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ウイルスの時代、私たちは隔離不能なつながりの中で生きていると知る

ニューヨークタイムズ 世界の話題
UNDATED — BC-OPED-MARDER-CORONAVIRUS-GLOBAL-ART-NYTSF — The Coronavirus Is Us. (Jon Han/The New York Times)--ONLY FOR USE WITH ARTICLE SLUGGED — BC-OPED-MARDER-CORONAVIRUS-GLOBAL-ART-NYTSF — OTHER USE PROHIBITED
コロナウイルスは私たちだ=Jon Han/©2020 The New York Times

新型コロナウイルス(COVID-19)の流行はすでに地球規模の危機といえるほどで、いくつかの国では大きな不安やパニック状態まで起きている。金融市場は混乱し、最悪の死者まで相次いでいる。今のところじっくり省察するゆとりもないまま、今回の危機が私たちに何を告げようとしているのか――私たちの身体に、また社会や政治システムに、さらに国境を超えたインターコネクトネス(相互接続)といったことに関して――ほとんどの人が思考停止状態に陥っている。だが、こうしたことについて語ることはきわめて重要なことだと私は思っている。

今回のウイルス禍の発生よりずっと早くから、世界各地で壁を築いて国境を封鎖する事態が、米国とメキシコ、イスラエルとパレスチナ、ハンガリーとセルビア及びクロアチア、その他の地域で相次いでいた。復活したナショナリズムは、壁で遮断された政治体制の中で「国民の純粋性を守る」という不可能な理想を掲げ、移民の脅威と社会の汚染を叫んで自己増殖している。

人々の移動を困難にしている国境の閉鎖は、今日では新型コロナウイルスの感染対策として強行されている。表面上は医学的手段としての封鎖だが、政治的な理由による壁の建設と論理的に共鳴する象徴的な対策といえる。防疫のための境界閉鎖であれ政治的な境界閉鎖であれ、いずれも市民を安心させ、人々に「安全」という幻想をばらまく。

しかし、いずれも肝心要の問題を無視している。すなわち国境を超えた統治と意思決定――これは気候変動や移民問題、パンデミック、さらに税金逃れといった経済的な犯罪に至る問題に取り組むうえで極めて重要なことだ――が希薄であることだ。

A covid-19 coronavirus patient poses for photo looking out from her front door at her home as she is being quarantined. A 40 years old lady who doesn
コロナウイルスに感染したためオランダの自宅に隔離された40歳の女性。イタリア旅行から帰国し、検査の結果、陽性が判明したという。名前は明らかにしていない=2020年3月17日、Sipa via AP Images

サバイバリズム(生存主義)は常にたちの悪いナショナリズムと軌を一にしてきた。その核は「自立」と「完全独立」と「自律」というフィクション(幻想)であり、ロビンソン・クルーソーのように、彼(この「彼」という性別は、ここでは偶然的な表記ではない)やおそらく彼の家族を救うことができる強さと賢さを備えた個人というフィクションである。選ばれた少数の者だけが救済される神学の教義に倣って、今日のサバイバリズムの傾向も環境、地域社会、経済、その他の生活面から少数の人間を選び取る。

あるところでパニックが起きると、人びとはとっさの政治的なジェスチャーをまねるように周囲との間に壁を作ろうとする。ごく少数の超金持ちは「滅亡の日」に備えて豪華貯蔵庫を用意しているけれど、人びとは食料品や医薬品の買いだめに走る。だが、新型コロナウイルスではっきりしたことは、サバイバリストのフィクションとは逆に、境界は穴だらけであるという事実だ。いかに強固な壁を築いたところで、境界は無機質な壁というより「生きている膜」のようなものだ。効果的に外部と遮断しようとする個人や国家は、やがては死んだも同然となるだろう。

A general views shows busses parking in front of the cruise ship Diamond Princess, at Daikoku Pier Cruise Terminal in Yokohama, south of Tokyo, Japan February 20, 2020. REUTERS/Athit Perawongmetha
横浜港のダイヤモンド・プリンセス号(2月20日)=ロイター

