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シンガポールで大量のPCR検査を支えた日本人 なぜ早くからキット増産できたのか

World Now 更新日: 公開日:
新型コロナの検査キットを開発した井上雅文さん=シンガポール科学技術研究庁の実験的薬剤研究開発センターで

■SARS以来の経験が生きた

――シンガポールでの新型コロナウイルス対策の中心になっているPCR検査キットをデザインされたということで、8月にはシンガポール政府からも表彰されました。

光栄ですね。でも必要とされたから、つくっただけなんです。それに自分だけでは絶対にできなかった。病院の臨床医、遺伝子情報の解析を研究者など、仲間がいたからこそできた。試薬メーカーなど外部の協力もありました。

――開発はいつごろから?

最初につくったのは1月14日です。1月の12日に中国から新型コロナウイルスの遺伝子情報が発表され、そこから2日でつくりました。1月26日にシンガポールの最初の患者が出て使われてから国内の病院で使われるようになり、2月の下旬には民間企業にオペレーションを移して量産に入りました。これまで世界45カ国以上で使われています。

井上さんたちが開発を手がけたキット。「不屈」を意味する「Fortitude」という名前がつけられている

――日本では、PCR検査の精度をめぐる議論もありました。精度についてはどう考えていますか。

PCR検査の精度は、キットによっても変わってきます。一般的に検査の精度は感度(どれぐらいの確率でウイルスを見つけられるかの指標)と、特異度(どれぐらいの確率で新型コロナウイルスだと特定できるかの指標)で示します。

私たちが開発したキットの場合、検体にウイルスが1000個ぐらい入っていれば、検出できると思います。鼻の奥をぬぐってウイルスが1000個というレベルだと、ウイルスが少なくて症状は出ていないかもしれません。特異度については、検出されたら間違いなく新型コロナだと言えます。

――最初につくったキットでその精度が実現できた理由は?

2003年のSARS以来、さまざまな感染症の検査キットをつくってきた経験があったからでしょうね。それがなければ、すぐにはできなかったと思います。

――どのあたりに経験が生きるのですか?

PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)というのは、DNA(デオキシリボ核酸)の一部を複製して増やす技術です。新型コロナの遺伝情報はDNAではなく、RNA(リボ核酸)という形で保存されていますので、まずはウイルスRNAの情報をDNAに写し取り、そのDNAをPCRで増やします。

DNAというのは、4種類の塩基(DNAの基本となる化学物質)が並んだ鎖が2本、相補的と言いますが、お互いを補うような形で組み合わさっています。新型コロナの場合、約3万の塩基が並んでいます。この(ウイルスRNAの情報を写し取った後の)DNAが入った溶液の温度を上げると、DNAの二本鎖は1本ずつに離れます。離れた後、今度は冷やしていきながら、25塩基ほどの短い一本鎖の断片(プライマー)を2種類、新型コロナの塩基配列のうちの2カ所でくっつかせます。溶液にDNAの複製に必要な酵素(DNAポリメラーゼ)を入れておくと、プライマーがくっついた部分から、DNAの複製が始まります。

PCR法の原理

ところがプライマーのデザインが悪いとなかなかくっつきません。そうするとウイルス情報を写し取ったDNAがあったとしても、検出できません。

逆に、どこにでもくっつけばいいというものでもありません。コロナウイルスというのは新型コロナ以外にたくさんありますし、似ているところもあります。プライマーがくっつきすぎて他のコロナと同じ部分を増幅して検出しても、それが新型コロナかどうかは特定できません。だから、塩基配列から新型コロナだと分かる『顔』となる部分を見つけて、そこにしかくっつかないプライマーをデザインする必要があるんです。

■キットを作って終わり、ではない

――どこを選ぶかに、経験が生きるということなんですね。

10年、20年といろんな検査キットをつくってきて、「こうすれば精度が高くなる」といった条件は20~30あります。それをすべてコンピューターで計算して、複製する部分を選んでいます。計算式は、2003年のSARSの時から継続して改良してきました。

