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「もしグレタさんが教え子だったら、どう評価?」ある先生の問いかけ

World Now 更新日: 公開日:
米コロラド州デンバーで行われた学校ストライキで演説するグレタ・トゥンベリさん(右手前)=2019年10月、香取啓介撮影

【この特集を読む】評価なんてぶっとばせ!

「あなたたちを決して許さない!」――。2019年9月、国連本部で開かれた気候サミットで演説し地球温暖化の危機を見過ごしてきた大人たちを叱責した、スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥンベリさん(当時16歳)。時に涙を流し、険しい表情で訴える彼女の姿は、世界中に旋風を巻き起こした。まちがいなく、今年世界で最も注目を集めた高校生と言って良いだろう。そんな彼女を応援してあげたくなる気持ちもあるけれど、私はつい意地悪な想像もしてしまう。グレタさんのような人物が自分の身の回りに現れたら、はたして素直に共感できるだろうか。今の日本って、それを受けとめ、いかしていける社会なんだろうか、と。

考えるきっかけを与えてくれたのは、読者の方からの質問だった。人事評価の最前線を追ったGLOBE特集「評価なんてぶっとばせ!」(7月号)に対して、「グレタさんの授業担当者だったら、彼女をどう評価すべきですか?」という問いかけをしてくれたのは、千葉県の現役高校教師、加茂桂さん(35)。その素晴らしいセンスに、まずは敬意を表したい。

「知識、理解、表現力、主体性、いずれも満点では?」という加茂さんの意見に、私も同感だ。「右にならえ」「長いものには巻かれろ」的な思考が染みついている48歳の私には、彼女の姿がまぶしく映ったし、4歳になる自分の娘に重ねてけなげにも思った。けれど一方で、もし私が彼女のクラスメートだったら、あるいは、彼女の会社の上司だったら、素直に共感できるだろうか? 若者たちの社会運動について研究し、『みんなの「わがまま」入門』(左右社刊)という本を書いた富永京子さんに疑問をぶつけてみた。

「社会に広く意見を伝えようとすれば、それは『わがまま』とか、自分も我慢しているのに『ずるい』と言われる傾向が今の社会には、とても強いと思います」

これは日本社会に限ったことではないかもしれない。自身が発達障害の一種、アスペルガー症候群だと公言しているグレタさんは、「精神的に病んでいる」「大人に利用されている」といった、自らの主張とは関係のない攻撃や批判にさらされている。

富永さんは言う。「彼女の年齢や障害、あるいはそれに付随する『勉強不足』『操り人形』といった批判は、直接・間接的に生まれついての『属性』への批判であって、彼女の議論内容に対してではありません。これは(安保法制の時の)日本のSEALDsや香港の雨傘運動、台湾のひまわり運動もたどってきた道です」

COP25の会場に姿を見せたグレタ・トゥンベリさん(中央)。即時の地球温暖化対策を求める「フライデーズ・フォー・フューチャー」の若者たちと並んだ=スペイン・マドリード、松尾一郎撮影

ただし、グレタさんを称賛する側もやはり「属性」から逃れられていないのではないか、と富永さんは指摘する。「社会運動を応援するのは大事ですが、『年齢』『性別』といった属性に還元されてはいけない。それは結局、本来推し進めようとする社会的貢献に逆効果になってしまう」

はっとした。トランプやプーチンと渡り合う16歳のけなげな少女だからこそ、大人たちは応援も、批判もしたくなるわけで、私のようなおっさんが会社をストライキして同じ主張をしたとしても、さして注目されないに違いない。

でも、ちょっと待てよ。そもそも、日本の多くの若者たちはグレタさんに、そして、政治や社会運動にどのぐらい関心があるんだろうか?

■バチバチを避けたい若者

今どきの若者は――。ついそんな言葉が口をついて出るようになった自分がイヤになる。でも、ちょっと気になる調査結果も見つけた。半世紀近く続く「世界青年意識調査」。1972年から5年おきに、世界各国の若者たちを対象に行っている調査の最新2018年度版を見ると、「政治に関心がある」と答えた日本の若者(13~29歳)は43・5%で、前回13年度に比べて6・6ポイント低かった。これはドイツ(70・6%)、米国(64・9%)、英国(58・9%)など他の調査対象6カ国と比べても最も低い結果だった。

