役場の清掃員が村長に当選 ロシアの選挙が映し出す「深刻な問題」

再選をかけた選挙が近づくにつれて、村長のニコライ・ロクテフの焦りは深まった。対立候補がいなかったからだ。
モスクワから東へ300マイル(480キロ)。ロシア中部のポバリヒノは、木造の家が散在するのどかな村だ(訳注:人口240超)。ストーブにはまきをくべ、未舗装の道路はわだちに刻まれている。
西側の民主主義なら、必ずしも無投票に危機感を募らすこともないだろう。歓迎されることだってあるかもしれない。
ところが、ロシアでは違う。選挙は仕組まれ、国の政権与党「統一ロシア」がほとんどいつも勝つ。そこでは、「民主的な形づくり」が大原則になる。
だから、ロクテフ(訳注=統一ロシア所属、58歳)には対立候補が必要だった。
しかし、村内で探しても見つからなかった。役場での自分の補佐役と、2011年の村長選に出て敗れた共産党員に打診したが、いずれも断られた。
そこでひねり出したのが、役場の掃除をしているマリナ・ウドゴズカヤ(35)だった。頼めば、断ることもないだろう。悩みも解決する。そう読んだ通りとなり、9月の村長選に臨んだ(訳注=選挙・施政区域はより小さな周辺の村々も含む。人口は全体で約400)。
ふたを開けると、勝ったのはなんと担ぎ出された方だった(訳注=得票率62%対34%)。
ウドゴズカヤ本人が、一番驚いた。上司を助けようとしただけで、選挙運動もしなかったという。「選挙になるよう、誰でもいいから出てほしいということだったのに」
得票結果が入ってくると、まず「心配になり、うろたえた」。でも、「選挙って、思い通りにはならないもの」と最終的には踏ん切りをつけた。
そして、(訳注=10月1日付の)就任に同意した。給与は、倍以上の月2万9千ルーブル(約380ドル)になった。役場の村長室に入ったが、10月半ばには新型コロナの感染を避けるため、しばらく自宅に待機することにもなった。
この間に、まず清掃員の後任を見つけた。本来の村長としてなすべき最初の仕事については、村民が長らく待ち望んでいた街灯を設置することだと語る。
今回の騒動は、ロシアメディアの過熱報道を招いた。ご多分に漏れず、焦点が当たったのはもっぱらその滑稽さだった。しかし、この選挙は、もっと深刻で本質的な問題を示している。その皮肉な結末は、世界中で起きている民主主義の空洞化を照らし出しているからだ。
アラブのいくつかの君主国や、北朝鮮のような共産党が独裁する国々を除けば、世界中のどこでも民主的な選挙が統治の正当性を支える唯一の方法になる。
だから、ロシアなど旧ソ連を構成していたいくつかの国や、他の多くの諸国で、いわゆる「管理された民主主義」が実施されている。選挙は日程通りに整然と行われ、現職が負けることはないに等しい。
そうなるよう、本格的な野党勢力は警察権力で抑え込まれる。有力な対立候補は、選挙管理委員会がさまざまな難癖をつけて票から遠ざけてしまう。一例をロシアで挙げれば、今年の地方選挙を前にして(訳注=20年8月に)毒殺されそうになり、活動できなくなった野党指導者のアレクセイ・ナバリヌイだろう。
こうした抑圧的な手法は、ときには効き過ぎるほど効いている。一方で、民主的なプロセスをうわべだけは掲げておかねばならない。だから、敗者となるべき対立候補探しが問題となる。
ロシアでは、大統領選でウラジーミル・プーチンが同じ相手に重ねて勝っている。その不幸な人物は、ゲンナジー・ジュガノフ。共産党が都合よく出してくれた、単調で硬い口調の対立候補だった。直近の18年の大統領選でプーチンが退けた対抗馬の中には、(訳注=父親がプーチンと近い関係にあった)テレビの有名司会者クセニア・サプチャークもいた。もちろん負けた。
他の旧ソ連構成国では、トルクメニスタンの大統領が政権内の水利相と争ったことがある。カザフスタンでは、2011年の選挙で対立候補の一人が現職への支持を表明している。
「自分は大統領になろうとは思わない。不可能だから」。カザフスタンのその候補者メルス・エレウシゾフは、極めて率直にインタビューにこう答え、自分が民主主義のプロセスを装うための「いちじくの葉」であることを認めている。
ロシアでは政権中枢の政治顧問たちが、国政、地方政治を問わずに目を光らせているとモスクワ・カーネギーセンターの政治アナリスト、アンドレイ・コレスニコフは指摘する。そして、才能があると見込めば、選挙への出馬要員として引き抜きにかかる。まず、政権側の候補者として。でも、それだけではない。もっともらしく、安全に敗者の役割をこなせる候補者も取り込んでおく。
「ロシアではこれが、弱い対立候補をうまく仕立て、選挙という手段を正当化する手法の一つになっている」とコレスニコフは解説する。「本来の選挙ではないが、それらしく見えるようになる」
それでも、たまには見込み違いも生じる。極東部のハバロフスク地方では、野党候補が(訳注=18年9月に体制派の現職を破り)知事選に勝った。しかし、その後(訳注=20年7月に)逮捕され、抗議が何カ月も続いた。「比較的小さな社会になると、そんな破綻(はたん)も起こりうる」とコレスニコフは肩をすくめる。
同じことが、ポバリヒノでも起きたということだろう。
村長選への出馬を誰もが尻込みしたのはなぜか。村長の補佐役イリーナ・ネチャーエバは、ロクテフ個人に勝つ見込みのなさというよりは、そもそも(訳注=政権与党を相手にする構図の選挙で)勝利する可能性があまりに薄いと思われたからだと話す。
新しい村長になったウドゴズカヤは、日雇い労働者の夫と2人の10代の子供の4人暮らし。住まいは少し風雨で傷んではいるものの、いかにも居心地がよさそうだ。裏庭では、ニワトリやアヒル、ガチョウにウサギを飼っている。
政治への関心はまったくなかった。今回の選挙に大きな意味があるかどうかも、自分には見当もつかない。でも、農業は好き――取材にこう答えてくれた。
村一番の通りは、材木運搬のトラックが大きな音を立てて走り、穴ぼこにたまった汚れた雨水をはね上げる。だから、村民は迷路のような迂回路を使う。その板敷きの歩道は、庭先や牛の放牧場をよぎる。
そんな小さな小さな村なので、誰もがウドゴズカヤをよく知っている。その上、好かれていたから当選できたと村の売店の店員タチアナ・ムルジナはいう。
トラックの運転手を引退したウラジーミル・エリツォフ(62)は、彼女に一票を入れたと明かす。でも、道路の補修すらままならない村の予算を思うと、「同情せざるを得ないね」。
敗れたロクテフだって、給水本管を直すようなよい仕事をしたとエリツォフは語る。ただ、あまりに内気で、村民と話すことがほとんどなかった。「みんなのことを思っているという姿勢が感じられなかった」
ロクテフは取材を拒んだ。しかし、妻のタマラが自宅の外で「落選はとてもこたえている」と話してくれた。
妻によると、本当は夫は村長になる気はなかったし、ポストにしがみつくつもりもなかった。
そして、今は、「二度も村長選に出るよう仕向けたのはお前だ」と責めるようになった。
「『こうなってしまったのも、お前のせいだ』と口癖のようにいうんだから」と妻はぼやいた。(抄訳)
(Andrew E. Kramer)©2020 The New York Times
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