かなかった。SNSでクーデターを拒絶する意思を表明する人が相次ぎ、そのうねりは連日の大規模な抗議集会やデモにつながった。
デモに参加しながら自ら撮影した写真を次々と送ってくるテーダーソウさんは、「この画像とともに、私たちの声を世界に伝えてください」と筆者に訴えた。記事化を約束すると、それを聞いた彼女の友人からもメッセージが届き始めた。
タンズィンさん(33)がクーデターの発生を知ったのは、婚約者との結婚写真の撮影で訪れていたヤンゴン市内の写真スタジオだった。人生で最も幸せな日の一つになるはずが、一瞬で台無しになった。政府にサービスを提供している民間企業に勤めていたが、「軍政のためには働けない」として、すぐに辞めた。
「このクーデターを失敗に終わらせて民主主義を取り戻すまでは、自分に将来はなくなった」。これから始まる新婚生活への影響や今後の収入の不安などを考えるよりも先に、反射的に即決した辞職だったという。
前軍政時代はまだ学生だった。教科書も教育方針も全てが軍による検閲対象で、学ぶ自由すらない時代だった。生活のあらゆる面で軍がにらみを利かせていた。それが民主化により、初めて自分の意思で選択ができる世の中になった。軍政下の束縛と民主化後の自由の両方を国民の誰もがじかに経験している。「軍支配の世の中に逆戻りさせては絶対にならない」。軍が弾圧に乗り出しかねない危険を覚悟しながらも、抗議集会やデモに多くの国民が参加し続ける核心的な理由なのだという。
「民主主義が勝つか、それとも軍政の奴隷になるか。二つの結末しかない究極の闘争」というタンズィンさん。同時に、国際社会が誤解していることがあるとも強調した。「各国の政府やメディアは常にスーチー氏を主語にしてミャンマーを語りたがる。でも、我々は彼女のために闘ってはいない。自分たちの未来のために闘っている。もっと国民を主語にして、ミャンマーを考えてほしい」
軍に対する国際社会の圧力に期待する気持ちは誰もが持っているが、ネット上にあふれる海外メディアの報道ぶりに落胆する人も多いという。
■求心力低下と後継者の不在
前軍政時代に鉄の意志をもって抵抗を続け、ミャンマー民主化の扉をこじ開けたスーチー氏は、国際世論の大きな支持を集め、1991年にはノーベル平和賞を受賞した。だが、民政移管後、政権運営を担う与党指導者の立場になると、その指導力に対する国際社会の眼は厳しくなった。
特に軍などによるイスラム系少数民族ロヒンギャへの大量虐殺問題では、スーチー氏率いる政府も無作為によって加担したと国連の調査で指摘されるなど、国際社会の批判が集中。ノーベル平和賞の剝奪を求める運動まで起きた。国際的な求心力が落ちた中で起きた今回のクーデターだけに海外メディアは、軍を激しく非難する一方で、スーチー氏の指導力に焦点を置いた記事を相次いで流した。こうした海外メディアの報道に「うんざりしている」とタンズィンさんは言う。
「もちろんスーチー氏は偉大な指導者だが、今は国民が中心となり民主主義を守ろうと必死になっている。知識や言葉のみで行動が伴わない反応は、もういらない。実質的な助けがほしいのです」
とは言ってもスーチー氏は、ミャンマー国民から絶大な支持を集める指導者であるのは事実だ。「その圧倒的な存在ゆえに、『スーチー崇拝』が強くなりすぎて、後継者が育っていないことが大きな問題でもある」。そう話してくれたのは、ヤンゴンで広告会社を経営するティンミャッテッさん(36)。「スーチー氏の後は誰が国を引っ張っていくのだろうと、友人らと議論していた矢先のクーデターだった」。
スーチー氏が永久に指導者でいつづけるかのような幻想に、国民全体が陥っているように感じていたという。NLDが圧勝した昨年11月の総選挙でも、「実際の候補者を全く知らないまま、スーチー氏が好きだからNLDの候補に投票した人が圧倒的に多かった」。国際的な求心力が衰えたスーチー氏の後継者が全く育っていない中で起きた今回のクーデターは、最悪のタイミングだったと話した。
民政移管後の約10年で国民の生活は大きく改善した。誰もが携帯電話を持ち、インターネットが使えるようになった。平均年収は約13万円だというが、職業によってはその数倍の所得もありえる。前軍政時代には不可能だったことばかりだった。
「今はまだ発展途上だけど、次世代が大人になるころには、もしかしたら先進的な生活を送れるのではないかと思えるようになった」。そう話すティンミャッテッさんも、創業した広告会社で12人の社員を抱えるまでにビジネスが成長した。新型コロナ感染対策で業務のオンライン化を強いられるなどの影響を受けたが、最近は新しい商談も入りだし、事業見通しは決して悪くなかった。