なるほど、データを見る限りは、「日本の若者が政治に関心がない」というのはあながち間違いではないように見える。

しかし、「わがまま入門」の著者、富永さんは昨年いくつかの高校で若者たちと交流した時、少し違う印象を受けたという。「18歳で選挙権を持ってしまったということもあり、彼らは基本的に真面目で、政治にも関心がないわけではない。ただ、職業的な利益から政治に関心を持てる大人と違って、立場が流動的な中、政治に関わらなければいけないのは分かっているが、どうすればいいか分からないというように私には見えるのです。もう一点、周囲にすごく配慮し、なるべく空気を壊さないように生きているという現実があります」

立命館大学准教授の富永京子さん=玉川透撮影

うーん、つまり政治に興味はあっても、それを意思表示したり、行動に移したりするのは人の目が気になって、はばかられる、そういうことなのかな? 私の勝手な思い込みかもしれないけれど、「デジタルネイティブ」と呼ばれる世代は、SNSを自在に駆使し自分の意見をどんどん外部に発信しているイメージがあるけれど……。

いえいえ、それはあくまで内輪だけのやりとりで、むしろSNS上でのほうが社会に対しての批判は難しいんじゃないか、と富永さんは言う。「このままだと消費増税してしまうから選挙に行こうね、とSNSで書いたら、誰からも『いいね』が付かなくて落ち込んだという話をある学生から聞きました。その投稿に『いいね』を付けるのもちゅうちょするほど、政治は彼らにとってセンシティブイシューなのでしょう」

そんな窮屈な思いをしている若者たちに答えたいという思いが、富永さんが「わがまま入門」を執筆するきっかけになったという。「社会運動をしたいけど、できない」という若者たちにインタビューを続けるうちに、富永さんは若者たちに共通する「意識」に気づいた。

「社会運動の事例について話していても、彼らは例えば『話し合って決める』『協力して解決する』といった事例には肯定的なのですが、一方で、論争や衝突を伴うようなものは身近なことであれ、遠くのことであれ、あまり好きではない。だから、政治に暴力的な要素が伴う、あるいは権力との衝突を伴うようなデモのような行動は回避したい。平たくいえば、バチバチしたくない、そんな感覚がとても強いのです」

この観察をもとに、富永さんら日本の研究者が参加する一般社団法人「シノドス国際社会動向研究所」が19年、国勢調査による性別・年齢・地域別人口の割合に基づき20~69歳の1000人を選定し、インターネット経由で「生活と意識に関する調査」を行った。その結果から、とりわけデモに対する認識の世代差が大きいことが分かってきたという。「20~40代ではネガティブなイメージが強く、50~60代ではポジティブな認識が強い」と、富永さん。

バチバチしたくない……。2018年、私も関東地方の大学に通う女子学生(当時21歳)にインタビューしたとき、彼女が同じことを言っていたのを思い出した。彼女は国会での論戦について嫌悪感をあらわにし、「政党同士が明らかに敵対して、ずっと同じ問題について相手の悪いところを探り出すような話ばかりしている。ずっと敵対関係にある相手をおとしめることばかり考えているように見える」と言っていた。国会論戦とは、そもそも相手の主張の矛盾をついて論破し、自分の主張を有利に展開するものだと思っていた私には、議論そのものに嫌悪感を覚える彼女の見方がとても新鮮で、記事に取り上げた。

【合わせて読む】「軍事政権だって、いいんじゃない」という学生たち

でも、こうして富永さんにあらためて指摘されると、腑(ふ)に落ちるところもある。そこで、注目すべきは「論破」というワードだ。

■「乱暴な言葉で主張、民主主義ではない」

富永さんは言う。「特にSNSで論争が可視化されるようになって、社会運動における『論破』の側面がかなり強く認識されているように思えます。社会運動に否定的な人には、社会運動は必ずしも勝ち負けを決めるばかりではない、議論の末に新しいものが見つかるし、そこには意見のぶつかり合いも必要不可欠だと伝えているんですが、それでもバチバチと議論することに忌避感があるのかもしれない」

たしかに、人と意見が食い違って険悪な雰囲気になるのを避けたい気持ちは、私もなんとなく理解できる。年齢を重ねるほどに、何でも丸く収めたくなるものだ。

でも、富永さんによれば、若者たちが考える理由は少し違う。「これは若者に限ったことでもないですが、社会運動を敬遠する理由としてよく耳にするのが、『もっと丁寧な言い方をしてほしい』というものです。乱暴な言葉で主張するのは政治じゃない、民主主義ではない。みんなで丁寧に話し合って決めるのが民主主義であって、うるさく言っているのは、単なるノイズじゃないか、と」