さらに変異にも気を配る必要があります。もし「顔」だと思っていた部分が変異したウイルスが出てきた場合、プライマーがくっつかなくなる場合があります。あるいは結果の判定には、PCRで増やした「顔」の部分に特異的にくっつくプローブという試薬を使いますが、それもくっつかなくなります。つまりコロナウイルスが検出できなくなります。ウイルスは簡単に変異しますので、「顔」と言っても変異しにくい場所を狙わないといけません。

だからキットをつくってそれで終わりではないんです。私たちの場合は、関係の研究機関が世界中で報告されている新型コロナの遺伝子情報を確認していて、キットが有効かどうかをいまも確かめ続けています。

研究所で打ち合わせをする井上さん(左)

――開発にとりかかられたのも、かなり早い段階です。なぜそんなに早くキットが必要だと思ったのでしょうか?

私たちの場合、感染症の危険があればとにかく作るんです。鳥インフルエンザが中国で出た、あるいは豚インフルエンザがブラジルで出た、そんなニュースが入ると、流行がシンガポールに来ていなくても、遺伝子情報が入手ができ次第キットをつくる態勢に入ります。2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の流行以来、コンピューター解析の研究者と、病院の臨床医を含めた3人でやってきました。鳥インフルエンザ(H5N1)が流行したときもそうでしたし、中東呼吸器症候群(MERS)が流行したときも、ジカ熱が流行したときもやりました。結果として使われないこともありますが、パンデミックが起こることを想定して準備しています。

感染症対応の基本は感染者の発見、隔離、治療です。そのために必要なのは検査キット、隔離場所、治療薬、病院のベッドですよね。治療法は、新しい感染症の場合はあるかどうかも分からない状況になりますから、まずは発見と隔離が重要になる。検査キットをつくるチームというのは、どこに埋められているか分からない地雷を探すような役割だと考えています。

――今回は、結果として幅広く使われることになりました。

大きかったのはトップの判断でした。科学技術研究庁トップのフレデリック・チョウは40代で政府幹部の中では若手ですが、2月の初めには検査キットの生産増を決めていました。まずは「武漢を助けよう」と、2月中旬に中国向けに2万キットを作って送りました。

このときは中国向けでしたが、彼には早くから「大変なことになる」という予感があったんでしょう。すでに材料の手配も始めていました。2月下旬にはシンガポールの国家備蓄として数百万回分の検査キットの材料を確保しましたし、キット生産も民間会社に移して大量生産を始めました。とくに早期に材料を確保したことは大きかったですね。その後、世界中で材料不足になって、ふだんなら1週間で届くものが1カ月たっても来ないような状況に陥りました。

自らが開発した検査キットを手にする井上雅文さん

■政府と科学者、一丸だった

――そうした対応を現場で見ていて感じた、日本への教訓とは。

政府と科学者、一丸となってコロナウイルスに立ち向かっていった感じを受けています。たとえば中国向けのキットを作ったときには、いろんな部署の職員が100人ぐらい集まってきて、手作りで2万キットを作りました。明け方4時~5時まで作業して、いったん帰って昼ごろまた来てみたいな感じで、2日ほどでつくりました。研究者以外の一般職員も包装したり、ラベルを貼ったりといったことを手伝ってくれました。「チームワークがすごいな」と感動しました。

その理由のひとつは、パンデミックへの危機感を各自が実感として持っていたことだと思います。感染も広がっていましたし、当初は死者も出ていた。それに診断、隔離、治療と考えたときに、治療法は分からないので、診断と隔離しか手はなかった。その考え方は関係者に共通していました。政府も、科学技術研究庁だけでなく、保健省、外務省、財務省、貿易省などがひとつのチームとなって同じ方向を向いて対応していたのも印象的でした。日本だと、どうしても縦割りになる部分があると思いますので、こういうところには学ぶべきところがあるように思います。

いのうえ・まさふみ 1948年、高知県出身。東京理科大学、カナダ・カルガリー大院などを経て1995年にシンガポールへ。分子・細胞生物学研究所(IMCB)などを経て、現在はシンガポール科学技術研究庁(A*STAR)傘下の実験的薬剤研究開発センター(EDDC)で、診断技術開発などの責任者を務めている。