「アジア系アメリカ人」の一言ではくくれない素顔 アーティストが自画像にしたら

新型コロナウイルスが今春、米国に到達して以来、アジア系米国人に対する暴力行為や偏見が増えている。多くの人にとって、こうした出来事は複合的な反感を表している。ウイルスのことで不当な非難を受け、同じグループとしてひとからげにされている。
彼らをひとくくりにする「アジア系米国人」という言葉は、国家や文化の大きな差異を覆い隠してしまう。ニューヨーク・タイムズは、アジア系のイラストレーター11人に、それぞれの歴史的な伝統や移民の物語、そしてアジア系米国人であることをどう認識しているかを反映させた自画像を描いてもらった。
自画像は、複雑な表現の形式だ。顔の表情、姿勢、筆の運び、色づかいを通し、アーティストは文化と自己についての認識を探り求める。そこからアーティストが自分自身をどう見ているのか、そして他人からどう見られていると思っているかが伝わってくる。
シューホワ・シュン:上海生まれで、両親とも中国人
「私の両親は、多くのアジア人の親たちのように、自身の思いや愛情をストレートに表現できない。そのことを理解できる年になるまで、私は愛情を感じたことがほとんどなかった。両親は「よくやったね」と言うかわりに、嫌みっぽく、もっとよくできるはずだと言う。年を重ねて米国の文化を吸収し、表現する力が豊かになったおかげで、私は両親のわかりにくい愛情表現もわかるようになった」
ガブリエル・ウィジャヤ:米国生まれで、両親は中国系インドネシア人
「私のアジア系米国人としての体験は、ジェイ・チョウ(訳注:台湾出身の歌手で、特に中華圏の若者たちに人気がある)の歌の歌詞を意味も知らないまま覚えたり、マージャンのやりかたを習ったりしたことで定義される。というのは、私の中国語の能力は、中国の数字に始まって東西南北(の中国語を覚えること)で終わったから。人と文化の関係は、決してはっきりと定義できないところがおもしろい。浮き沈みがあり、絶えず進化している」
サリー・テン:米国生まれで、両親は中国人
「移民の子の多くと同様、私は両親の苦労と果てしなく続く困難を克服するのを見ることで、まっとうな労働倫理の価値を教えられた。私はアジア系米国人であることを喜び、両親にも敬意を表したいと思っている」
ジョアン・ウォン:米国生まれで、両親は香港出身
「私が西洋の慣習に初めて触れたのは、公立学校だ。学校で英語を習い、家庭では広東語を話した。昼食はカフェテリアでPB&J(訳注=ピーナツバターとジェリーのサンドイッチで、米国人の定番ランチメニュー)を食べ、夕飯はごはんを食べた。アイデンティティーの二重性が頭を離れた時はない。自分のルーツに戻りたいという思いを強く感じた。私だけでなく、アジア系米国人全体の間で起きている変化だ。ここ数年、私たちは世間の耳目を集めるようになった。おかげで孤独感は薄れ、自尊心は高まった」
ジョシュ・コクラン:米オレゴン生まれの中国系米国人で、台湾在住経験あり
「母は中国人、父は米国人。子ども時代を台湾の熱帯地域の島で過ごした。数年後、米国に引っ越した時、他の人が私をどう見ているか気になって仕方がなかった。多くの点で、台湾で育った思い出が私のアイデンティティーを形成し、何年かあとに、自分の道を歩みだしてからも、(当時のことが)いまも強烈な印象として残っている。私のアイデンティティーは、私が人生について考えてきたことの一部になっている」
ルル・クオ:台湾生まれ
「私は自分がふつうの女の子であることをみんなに知ってほしい。他の米国人の女の子と何も違っていない。私たちはみんな女の子だし、人間だ。一生懸命に働くけれど、それはアジア人だからではなく、目標を達成するために頑張ったのだ。人にどう見られるかは確かに気になる。私のことを、外見からだけでなく、私の仕事を通して知ってもらいたい」
ヒシャム・アキラ・バルーチャ:新潟生まれで、両親は移住した日系ミャンマー人
「私は、米国に住む日本人の友人とうまく付き合っている。というのは、私たちの多くは日本より米国での暮らしの方が長く、乗り越えなければならない文化への適応についてよく話をするから。話し方や日本流のマナーで人とはうまくやっているけど、仕事でプロジェクトに取り組む時は私の中の西洋文化を採用して自分の意見をしっかり述べた方がしっくりくる。米国に移住した日本人たちは、小さな島国の文化に留まらず広い世界とつながることができる」
イリ・フェルナンデス:米国生まれで、両親はフィリピン人
「両親が居心地のいい故郷を離れて米国に来なかったら、そして彼ら以前の米国人と同じようにここの一角に根付かなかったら、今の私はなかっただろう。経験が、そのことを私に教えてくれている」
ダンアー・キム:韓国のソウル生まれで、両親は韓国人
「移民の子であることには、それなりの難題があるけど、両親(が抱えていた問題)と比べたら、たいしたことではないと思っている。私は二つの言語使えるようになり、異なる文化を知ることができたことに感謝している。たとえ、それが人生をより厳しいものにしたとしても、それが私の世界を大きくしてくれた」
マット・フイン:ベトナム人の両親のもと、オーストラリアで生まれて米国に移住
「私はいまの暮らしの中で、ベトナム人として、また移民として、私の家族の文化を反映する具体的な実例に直面すると、故郷に戻った感覚と根なし草的な頼りなさという感覚の両方を覚える。私は米国に住むベトナム系オーストラリア人の1世として、移民一家出身の移民と自覚し、遠い将来にまで及ぶ戦争の影響を背負って生きている」
ダドゥ・シン:韓国人の両親のもとで生まれた移民2世の米国人
「アジア系米国人として、私はずっと、私を排除しようとしがちな地域社会に同化しようとしてきた。白人米国人の同僚の中では、私はいつも異質な文化の表徴だった。韓国の仲間からすれば、私は彼らと外見がたまたま似ているだけの外国人だ。彼らにとって私は外国人だったし、私にとって彼らは外国人だった」(抄訳)
(Antonio de Luca and Jaspal Riyait)©2020 The New York Times
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