米西海岸の海で、謎の消耗性疾患により大量のヒトデが死んだ原因を私が調べ始めたのは、6年前のことだった。
今も、それは続いている。しかも、20種を超えるヒトデに広がった。海藻の健全な群生に重要な役割を果たす生き物が、絶滅するようになった。すると、「海藻の森」も破壊され、そこに育まれてきた生物の多様性も失われている。
原因は、あるウイルスと考えられている。
この現象の前に、私はメキシコのユカタン半島や豪州、太平洋のパラオで、サンゴ礁の崩壊を見ている。サンゴが、細菌性の感染症に冒されるようになったからだ。現在は、カリブ海のサンゴの被害がひどい。こちらは、強い伝染力を持つ致死性の微生物病原体が引き起こしているようだ。
海で急速に広がる感染症を研究する海洋生物学者として、世界的な蔓延(まんえん)となるいくつものパンデミック事例にも接している。病原体がもたらす荒廃を目の当たりにし、海水温の上昇に伴ってこうした光景が増え続けていることも認識している。
一方で、これに対抗して生物が示す驚くべき適応力と防御機能も見ている。ヒトデやサンゴ、アワビが、教えてくれる。人間と同じように回復力を持ち、免疫力を発揮して解決する抜け目なさも備えていることが、相次いで分かるようになった。
そして今、陸上でもパンデミックが猛威を振るっている。新型のコロナウイルスが世界中で多くの死をもたらし、収まる気配がない。そこからただ一つよいことが生じるとすれば、病原体とその宿主についての探究心が深まることだろう。より安全な世界を目指して、自然が備え持つ最良の防御機能を見つけ出し、活用していくことになろう。
海は、そのよい出発点となる。
私たちは目下、病気と闘う海洋の力を探っている。いくつかの海の生息環境には、強大なパワーが潜んでいるようだ。
インドネシアの熱帯の海。私たちの調査チームによると、海草が草原のように広がるところでは、病原菌とサンゴの病気が半減していた。この病原菌は、もともとは下水から来ており、人間にも野生の生物にも害を与えていた。
そこで、米北西部・ワシントン州の大都市シアトルに面するピュージェット湾に目を向けた。そして、都市との隣接域にある海草の草原が、病原体を減らすのに秘めている力に迫る研究に着手した。
海草が活発に作り出す酸素が、病原体と闘う防御ラインの一つになっているのは確かだろう。でも、それだけではない。海草に付着するさまざまな微生物の役割についても調べている。
この草原に潜む、病原体と闘うための極めて重要な防御要素を抽出して、ある日、医薬や食生活に生かせるようになったと想像してみてほしい。
海洋は、これまでも長期にわたって新種の抗菌剤や抗がん剤を生んできた。トラベクテジン(訳注=抗腫瘍〈しゅよう〉薬の一種)は、カリブやフロリダのマングローブの海にいるホヤの一種から抽出され、脂肪肉腫(訳注=悪性腫瘍の一種)に効く。藻から抽出されたカラギーナンは、ヘルペスやインフルエンザのウイルスに抗力がある。
海草の草原がある海の近くに住む人は、下水によく見られる(訳注=ボツリヌス菌などの)病原性クロストリジウム属菌やブドウ球菌といった危険な細菌からよりよく守られているということが分かれば、それだけでも朗報になるだろう。
保護海域にあるサンゴについても、捕食するエサの生態系がしっかりしているほど、病気にかかる率が低いことが分かっている。複雑な要素が絡み合ってはいるが、その生態系を守ることができれば、病原体の侵入をはね返すことができるかもしれない。それは、人間がいる生態系にも応用できるのかもしれない。
冒頭の話に戻ろう。太平洋のヒトデを襲う伝染病の研究は続いている。かつてよく見られたニチリンヒトデは、絶滅の恐れがあると見なされるようになった。
一方で、(訳注=潮が満ちると水没し、引くと海から出てくる)潮間帯の海岸に生息する紫色のヒトデ(intertidal ochre sea star)は、持ちこたえている。抵抗力をつけたからなのだろうか。では、どうやって……。科学者は、なんとか突き止めようとしている。
アワビも興味深い存在だ。青い血が流れるこの「海のカタツムリ」は、ウイルスと闘っている。血液を青くするたんぱく質には、口唇ヘルペスや性器ヘルペスの感染を抑制する機能があることが、最近の研究で判明した。この2種を含む単純ヘルペスウイルスが、細胞に入り込むのを阻止しているのだ。
さらに、私たちが注目しているのは、ワシントン州北部からカナダ・ブリティッシュコロンビア州の南部にまたがるセイリッシュ海(訳注=先に出てきたピュージェット湾の北方にある)にすむサケだ。
新たな研究で、コロナウイルスに感染していることが分かった。しかも、陸上で猛威を振るう新型コロナCovid-19や、その前にはやったMERS(中東呼吸器症候群)、SARS(重症急性呼吸器症候群)のコロナウイルスと同じグループに属している。やられる部位は、えら。哺乳類に感染するコロナウイルスが呼吸器疾患を引き起こすのと似ており、「タイヘイヨウサケ・ニドウイルス」と呼ばれている。
この病原体の広がり方と、宿主のサケが防御機能をどう作り出すかをさらに調べれば、コロナウイルスの作用特性や、その感染拡大を食い止める方法についての理解が進み、人間への感染を減らすことにつながるかもしれない。
こうした事例は、新たに発生した疾病から身を守る術を見つける手助けになるのではないか、という期待を抱かせてくれる。それを実現させるには、自然界で病原体と闘うプロセスがどう営まれているかをさらに解き明かさねばならない。
残念ながら、新型コロナは初期に感染拡大を抑え込むのに失敗し、パンデミックになってしまった。このウイルスは、ものの見事に最高の科学の防御ラインをすり抜けた。地球上で最も進歩した存在である人間は、互いに一定の距離を保つか、家にこもるかのみじめな状態に追い込まれている。
最終的には検査やワクチンを活用して私たちが勝つにしても、現時点でのウイルス側の勝利は、人間の思い上がりへの痛烈なメッセージであろう。
今後は、基礎的な研究を重点的に進め、何がこの病原体の出現をもたらしたのかを探っていこう。科学的な理解を深め、テクノロジーを駆使し、力を合わせてこうした重大な危険から私たちを守ろう。
そのためには、野生の動植物の世界で感染症がどう広がっているかに、もっと注目する必要がある。
今回のような陸上でのウイルス発生の謎を解明し、海での謎も解く。そうして力を合わせれば、地球の生物多様性を守ることができるに違いない。
そればかりか、次のパンデミックから私たちを救うことになるのかもしれない。(抄訳)
(C.Drew Harvell)©2020 The New York Times
編集者注:筆者のC・ドルー・ハーベル(C. Drew Harvell)は、米コーネル大学の教授(生態学、進化生物学)。「Ocean Outbreak: Confronting the Rising Tide of Marine Disease(海で大発生:上げ潮の勢いで広がる海洋疾病との対決)」の著書がある
ニューヨーク・タイムズ紙が編集する週末版英字新聞の購読はこちらから