ウイルスは静かにみえる地球上のどこかで時々起こる脅威的な発生という以上のもの、すなわちウイルスは現代社会および政治世界の形象でもあるのだ。私たちは皮肉っぽくこう言うかもしれない。「そのバグ(コンピュータープログラムの不具合・欠陥)は不具合ではなく、もともとそういう仕様になっている」と。今回のシンボルは、物理的な壁よりずっと捉えにくいもので、クラウン(コロナ、光冠、王冠)と呼ばれる。

COVID-19は野生動物からヒトへの感染性をもったRNA(リボ核酸)タイプのウイルスだ。その特性が示すように、COVID-19は自然分類(natural systems of classification、訳注=生物を自然界における類縁関係に従って分類すること。各生物の進化の過程を考えて系統的に分類することを目標とする)にも「種の境界」(species boundaries、訳注=一つの種は本来的に他の種との遺伝子交換を妨げる障壁を備えている)にも従わない。球形状のウイルスの表面から先端が太い棒状の突起が出ていることから「コロナウイルス(冠状ウイルス)」の名がつけられた。クラウンを指すラテン語の「コロナ」に由来する。コロナの語源はギリシャ語の「コロネ」だ。

クラウン(コロナ)という名は、その卓越した支配力を有する特性から、多様な生物種間の境界を越え、生死の領域をも越える微生物に付けられた。古い境界をやすやすと越えて、ウイルスは権力が分散した時代に一つの支配権を持つに至った。その支配力を理解するには、今日の権力がどう機能しているか、そこを垣間見ることだ。

ウイルス活動の一つは、ホスト(宿主)となるセル(細胞)やコンピュータープログラムに侵入してそのテキストを書き換えることにある。もう一つは自分を複製してできるだけ拡散させることだ。ソーシャルメディアの世界では、誰もがこの二つのことを欲している。写真、ビデオ、それにジョークや物語もシェアされ、インターネットや携帯電話の利用者の間で拡散される。それは「go viral」(訳注=ゴー・バイラル、viralはウイルスが引き起こす、の意で、コンピューター用語で「急速に拡散される」を意味する)と呼ばれている。だが、ウイルスによるコンテンツ複製の割合が高くなっただけでは不十分で、侵入したテキストを書き換えてインパクトを与える必要がある。最終目標は拡散した画像や話を通して影響力を行使し、それを広げることにある。

「急速に拡散させる」は、私たちのウイルスとの情緒的関係にかなりの複雑さを持ち込む。つまり、私たちはウイルス攻撃のターゲットにされたり侵入を許してしまうホストになってしまったりするのではないか、と恐れる一方、ウイルスが多くの人びとに手を届かせる自分の道具になるなら望ましい、と。

インターネットにおける「急速な拡大」と新型コロナウイルスの「世界的大流行」の比較は、こじつけではない。最近の伝染病は世界的な広がりを見せている。これは団体旅行、留学や専門家の交流、遠距離恋愛、文化やスポーツの国際交流など世界中の人びとが大量に移動し、身体的な交流が増えてきたことによる一つの結果である。ウイルスは最初の発生が見られた地域を越え、大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号や旅客機、列車、ホテルにも広がった。言い方を変えれば、人はその画像やメッセージをよそに送り届けただけでなく、自分自身まで送ってしまったのだ。

好むと好まざるとにかかわらず、私たちは存在のあらゆるレベルで異質な要素の宿主になっている。そのうえ、宿主としてもてなす異物に私たち自身が傷つくリスクを常に抱えている。そのリスクは消えることがない。「独立した国民国家」や「自立した個人」という亡霊にしがみつくよりも、私たちは通信技術を利用して幻想的あるいは観念的につながっているだけでなく、直接的な身体的接触でつながっている世界に生きていることを学ぶ必要がある。手短に言えば、私たちはいつでも「急速にウイルスが拡散しかねない」現実の中で生きていくことを学ばなければならないのだ。(抄訳)

Michael Marder(スペイン・バスク大学哲学教授)©2020 The New York Times

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