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パイロットになる夢は封印 日本人初のNFLプレーヤーにかける

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アメリカでのプレーを目指す李卓さん

■幼い頃から「世界」が周りにあった

――李さんは今年2月にCFLの日本での選考を突破しました。その後、どんな過ごし方をしていましたか?

3月末に開催されるはずだったカナダでのコンバインに向けて渡米して、ロサンゼルスの施設で本場の選手たちと一緒にトレーニングしていました。新型コロナウイルスの影響でコンバインも延期になり、帰国しました。CFLが9月の開幕を目指していることだけは情報が共有されているんですが、詳しいことは分かりません。正直、不安もあります。でも、もしコンバインが開催されることになれば自信はあるので、それを信じて準備します。

――最初に「世界」を意識したのはいつですか?

名古屋市内で生まれ育ったのですが、幼稚園がインターナショナルスクールだったんです。自分のルーツが韓国で、日本に住んでいることもあって、幼少期からいろんな国の人がいて言葉の違う環境が普通でした。その時期に、世界というものを意識したのかなと思っています。小学校は日本の学校に入りましたが、ドメスティックというか。それを機に「あっ、自分はいま日本にいて、日本の学校に通ってるんだ」「周りとはちょっとルーツが違うんだ」と自覚した気がします。

――南山中学校でアメフトを始められましたが、そのきっかけを教えて下さい。

小学校まではずっと剣道とテニスをしていて、サッカーと野球もかじりました。水泳もしていました。中学でも剣道かテニスかなと思っていたのですが、剣道部が週1回だけの活動で、テニス部は人数が多くて下級生は練習できないと聞いて。友だちに誘われてアメフト部の体験入部に行ったら、見せてもらったNFLの映像がめちゃくちゃカッコよくて、「あ、これやりたいな」と思いました。

次の日も行ったら、フラッグフットボールの体験会だったんです。QB(クオーターバック)が面白そうだなと思ったんですけど、じゃんけんで負けてRB(ランニングバック)になっちゃって。分からないままやったら、顧問の先生が「お前はガッツがあるからいい選手になれるぞ」って。甘い言葉に乗せられて入った感じです。

(QBはオフェンス(攻撃)の司令塔役で、パスも投げる花形ポジション。RBはQBからボールを受け取り、味方が相手に体当たり(ブロック)してつくってくれたスペースをめがけて走る)

■空港で「世界を股にかける仕事」にあこがれ

――航空機のパイロットになるという夢を抱いたのはいつごろですか?

夢が具体的になったのは中学生ぐらいです。小学生のときに岐阜県各務原市にある航空宇宙博物館によく連れて行ってもらう中で、最初は漠然とした男の子のあこがれという感じでした。姉がアメリカの大学に進んだので、僕が中学生のときに空港へ送り迎えに行くことがありまして、そのときにパイロットの人を見かけて、こういう風に世界を股にかけるような仕事に就けたらカッコいいなと。そこから自分で調べて、パイロットになりたいと思いました。

――その夢を持ち続けられたのはなぜだと思いますか?

自分が描く将来やりたい仕事にマッチしていたからだと思います。幼稚園でインターに行っていたのもあったし、世界を舞台にというか、広い価値観と概念で仕事をしたかったというのがありました。国際的な、国際色のある仕事に就きたいなというのがあって、それに飛行機を飛ばすっていうのはすごくカッコいいし面白そうだし。知れば知るほど惹(ひ)かれていった感じです。

――アメフトの選手としてのターニングポイントはいつなんですか?

南山高校2年生の夏に「パシフィック・リム・ボウル」に出たことです。関西と東海地区の高校生で選抜チームをつくってアメリカのオレゴン州アシュランドに遠征して、1週間ホームステイをして、向こうのハイスクールと試合をしました。僕はまだ無名で、実力もそんなに備わってなかったので、RBで選ばれたのにRBでは試合に出られなかったんです。それがすごく悔しくて、そのときのメンバーに成長した姿を見せたいなと思ったし、俺はこんなにやれるんだぞというのを見せたかった。そこから奮起して、高校2年の秋と3年の春にすごく成長できたかなと思っています。

■強豪校に行くより、強豪校を倒したかった

――いろいろな大学から誘われた中で慶應義塾大学を選んだのはなぜですか? パイロットになる夢とはどう折り合いをつけたんですか?

