――今年のダボス会議は「持続可能な世界に向けたステークホルダー」が主なテーマになりました。
「最近の5~10年、いや15年ぐらいはこれらが議題であり続けてきました。今回は、環境活動家のグレタ・トゥンベリさんらが声を上げたことで、ますます切羽詰まった課題に躍り出ました。しかし、現段階では、全員が力を合わせるにはまだ利害対立を抱えています。ダボスは歴史を論じる場ではなく、ビジネスや市民セクター、研究者、政府関係者が集うところです。この幅広いコミュニティーが、一定の経済成長の必要性と、持続可能性の間で引き裂かれています。少なくとも短期的には、その二つは矛盾せざるを得ないからです」
「エネルギーの移行と、高齢化が進む中での成長維持というチャレンジングな課題に、たとえばドイツが真正面から格闘しはじめたのは最近です。まじめにやろうとすればするほど、トレードオフがあらわになり、困難で時間がかかることが明らかになってきました。ダボスは、持続可能性をめぐるレトリックを操る場から、地に足のついた現実的な議論をする場へと変わっていると感じます」
――トレードオフを、もう少し具体的に聞かせてください。
「代表例は、ダボスで今回演説したドナルド・トランプ米大統領です。彼は米国に史上もっともすばらしい経済成長をもたらしたと言います。それは、天然ガス開発や海洋での掘削など旧来的なエネルギーのための規制緩和に集中したからだ、と。ダボスでもっとも声の大きい『広報担当者』が、まさに会議のめざすところと正反対のところに陣取っているのです」
「再生可能エネルギービジネスの、資本に対する収益率は5%ほどでしょう。資本を調達するコストをまかなうのがやっとのレベルです。一方、たとえば英石油大手BPなどの旧来型エネルギー企業は、高齢化が進む英国の年金に対して15%前後ものリターンを生み出しています。この低金利の時代に、ですよ。こうしたトレードオフが、やっと明示的な形で議論されだしました。森林火災あり、洪水ありと、気候をめぐる脅威が具体的に目に見えてきたことが、現実的な議論を促しています」
――めざすべきモデルとして「ステークホルダー資本主義」が掲げられていますね。
「短期的な利益や、GDP(国内総生産)のような合計の統計数値ばかりを重視する古い資本主義のなかで苦しんできた市民、つまり有権者の信頼を取り戻すために、新しい資本主義のモデルを求める動きが強まっています。古いモデルのもとでは地域的な特殊性が顧みられず、雇用の安定がないがしろにされてきたのに対し、もっと保護的な形の資本主義が模索されています。多国間の貿易協定ではなく二国間を重視し、外国投資をもっとコントロールし、あるいはときに通貨の操作まで含むような経済です」
「グローバル化した市場に対応するこれまでの株主資本主義は、株主へのリターンが絶対視され、顧客や従業員、環境がどうなろうと関係ありませんでしたが、その全員に資する形の資本主義がステークホルダー資本主義です。従業員、顧客、環境と株主。主な四つのステークホルダーの間にあるトレードオフを調整するためには、規制が要ります。あるいは課税が必要かもしれません」
――株主資本主義の典型例が米国と英国です。米国民がトランプ氏を当選させ、英国民が欧州連合(EU)からの離脱「ブレグジット」を選んだのは3年余り前。ほぼ同時期でした。
「きわめてはっきりとした理由があります。米英がグローバル資本主義の王者だったからです。米国の場合、北米自由貿易協定(NAFTA)で自由貿易の旗を振り、雇用を外に流出させるのにもちゅうちょしない。大企業が国外にマネーをため込んでおくのを許し、国内での納税を強制しない。株主資本主義の典型です。英国は、さらに規制緩和によるアプローチをとりました。課税を軽くする『底辺への競争』を進め、ものづくりよりも金融市場での信用拡大で経済を動かしました」
「そして次の段階で、『グローバル化2・0』とも呼ぶべき段階に入ろうとしていました。大西洋をはさんで、米欧が互いの規制を共通化して受け入れようとしたのです。オバマ政権時代の大きな構想で、英国はこれを強く支持し、メルケル独首相も賛意を示しました。市場がさらに開放される段階になって、すでに金融危機で痛みを感じていた市民が声を上げたのです。こんなのは好きじゃない、と。自分たちがほしいのは、株主の利益やGDPの数字ではなく、自分たち自身の安全を気にかけてくれる政府なんだと。グローバル化の最先端で反乱が始まったのです」
――株主資本主義を原動力としたグローバル化のエネルギーは以来、急失速しています。
「米英がリード役を降りるとなると、かつてならEUがその代わりになりえましたが、フランスやイタリア、スペインのポピュリスト勢力の存在もあり、どうやら難しい。インドも、そこまで自由市場というわけでもない。中国はそろそろ成長の限界に達しつつあり、自由というよりむしろ、もっとコントロールされていくでしょう。規制緩和による株主資本主義は限界に達しました」
「私たちは休息を欲しています。それは5年なのか、10年なのか、15年なのかは分かりませんが、中間層が一呼吸し、社会制度への信頼を取り戻し、貯蓄もすこし増やせる時間です。その間に、新たなテクノロジーによってモビリティーや医療、教育が革新され、個人や地域社会、そして企業がそれぞれ利益を得られるような仕組みを確立できるのではないかと期待しています」
――米国の大企業経営者でつくる「ビジネス・ラウンドテーブル」が昨年、株主中心主義を脱してステークホルダー資本主義を目指すと宣言しました。あるべき方向でしょうか。
「長期的には、明らかに正しい方向です。ただやはり、短期的なコストについて、もっとはっきりと言及してほしかった。人類は常に、短期的コストに触れたがらないものですが。機関投資家が、当面の低収益を我慢するでしょうか。ESG(環境、社会、ガバナンス)に貢献しないけれども高収益をたたき出しそうなCEO(最高経営責任者)に反対票を投じていますか。それはまだですよね。ESG投資の拡大を語ってはいても、手持ちの資産すべてのありようを変えるほどには達していません」
「今はレトリックから現実への移行期だと言いました。大事なのは、企業の取り組みをどう計測し評価するか、ということです。経済が好調なうちはいいですが、もしこれから世界経済がさらに鈍化した場合、ESGが前に進むのが難しくなるのを心配しています」
――ブレグジットが近づいています。英国の資本主義のありようにどんな影響が出るでしょうか。
「ステークホルダー資本主義への移行はグローバルな現象なので、ブレグジットによって進んだり止まったりはしないと思います。興味深いことに、ステークホルダー資本主義は、企業が国家の優先事項から自由になることを意味します。ボリス・ジョンソン英首相やドナルド・トランプ米大統領が企業を支配することが難しくなるのです。なぜなら、環境規制など要らないとトランプ氏が言ったとしても、ステークホルダー資本主義は環境や人権、反腐敗を行動原理とするので、それに従わなくてもよいのです。株主資本主義が国家経済と深く関わって運営されていたのとは対照的です。ステークホルダー資本主義によって、企業は本当の意味でグローバルな一員になることができ、インターネットを通じて個人と深く関わり、市民社会とつながることができるのです」
Robin Niblett 米シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)の上級研究員などを経て、2007年から現職。英オックスフォード大で博士号取得。米英の政治・外交や、欧州政治経済が専門。