漁師ヨルマン・ラーレス(25)の人生始まって以来のできごとは、いつもと変わらぬ朝に起きた。野外トイレからの帰りだった。
トタンぶきのわが家に向かっていて、浜辺で何かがきらめくのを見た。手で砂をかき分けると、首飾りの鎖を見つけた。引っ張ると、聖母マリアの金のメダルが出てきた。
南米ベネズエラのカリブ海に面した漁村グアカ。かつては、この国の水産加工を担う一大拠点だった。ところが、燃料不足で小さな加工場はすべて閉鎖に追い込まれ、すっかりさびれてしまった。だから、こんな高価な発見は、まるで奇跡のように思われた。
「体が震え、涙が出てきた」とラーレスは振り返る。「何か特段変わったことが身の回りに起きたことは、これまで一度もなかった」
家に戻ると、やはり漁師をしている義父に報告した。話は、たちまち村中に広まった。人口2千の村民のほとんどが、宝探しに繰り出した。潮干狩りでもするようにくまなく海辺を探し、ボロボロになった漁船の周りも掘り返した。
浜辺で寝泊まりする者まで現れた。宝物が埋もれているかもしれない一角を確保するためだった。
この騒ぎは、2020年の9月末に始まった。掘り出された金や銀の飾り、金塊といった宝飾品類は、数百点にものぼる。
村民は、いつ果てるともしれないこの国の経済の悪化に翻弄(ほんろう)されてきた。そこに、この恵みが降ってわいた。たとえ、狐(きつね)につままれたような一時のできごととはいえ、驚くべき救いとなったのは確かだ。
少なくとも1点は見つけたという村民が、何十人といる。多くは、金の指輪だ。最高値としては、1500ドルで売りさばいた人もいるという未確認の報道もある。
多くの人は、この予期せぬほうびに希望を見いだす思いを抱いた。
「神のご意思に違いない」と金の指輪を見つけた地元水産加工場の従業員シーロ・キハーダは信じている。
どこから来たのか。なぜ、幅が数百フィート(1フィート=0.3メートル強)しかないありふれたグアカの浜辺にあるのか。誰も知らない。
謎はいい伝えと結びつき、説明には伝説も登場するようになった。カリブの海賊の遺品だ。昔からあるキリスト教の恵みの一つだ……。いずれも、この国の強権的な政府への大きな不信感の裏返しともいえる。
ベネズエラ北東部のパリア半島にあるグアカ。その周辺の海岸線は、のこぎりの歯のようにギザギザに入り組んでいる。湾や入り江に島が浮かび、昔から探検家の避難場所や隠れ家になってきた。
あのコロンブスも1498年、この半島に上陸。南米大陸に足を踏み入れた最初の欧州人となり、(訳注=旧約聖書の理想郷である)エデンの園への入り口を発見したと考えていたようだ。
その後、無防備に近い海岸線は、オランダやフランスの海賊やヤマ師たちにたびたび襲われるようになった。今日では、薬物や燃料の密輸の温床となり、漁民を食い物にした現代版の海賊行為が横行している。
では、この恵みの出所は?
嵐が壊した海賊の宝物箱なのか、沈没した昔の軍艦なのか。それとも、トリニダード島に向かっていた密輸犯が落としたのか。臆測は、何週間も渦巻いた。
政界でも話題になった。野党側は、あまりにひどい生活条件に抗議する地元民をなだめようと、当局がばらまいたのではと勘ぐった。逆に、宝物を押収するのに、政府が軍を送り込むのではないかと心配する声も上がった。
村内でも、見方は割れた。「天の恵み」という者もいれば、「触れた者を破滅に導く呪い」と見る者もいた。
写真がフェイスブックに投稿されると、話題は国中に広まった。しかし、ゴールドラッシュは起きなかった。現場は遠く、国内はどこもガソリンが不足していた。新型コロナ対策もあり、動こうにも動けぬ現実があった。
そこで、ニューヨーク・タイムズ紙は、グアカで見つかった金の鎖の科学的な分析を依頼した。結果は、この数十年の間に、欧州で製造されたものらしいということだった。
鎖は金の純度が18カラットの高級品で、ベネズエラ国内で製造されることはめったにない。金の合金方法も近代以前の技術では難しい、とベルギーのギー・デモルティエは語る。博士号を持つ宝飾品鑑定士だ。
20世紀半ばに、市販用に製造された品物のように思える――英国の宝飾品製造技術の専門家クリス・コルティは、グアカで発見された何点かの写真をもとにこう推測する。ただし、いつ、どこで作られたかをきちんと特定するには、もっと多くの分析が必要になると注意する。