いろいろ調べていくうちに、4年制の大学を卒業してからパイロットになるというのが主流だと分かりました。スポーツ推薦の話もいくつかいただけましたが、推薦で関西学院大学や立命館大学といった強豪校に進むのは、あこがれもありつつ、何かちょっと普通だなっていうのがありました。自分は弱小チームで頑張ってやってきたというプライドもあって、何か違うことがしたかったというか。そんなときに、慶應から声をかけていただいて。関東の中堅チームに行って強豪を倒して日本一になったらすごくカッコいいんじゃないかと思って、慶應に決めました。

――大学3年生でリーグのリーディングラッシャー(ラン獲得距離1位の選手)となりましたが、3年間は目標の学生日本一には届かないまま。就職活動の時期を迎えましたね。

3年生の1月から日本航空(JAL)のインターンに参加しました。そしてJALだけ受けて、4月の春のアメフトシーズン前にはパイロット訓練生として内定をいただきました。

高校3年のときに京大アメフト部の当時の監督だった西村大介さんと話す機会があって、将来はパイロットになりたいということを伝えたら、「パイロットに必要なのは決断力だと思う」とおっしゃって、ハーバード大学のフットボール選手と話したときのことを教えてくれたんです。彼らは「僕らはいつかリーダーになる。そのときに必要なリーダーシップや決断力を養うにはフットボールが一番だ」と言ったそうなんです。だから、僕もフットボールを一生懸命やっていたらパイロットに必要な資質は養えるのかな、っていう漠然とした思いを持って取り組んでいました。

――4年生の秋のシーズンはリーグ最終戦の法政大戦に勝てば66年ぶりの甲子園ボウル出場へ大きく近づく状況でしたが、負けて涙をのみました。主将として迎えた最後の一年を振り返って下さい。

僕の入学と同時に就任したヘッドコーチのデイビッド・スタントさんのもと、勝つチームの基盤はできたと感じていました。4年のシーズンは、これまで負けてきた相手に対して「俺たちは勝つ、勝てるんだ」という勝者のメンタリティーを根付かせることに取り組みました。

チームに対しての愛着心やロイヤリティーをつくるために、いくつか取り組みをしました。それまではほかの大学のTシャツを着て練習している人もいたんですけど、それを禁止して慶應のチームウェアを着用するようにしました。またラグビーの日本代表を参考にして、チームスローガンの「覚悟」という文字が描かれたパズルを用意しました。コーチ、部員のそれぞれがパズルのピースを持っていて、試合に勝つために心身の準備が整ったと感じたときにピースをはめる。全員の決意をパズルとして作り上げることで、それまで見えなかった一人ひとり、そしてチームの自信を目に見えるものとして築こうとしました。前年までとは違う自信にあふれた強気の慶應で試合に臨めていたと思います。それだけにどうして負けたのか、あの試合から3年以上経ったいまでも、ときどき考えてしまいます。

■JALの同期が背中を押してくれた

――2017年の春にJALに入社し、クラブチームのオービックシーガルズでアメフトを続けます。そして1年半で退社することになりますね。

高校時代からアメフトで世界にチャレンジしたい気持ちも強くて、「どうしよう、どうしよう」という状態のまま入社した感じです。そのまま1年半が過ぎました。

同期のパイロット訓練生が60人いて、全国各地の空港に散らばりました。僕は成田でしたが、同じ寮の同期メンバーに、よく相談していました。その中の一人に、まず商社で働いて、退社して崇城大学でライセンスをとってJALに入社した29歳の同期がいたんです。彼は「僕が会社を辞めて訓練していたときに30歳を超えた人もいた。卓はまだまだ若いから、フットボールを思う存分やったあとにチャレンジしても、可能性は十分にあるし、俺は応援するよ」って言ってくれました。ほとんどの人が背中を押してくれました。人生は1度きり。本格的な訓練が始まる直前のタイミングで退社することにしました。

――NFL選手を目指す挑戦には、どんな思いが込められているのですか? 日本人最初のNFL選手に、という気持ちが強いですか?

アメリカでは「日本人にやれるのか?」みたいな目で見られるんです。そこでやってのけたときに認められるとか、驚かれるというのが面白いし快感です。今回のカナダでの挑戦でも現地の人たちを驚かせたい。国内でどれだけ頑張ってもなかなか注目されないので、世界で活躍するしかないなって思います。日本のフットボールが発展するにはそういう選手が出てこないといけないし、自分がそういう存在になりたいと思っています。

――あなたはタックルされても絶対に足を止めません。毎プレー、タッチダウンをとることをあきらめてないのではないかと思いながら見ています。

RBとしてボールを持ったら全プレー、タッチダウンまで持っていくつもりでやっています。それはもう高校生のときから一番大事にしていることです。誰が見ても単純に「すごい」と思うようなプレーができれば、アメフトの面白さが伝わるはずです。個人技ですよね。そういうプレーをやってのけたい。そのためにも、全プレーでタッチダウンを狙い続けます。