それがクーデターにより、全て消滅した。軍の統制によりインターネットは遮断され、オンライン上での仕事すらできなくなった。銀行やATMから現金を引き出せなくなり、会社の運転資金どころか生活費にも困った。軍政時代を知るだけに「不安と恐怖の毎日が再び始まった」と感じたという。
ミャンマー各地に広がった抗議デモには連日参加し、社員たちとともにも声を上げている。「今回ばかりは軍政と完全に決着をつける最後の闘いにしなければいけないと国民の多くが認識している」というティンミャッテッさん。「勝つまでは、徹底的に抵抗を続けると決意しました」
SNSでは、「I Support Civil Disobedience Movement(市民不服従運動を支持します)」という言葉入りのアイコンを使って連帯を表明するミャンマー人が同国内外で急増している。また、抗議の意思を込めて3本の指を突き立てるサインが反軍政デモの象徴になった。これは、市民が支配階級に立ち向かう物語設定で人気の映画『ハンガー・ゲーム』の中で、抵抗を示すサインとして使われたもので、2014年に軍事クーデターが起きた隣国タイでも抗議デモの象徴となった。古くから悪霊退治などに使われてきたという手法で、家庭用調理器具をたたいて音を出す「鍋たたき」による抗議行動も広がっている。
■組織的な抗議運動
連帯感は国民間の連携を生み、組織的な抗議運動になってきている。軍政がクーデター後にSNSを遮断すると、特殊なネットワークを使ってSNSに接続可能な人たちが、接続方法の情報を共有したり、国民同士のコミュニケーションの中継基地の役割を果たしたりした。
実際に今回、SNSで筆者に接触してきた人たちとの連絡は、インターネットの遮断で何度も途切れた。それでも複数の写真やメール、自身の思いを書いたワードファイルなどを筆者まで届けることができたのは、「色んな人の協力と、様々な手段を駆使してのことだった」のだという。インターネットを使わずに携帯電話のネットワークをいかした連絡網を構築した人や、隣国タイなどの電波が使えるSIMカードを調達して提供する人もでているという。
こうした連携は、日本など国外に住むミャンマー人たちにも広がる。関西地方で暮らすニーラーさん(仮名、42)が、母国で暮らす家族の安全を考えて匿名を条件に話をしてくれた。ミャンマーには同級生や、勤めていた会社の同僚もいる。そうした知り合いとSNS上でグループをつくり、連日夜遅くまで現状についての情報交換をしながら、それを日本から世界に発信している。
日本国内で暮らすミャンマー人のコミュニティーには、民主化活動を率いるリーダー的存在の男性がいるのだという。この人物を中心に、反軍政デモなどが日本国内でも組織され、日程や場所などが共有される。また、母国で抗議運動をする人たちの資金を集める募金や送金活動などもしている。
「クーデターをきっかけに仕事を失った人や、抗議活動に参加して仕事を解雇された人がミャンマーには大勢いる。一人ひとりに家族がおり、生活がある」と語るニーラーさんも、友人らとともに募金活動に参加している。
「逆に解雇されるのが怖くて抗議デモに参加できない人もいる。でも、今回ばかりは国民全員に参加してほしいと願う。今は戦い続けないといけない。このままでは、子どもたちの世代に至って軍の統制下で暮らさないといけなくなる」。時間が経てば経つほど軍による支配は揺るがなくなる。だからこそ、クーデター直後の今の段階で軍政に終止符を打つことが重要で、そのために国内外のミャンマー人が総力を結集する必要がある。熱く語るニーラーさんからは強烈な危機感が伝わってきた。
では、ミャンマーの人たちは、国際社会に何を望むのだろうか。
今回、話してくれたミャンマー国内の3人が声をそろえて強調したのは、国民の生活にも多大な悪影響が出る経済制裁や軍事制裁は絶対に避けてほしいということだった。
「国連による調査団の派遣や、軍幹部の人道に対する罪をめぐる国際特別法廷の設置などを通じ、軍政がおかした罪を明確にしてほしい」「軍政を政治的に孤立させる外交圧力を国際社会には期待している」。意見は様々だったが、特に急務として3人が同意見だったのが、抗議活動への直接支援だ。集会やデモを毎日続けるために必要な資金や物資の援助、仕事を失った人たちへの生活支援、デモの強制排除や弾圧を軍政にさせないための国際監視団の派遣などで、各国の政府や民間団体の協力を求めていた。
11日、ミャンマー各地では6日連続となる大規模抗議デモが行われた。ヤンゴンでは、同国内に暮らす16を超える少数民族も参加し、それぞれの旗を掲げて行進。クーデターへの抗議を明確にした。その様子を再び写真で送ってきてくれたテーダーソウさんに、日本人へのメッセージを聞くと、こう答えた。
「私たちが守りたいのは、人権であり、平等であり、正義です。民主主義のため、そして未来のために抵抗しています。ぜひ私たちの思いを共有してほしい。どうか一緒に声を上げてください」