グアカの宝飾品類の出所は、解明されることがないのかもしれない。見つけた村民は、ほとんどすぐに食料を買うために手放してしまった。
「入手したものは、何でもすぐに口に入れられるようにする」と先のラーレスの義父、漁師のエルナン・フロンタードは明快だ。今回の騒ぎで数点の宝物を見つけるまでは、家族を養うために、最も安い主食のキャッサバイモを近所の人たちに分けてもらうような暮らしぶりだった。
フロンタードは、見つけたものを最寄りの都市カルパノで売った。思ったよりは少なかったが、米と小麦粉、パスタを得ることができた。
ベネズエラの経済危機が始まったのは2014年だった。グアカと周辺の村々は、それまでは中南米に向けてイワシとツナの缶詰を出荷していた。現在では、この地域にあった30軒の粗末なイワシ倉庫のうち8軒が残っているに過ぎない。近くにあった国営のツナ缶製造工場は、破産してしまった。
20年に入って燃料不足が悪化すると、生活水準の落ち込みはもっとひどくなった。多くの村民にとっては、その日を生き延びる闘いの始まりとなった。
船の燃料を手に入れるには、採ったイワシの半分を政府に売らねばならない。価格は定められている。1ポンド(454グラム弱)で1.5セント。スズメの涙のような額だ。
「オレたちのことなんか、政府の連中にはどうでもいいのさ」とイワシ漁師のホセ・カンポスは吐き捨てる。「魚を横取りされているのも同然だ」
燃料不足はすさまじく、漁民の多くは人力で海にこぎ出している。さもなければ、小さな漁船とともに何日も海にとどまり、燃料を節約する。のどの渇きと闘いながら、無防備な船が嵐や海賊にやられないよう、体を張って守ることになる。
「ひどくなるばっかり。ロープで首を絞めつけられるようだった」と宝物の第一発見者となったラーレスは例える。
見つけた何点かを売って、125ドルを手にした。一度にこれほどの大金を稼いだのは、初めてだった。
そのお金で、ラーレスは主食となる食物を大量に仕入れた。子供のために、甘いパンも買った。もう何年も、食べさせたことがなかった。故障していたテレビも直した。中古のスピーカーも一つ買って、家族で楽しむことにした。
水道などの配管もない自宅では、土間の上で暮らし、雨漏りに耐えねばならない。たった一つのベッドで、一家6人が寝ている。
宝飾品類を見つけたおかげで、家族の食事は1日2食にまで戻った。娘のタイリー(2)は、まだ栄養失調から抜け出せてはいないが、体重はかなり回復した。
テレビは、今はつけっぱなしのままだ。グアカでは、国営テレビしか入らない。不鮮明な画面に、幸せで繁栄した国がしょっちゅう映し出される。
村の状況は、思わぬ恵みがあって好転したように見える。海には、4カ月もどこかに消えていたイワシが戻ってきた。燃料の供給も、少しは増えた。
イワシ船が漁獲を携えて戻ってきた朝は、浜には何百人もが繰り出して慌ただしい空気が流れる。
小さなグループが、いくつもできる。水揚げ、洗浄、はらわたの取り出し、出荷に向けた荷造り。分業は互いに連動しながら、黙々と進められる。包丁をたたく音とカモメの鳴き声だけが、整然とした作業現場に響く。村の中で最も困窮した人たちが、その日の無料の配給として割り当てられた魚を受け取りにくる。
ラーレスの日常も、もとに戻った。それでも、1対の金のイヤリングだけは、足らないものが多いにもかかわらず、手放さないでいる。シンプルなデザインに、星の飾りが付いている。それが、カリブ海を渡った昔の探検家を導いた星を思い起こさせるからだ。
「自分が持っているただ一つの素敵なもの」というほどのお気に入りだ。
あの宝飾品類は、ラーレスの人生を変えたわけではない。でも、どんなに苦しいときでも、よいことは起こりうるということを教えてくれた。
もう、最初の発見から数カ月がたった。グアカでは、まだたまに小さな金の宝物が、砂の中から出てくる。
浜辺が静かになる夕暮れ時。波打ち際に座り込む人を見かけることがある。消えゆく明るさをたよりに、手を砂に差し込む姿がしばしそこに浮かぶ。
「一度起きたことは、また起きるだろう」とラーレスは話すのだった。(抄訳)
(Anatoly Kurmanaev and Isayen Herrera)©2020 The New York Times
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