落馬で脊髄損傷、それでもあきらめない 1ミリずつ復帰を目指す馬術の名手

ケビン・バビントン(52)は、障害馬術の名手だ。アイルランドの代表として、五輪にも出た。この世界では、屈指のコーチでもある。
しかし、2019年8月、競技中に落馬し、脊髄(せきずい)を損傷して重いマヒが残った。それでも、復帰を諦めてはいない。リハビリに打ち込む日々は続く。
まず、日課をいくつもこなす。密度濃く、長い時間をかける。くたくたになるが、惨めに思ったことは決してない。体を鍛える確かな目標があるからだ。
落馬事故から1年の日も、同じ思いで過ぎた。
それは、米ニューヨーク州ブリッジハンプトンで開かれた著名な障害馬術の大会、ハンプトン・クラシックで起きた。愛馬ショラプールから放り出されたバビントンは、真っ逆さまに地面に落ちた。胸から下が、マヒするようになってしまった。
しかし、バビントンは今、歩ける日が来ると信じている。それだけではない。目標をその先に置いている。再び馬に乗ることだ。
この間に学んだ大切なことの一つに、忍耐がある。
1ミリずつしか進まない。が、1ミリずつでも体は回復している。できるようになった動作で、それを感じている――バビントンは、そう語る。
今では右腕が上がるようになり、もう少しで口を触れるところまできた。手足の指も何本か動かせ、つい最近は左手の親指が動くようになった。ときどきは、腹筋の感覚が戻ることもある。
刃物で切り刻まれるようなけいれんの痛みに、しきりに襲われた。20年春は耐えられないほどだったが、それも少しずつよくなっている。最近は、痛み止めを飲んでいない。おかげで、頭がこれまでになくスッキリするようになった。
バビントンは、大きな大会の常連だった。2004年のアテネ五輪では、アイルランドの選手として4位に入賞した。
今は、フロリダ州南東部のロクサハッチーに牧場を構えながら、限られた範囲で馬術のコーチを続けている。車いすで、牧場にある馬場に出向き、指示を与える。マイク付きのヘッドホンを使うことが多いが、なしでも通じるだけの声量も戻っている。パンデミックが起きてからは、ビデオ通話での指導もしている。
日々の移動の仕方も、変わりつつある。20年暮れには、電動車いすの運転装置を手動に切り替え始めた。牧場にある自宅も改築する。完成すれば、家中を動けるようになる。出入りも自由になる。玄関のドアが自動化されれば、いつでも一人で厩舎(きゅうしゃ)に行ける。預かった馬でいっぱいで、それぞれに調教師がいる。
「できれば、入り口よりも出口を先に造ってほしいね」とバビントンはいって笑った。「そうすれば、いつでも逃げ出して、少しでも自分の世界を取り戻せるようになるから」
そのユーモアのセンスは、今も健在だ。
回復に向けて最も期待しているのが、(訳注=全米で最高レベルとされる)ミネソタ州ロチェスターの総合病院メイヨー・クリニックでの治療だ。幹細胞も使う先端療法が、5カ月ほどで始まることになっている。
自分の体がどう反応するのか、バビントンは待ちきれないでいる。サーフィン中の事故で首から下がマヒした男性が、20年にこの治療を受けて歩けるようになった実例がある。そんな「奇跡の患者」に自分もなることを、願わずにはいられない。
「治療を楽しみにしている」とバビントンは話す。「これまで自分は、ものごとを常に冷静に受け止めようとしてきたし、リハビリのストレスにもうまく対応できている。日々、力強さが増していることを、間違いなく体で感じている」
妻のダイアナ・バビントンも、普通なら限界とされることを乗り越えていく夫の能力に驚く。五輪選手になるほどの強い意志があるからだと思っている。
例をあげよう。居間には、特別仕様の器具類がいくつもある。その一つ、立った姿勢を保つのに使うスタンディングフレーム。毎回、過酷な試練となるが、弱音を吐くことはない。それどころか、1時間以上も耐えていることが、ときにはある。
妻としては、加えたいものがある。あぶみなど馬具一式がそろった騎乗練習用の装置だ。夫の回復状況しだいとはいえ、早く実現させたいと願う。なるべく早く。
障害馬術界からは事故後、多額の寄付が寄せられた。それなしでは、理学療法でここまで来ることは難しく、夫妻の感謝の念は深い。
しかし、妻によると、コロナ禍でバビントンが主宰する財団のための資金調達イベントは、ほとんど中止された。ただでさえ、試練続きなのに、経済的な不安が重くのしかかるようになった。
バビントンは、まだ自分で咳をすることができない。人工的に気道が詰まらないようにしており、新型コロナに感染すれば、たちどころに危険な状態になる。
「ともかく、なんとか体調をよくするよう努めている。それが実情だ」と妻は語る。
その妻も馬術を教え、騎乗者の安全ベストの普及に努めている。
バビントンの心が癒やされるのは、障害馬術の競技会に出ている長女グウィネスのネット中継を見るときだ。その成長ぶりに、自らも元気づけられる。同時に、誇りにも思う。
大学進学を控え、障害馬術の選手として奨学金を得られる誘いも何校かから受けている。20年夏には、父のお気に入りのマークQに乗って、グランプリ大会への初出場も果たしてくれた。
「その場に一緒にいられたら、どんなによかったことか」。「でも、ある意味で一緒にいたんだ」――バビントンは、すぐにこう続けた。
21年夏の東京五輪に向けた準備もある。いくつものグランプリ大会をサイトで見ながら、解説を付け加えている。単に面白いからということではない。仕事なのだ。今も、アイルランドの障害馬術チームの選考に、こうして携わっている。そんなトップレベルの関わりが、自らの士気を高める支えでもある。
それも含めて、自分はさまざまな点で実に恵まれているとバビントンは思う。その思いを、日々時間を割いてかみしめるようにしている。
「感謝すべきことが、こんなにも多いものだから」というのだった。(抄訳)
(Juliet Macur) ©2021 The New York Times
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