安保法制廃止を求めてデモをする若者たち=2016年3月、大阪市中央区、井手さゆり撮影

そして、もうひとつのキーワードが「正解」だ。政治には興味があるけど、どうしたらいいか分からないという学生たちとの対話を重ねるうちに、富永さんは「正解を知りたい」という意見が多いことに驚いたという。

「何新聞を読めばいいのか、だけど、新聞だって偏っているかもしれない、ウェブにも正しいことが書いてあるとは限らない。そういう中で正しいものがあるとすれば、それは何ですか、と質問されることが多いです。それには偏りをつなぎ合わせ、自分の偏りを自覚するよりほかに方法はないと思うのですが、『正解』へのプレッシャーや、失敗できないという思いが強いのでしょう。これもまた若者に限らずですが、『主流』から外れたら完全にドロップアウトしてしまう社会だ、なんて言われて育ってきているわけですから、当たり前かも知れません。これについても(シノドス国際社会動向研究所で)調査してみると、特に20代は6割の人々がデモに対して『偏っている』というイメージを抱いていて、これは60代の倍に当たります。さらに、その認識は社会運動へのネガティブなイメージに結びついていることも分かりました」

ただし、こうした考えは、私のような親世代にも共通する部分があるとも富永さんは言う。「親世代の方にも聞き取りを行うと、正直なところ子供には社会運動はやってほしくない、そういう意見はとても多いです。どちらかといえばリベラルな家庭の保護者でも、特に若い世代の運動に対しては危険だ、という印象を持つ人もいる。『社会運動をして、浅間山荘事件みたいなことにはなってほしくない』という言葉を聞いて、ちょっと衝撃を受けました。(グレタさんに触発された世界中の若者らが一斉にデモをする)グローバル気候マーチなどを見て、認識が変わってくれればいいのですが」

■「ふつうの生き方」という幻想

ここで世界に視点を向けてみよう。それぞれの国で社会も文化も異なることを割り引いても、若者たちが社会運動に参加して、政治を揺るがしているシーンが目に付く。香港の雨傘革命、台湾のひまわり運動、若者政党として知られるスペインの「ポデモス」は大学発の政党だった。韓国の朴槿恵大統領の退陣を求めたろうそく集会では、大学生だけでなく中高生も大勢が足を運んだ。

香港・九龍地区では、民主派の若者たちと、占拠に抗議する人たちの間で、つかみ合いの争いも起きていた=2014年10月、時津剛撮影

日本でも15年、安全保障関連法に反対する学生や母親らが各地の街頭に出て注目されたけれど、その象徴の学生団体「SEALDs」は翌年、解散。香港や台湾、スペインほどの大きなうねりにはならなかった。

そんな状況をデータも裏付けている。先ほどの世界青年意識調査(18年度)で、「将来の国の担い手として、積極的に政策決定に参加したいか」という問いに「そう思う」と答えた若者の割合は、米国(69・6%)がトップ。日本は33・2%で、6位のスウェーデン(47%)にも大きく差をつけられ、比較対象7カ国中でダントツの最下位だった。13年前の調査でも35・4%とそんなに変わっていない。デモでも選挙でも、社会は変わらないという感覚が、日本の若者たちの間に強いのだろうか。

だけど、こうも言えるんじゃないか? 日本はいま平和である。眠れる獅子じゃないけれど、いざ国を揺るがす緊急事態となれば、日本の若者たちだって立ち上がるんじゃないか。デモ隊に死者を出しながらも、激しい抗議活動を続けている香港の若者たちのことだって、テレビやネットで見て共感している人も少なくないのでは?

香港の民主化運動を率いる周庭さん=竹花徹朗撮影

富永さんはこう説く。「もちろん、香港の運動には共感する人も少なくないと思います。例えば、安全保障関連法に対するSEALDsの運動は少し前になりますが、今年もブラック校則、就活をめぐるパワーハラスメント、大学入学共通テストをめぐる運動など、『当事者』の運動は数多く見られて、声は格段に上げやすくなっているでしょう。ただ一方で、若い人に限らずですが、自分を『当事者』から切り離すような言葉も見られます。例えば、消費増税の問題を考えてみましょう。消費は子供だってするわけですから、究極の当事者であるはずですが、10%になっても実際に声を上げる人々は子供であれ大人であれそう多くない。『でも、海外では15%とか税金をとるところもあるし』といった声もある。あえて距離を取ることで、政治と関わることから回避する態度もあるのかな、と」

それって、分かっていて、わざと切り離しているのか、それとも本当に関係がないと思っているのか、どちらなんだろう?

