生前は、古代エジプトの神官だった。テーベ(訳注=当時の首都、現ルクソール)のカルナック神殿で祈りや呪文を唱えた。死に際しては、儀式にのっとってミイラにされ、ひつぎに納められた。
そして、死後3千年もたって、その声の一部がよみがえった。
この神官の名は、ネスヤムン(Nesyamun)。ひつぎには、名前とともに「真実の声」との銘が記された。それが、ミイラの声道(訳注=のどから唇まで、発せられた音が通る空洞のこと)を3Dプリンターで再現するという最新技術によって復活しようとしている。
「自分の声が何らかの形で永久に保たれるように本人は望んでいた」とロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校の音声科学の専門家デービッド・ハワードはいう。
ハワードらの研究チームは、ネスヤムンをCTスキャナーにかけ、口とのどの部分を3Dプリンターで復元した。それを人工的な電子喉頭(こうとう)につなげ、「ひつぎの中にいる本人の喉頭(訳注=のどぼとけがある部分。空気の通り道で、発声などを担う)が再び機能するようになったとしたら、声道から発せられるはずの音を再現した」とハワードは説明する。
今のところは、単音を合成できたに過ぎない。英語のbadの「a(ア)」とbedの「e(エ)」に似た母音で、この実験結果の論文は2020年1月、オンライン学術誌「サイエンティフィック・リポーツ」で発表された。今回の成果は、古代の人の声を再現して聞き取る手法を開発する出発点になるのかもしれない。
研究チームはまず16年9月、英リーズ市の市立博物館にあるネスヤムンのミイラ(ここで約200年前から保存されている)を近くの病院でCTスキャナーにかけることから始めた。その結果、のどのほとんどの部分は、損傷を受けていないことが分かった。
「成否のカギは、ミイラ処理のできばえだった」と英ヨーク大学のエジプト学者ジョアン・フレッチャー(発表論文の執筆者の一人)は語る。「最高の保存術が施されていたおかげで、ネスヤムンの声道は素晴らしい状態を保っていた」
CTスキャンをもとに、喉頭から唇までの声道の複製を3Dプリントで作った。次にハワードは、アイスクリームを売る車に付いているのと同じような拡声器を利用し、ラッパ状の部分をはずして声道の複製と取り替えた。その上で、拡声器をコンピューターにつなぎ、普通の音声合成装置で使われているのに似た電子的な波形を作り出せるようにした。これが、人工的な喉頭として機能した。
声を出すのと同じ順序で全体を作動させるとこうなる。まず、コンピューターソフトで発声音を作り、拡声器を介して3Dプリントした声道の複製を通す。すると、あの母音が聞こえた。
「もちろん、現時点ではネスヤムンは話をするところまでは行っていない」とハワードはいう。「ただし、いつの日かは、本人の声とできるだけ似せて言葉を発するようにできることを、この実験結果が示唆しているのは間違いない」
今後、改良すべき点も分かっている。コンピューターソフトを修正して、舌の大きさや動き、あごの位置といった要素をさらに調整すべきところがまだあるのだ。
「それが、自然な帰結にもなると考えてほしい」とリーズ市立博物館の学芸員キャサリン・バクスター(論文の共同執筆者でもある)は語る。「ひつぎに記されている通りに、ネスヤムンが自分の言葉で話せるようになるかどうかということなのだから」
もしそうなれば、博物館を訪れた人に、ミイラが古代エジプトの天空の女神ヌトに捧げる詠唱を聴かせることになるのかもしれない。
「おお、母なるヌトよ。その翼を私の顔の上に広げ給え。さすれば、私は破滅を知らぬ星のようになり、疲れを知らぬ星のようになり、再び墓地で死の眠りにつくこともないであろう」
この論文について米ゲティ研究所の生考古学者ローズリン・キャンベル(執筆には関わっていない)は、研究の限界と、過去を再現する複雑さを執筆陣がよく認識していると指摘し、「とても魅力的だ」と評価する。
何よりも、ネスヤムンの声を再現し、どういう人だったのかを少しでも明らかにしようとするその姿勢に共感する。単に(訳注=遺体をいじって)過去を研究するのではなく、「(訳注=本体を傷めない方法を採り)命を敬った上で、現代の一般人にもよく理解できるように昔のことを解明するという倫理的な配慮がなされている」と思うからだ。
一方、イタリアにある認知科学・技術研究所の音声科学の専門家ピエロ・コシは「興味深いが、まだ推測の域を出ていない」と批判する。2016年に「アイスマン・エッツィ」(訳注:アルプスの氷河で見つかった約5300年前の男性ミイラ)の声を復元した研究チームの一員だ。
「仮に、ミイラの音声システムの精密な立体構造を得たとしても、それだけではもとの声を正確に再現できることにはならないだろう」と話す。
米カリフォルニア大学ロサンゼルス校のエジプト学者カーラ・クーニーは、今回の結果が示す将来性を認めつつ、それがどう使われることになるのかを懸念する。
「ある人間が、どんな格好や声をしていたのか。あまりに多くのことを推測していると、今は思いもつかないような方法で、計略などに悪用されてしまうことにもなりかねない」(抄訳)
(Nicholas St.Fleur)©2020 The New York Times
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