「なにしろ熱帯の国だから、こういう気象条件には慣れていない」
ブラジルの建築会社「Estudio(スタジオ) 41」の主任建築士の一人エメルソン・ビディガルは、こういう。
気温は、カ氏マイナス60度(セ氏マイナス51度)よりも下がる。最大瞬間風速は、毎時100マイル(約160キロ)にもなる。
そんな南極に新たに建てられたブラジルの観測基地「コマンダンテ・フェラス研究所」の建築を設計した。基地は、8年前の火災でいったんは失われたが、再建されて2020年1月に開設(訳注=1月15日に記念式典が催された)。2棟の低層の建物には、研究室や活動支援部門と居住空間が入る。
それだけではない。外観に驚かされる。まるで美術館か、おしゃれなブティックホテルのようにすら見える。
20世紀を通じて、南極の建築物といえば、自然の厳しさを締め出し、居住者の命を守るという実用性がまず問われた。あとは、ほとんど付け足しの代物でしかなかった。
1959年に結ばれた南極条約は、この大陸では調査研究だけが認められることを定めた。以来、駐在する研究者の数は増え続け、任務も複雑になるばかりだった。一方で、建築物といえば、技師が担当する時代が続いた。
それが、今や建築設計士を魅了するようになった。機能性、耐久性、省エネ性とともに、世界で最も寒いところに美学をもたらした。
「建築士としては、住む人にとっての居心地のよさも考えたい。だから、そこで満足して暮らしてもらえる雰囲気作りを追求した」とビディガルは語る。
南極で初めての常設建築物の一つは1902年、英探検隊によって建てられた。木造の小屋で、寒気が入るのを防ぐために、内部にフェルト地の布をはりめぐらした。それでも、「船内と比べれば、隙間風がひどく、とても寒かった」と隊員だったアーネスト・シャクルトンは後に振り返っている。「だから、最初の年は居住することは不可能だった」
しかも、雪が積もってドアが使えなくなり、窓の一つから出入りせねばならなかった。
そんな仮設のような建物の時代が、何十年も続いた。
英科学学会の王立協会は56年、観測基地「ハリー」を開設した。しかし、61年までは雪に埋もれた状態が続き、68年には閉鎖された。代わりに、鋼材も使った第2基地が67年に造られたものの、耐用年数はもっと短く、73年までしかもたなかった。第3基地の寿命は11年、第4基地は9年で、第5基地はなんとか15年近く生き永らえた。いずれも建て替えごとに、極地ゆえの多くの費用と複雑な作業が必要だった。
ハリー第6基地が必要になると、南極の調査研究にあたっている英国南極観測局は2005年、新手を打ち出した。王立英国建築家協会と共同で設計コンペの実施に踏み切ったのだった。勝ったのは、ロンドンの建築事務所「ヒュー・ブロートン・アーキテクツ」。少なくとも20年は使用に耐える設計になっていた。
まず、外観に目を奪われる。さらに、居住性も作業環境も向上した。油圧装置が付いた支柱の上に建物本体が乗っており、雪が吹き寄せても、支柱を伸ばして埋もれないようにすることができる。基地は(訳注=安定性に欠ける)棚氷の上にあるため、全体を別の場所に移動できるようにもなっている。それぞれの支柱に、スキーの板にあたるものをはかせているからだ。
「かつては、悪天候をしのぐことばかりにとらわれていた」とブロートンはいう。「建物を担当する技師は、『こんな気候で、風速はこうで、この種の制約がある』と吹き込まれていた。しかし、今は違う。居住性と作業効率のいずれをも改善する建築が問われるようになった」
他の国々も、その必要性に気づき始めた。
18年に開設されたスペインの新しい基地も、ブロートンが設計した。ハリー第6基地と同じように、デザインが目を引く。基本となる建物を組み合わせており、繊維強化プラスチック製の赤いパネルで覆われた外観が強烈な印象を与える。
こうした建築物は、この地球で最も過酷な環境に耐えねばならないだけではない。わずか12週間の夏季に資材を搬入し、組み立てねばならない時間的な制約もある。従って、ほとんどの場合は、何年かをかけて完成させていくことになる。
インドの国立南極・海洋研究センターが新しい観測基地を建てることを決めると、委託されたドイツの建築事務所「Bofアルヒテクテン」は、建設効率を上げる方法を新たに見いだした。コンテナに資材を満載して南極まで運び、空のまま持ち帰るのではなく、コンテナを建物の一部に組み込んだのだった。
「単に『さあ、南極に基地を建てるぞ』といっていればいいだけのことではない。建築士も、そのプロジェクトに重要な物質的、経済的な貢献を果たすべきだ」とBofの共同経営者の一人、ベルト・ビュッキングは語る。
米国の南極観測網にとっては、急を要する問題でもある。
最大の拠点マクマード基地。1956年に海軍施設として急造されてから、つぎはぎ式に拡張されており、大幅な建て替えの必要性に迫られている。
「現地調査に出かける準備だけでも、訓練はこちら、装備をそろえるのはあちら、雪上車は別のところにあり、給油するにはさらに移動せねばならない」。米国立科学財団(NSF)が推進する観測基盤近代化事業の担当責任者ベン・ロスはこう嘆く。だから、向こう10年をかけて、マクマード基地の諸機能を最新化することにしている。
ロスは、現存施設を「エネルギーの大食漢」と呼んでいる。
そこには、調査現場を抱える前線拠点にとっての問題が潜んでいる。マクマード基地の建物群の維持に多くをかけるほど、「フィールドワークに出る調査員に振り向けられるものが減ってしまう」とNSFの南極研究担当アレクサンドラ・イサーンは唇をかむ。
新しいマクマード基地は、どうあるべきか。NSFは2012年、その青写真を米デンバーの建築事務所「OZアーキテクチャー」に託した。現在はこれとは別の建築士や施工業者のチームが、青写真をさらに詰めている。
その結果、「心身ともに快適になるために必要なものが確保されることになるだろう」とNSFのロスはいう。具体的には、フィットネスセンターやラウンジの新設を含めて、居住性の改善が図られる。
英国のハリー第6基地の設計にあたったブロートンは、「これほど短い間に、取り組み方がこんなに大きく変わるとは」と感慨深げだ。
インドの新基地を設計したドイツのビュッキングは、こう語る。
「ハリー第6基地が、火を付けた。単に新しければいいのではなく、とても新しいものが必要なことに、多くの国が気づいたんだ」(抄訳)
(John Gendall)©2020 The New York Times
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