若者だけではなく全ての世代にも、そして自分にも言えるとしたうえで、富永さんはこう分析する。「ひとつは、声を上げたところで有効性があるのかどうか、というところへの疑念ではないでしょうか。社会運動の有効性に対する認識は、日本には決して高いとは言えないし、期待をかければかけた分、かなわなければがっかりしてしまうところも大きい。自分が当事者であるような問題なら、なおさらそうでしょう。そうすれば、当事者であることそのものから自分を切り離したほうがいい、と考えるのは、それほど不思議なことではないのです」

その奥底にあるのが「恐怖」ではないか、と富永さんは考えている。「もうひとつ『自己責任』という考えが生み出す恐れも強いと思います。自分の被る被害は、政治の責任ではなくて自分の責任と考えるから、政治の問題に対して『当事者感』が見いだせない。見いだせたとしても、自助努力で対処すべきものと考えてしまう。これもやはり若い人に限らずのことで、30代、40代などでもある程度はおなじでしょう」

安保法制廃止を求めてデモをする若者たち=2016年3月、大阪市中央区、井手さゆり撮影

象徴するようなエピソードを紹介してくれた。富永さんの聞き取りの中で、就活生が友達とSNSのやりとりをする際に、絶対に表示させないワードとして「内定」を設定しているという語りがあったという。友達が企業から内定をもらったことを知りたくない。自分はダメな人間だと傷つきたくないから、先回りして「予防線」を張るためだという。

「みんな同じ」という幻想がまだ根底にあるのでは、と富永さんは分析する。「これだけ多様性がある世界ですから、本来はみんな違って当たり前です。かりに同じ大学にいたとしても、出自や背景などを見れば、かなり大きな幅があります。それなのに、『ふつう』があるかのように親世代から育てられてきたせいか、就職がうまくいかなければ、自分の努力が『ふつう』に満たないのだ、と思い込んでしまう。実際にうまくいかなかったとしても、それは偶然や環境のせいもあるはず。でも『自分のせいだ』と考えてしまう」

「恐怖」は、別の作用を引き起こす。弱い立場の人が主張すること、つまり「わがまま」への嫌悪感だ。

「弱い立場の人を見る分には『かわいそう』で済むのですが、その人たちが主張し始めると、自分も苦しい、こんなに我慢しているのに、『わがまま』を言っているあなたは『ずるい』という感覚になるのではないでしょうか。これもやはり『ふつう』への幻想が強すぎるからだと思います。格差が拡大し、多様性の中で差異も広がっていて、親世代が想定した『平等』や『ふつう』の枠ではとらえきれなくなっているのではないでしょうか」

■日本にグレタは生まれるか

「若者に限ったことではない」――。富永さんはたびたび、このフレーズを繰り返した。そうなのだ。社会に対して、「わがまま」を言えなくなっているのはけっして若者たちだけの話ではない。偉そうに分析している私自身にも、そのまま当てはまるのだ。

グレタさんの国連演説から3カ月余り。「グレタ旋風」は今も続いている。温暖化対策に懐疑的なブラジルのボルソナーロ大統領は、グレタさんをポルトガル語で「ガキ」を意味する「ピラリャ」と呼んだ。米タイム誌が年末恒例の「今年の人」にグレタさんを選んだことに、トランプ米大統領がかみついた。あれやこれや騒ぎ立てる「大人」たちに対して、グレタさんが落ち着いた対応を取っているのはせめてもの救いではある。

日本でも12月、小泉進次郎・環境相が記者会見で、グレタさんについて「影響力、すさまじいものがある」と一定の評価をする一方で、「大人を糾弾するのではなくて、全世代を巻き込むようなアプローチを取るべきだ」などと異論を述べている。私自身も、彼女の話題になると「困った子だね」と顔をしかめる企業人やタクシーの運転手に出会った。もしも日本でグレタさんのような存在が現れたら、受け入れられるか。正直、胸を張って「そうだ」と言えない。最近4歳になる娘が、大人に気をつかって言いにくいことは声を潜めるようになった。成長がうれしい半面、ちょっぴり不憫にも思う。グレタさんの芽をつぶさない。大げさかもしれないけれど、私たち「大人」にもできることもあるんじゃないか。自戒を込めて、そう思った。

■「レビュー2019」は全5回。次回(12月30日)は9月号の特集「変われ!学校」に寄せられた読者の体験談から、オルタナティブスクールを改めて考えます。