ワシントンにあるホワイトハウス歴史協会。写真左にある歩道を真っ直ぐ進むと数分でホワイトハウスが見える。協会は、ホワイトハウスの歴史を守り、保存し、またそれに大衆がアクセスできるようにという目的で、ファーストレディ、ジャクリーン・ケネディにより1961年、非営利団体として設立された=ランハム裕子撮影
1933年3月14日のニューヨークデイリーニュース。「ニューヨークが一丸となりFD(フランクリン・デラノ・ルーズベルト)にプールを買ってあげよう」という見出しの下には、FDRがニューヨークでプールに入っている写真とともに、「これを贈呈しよう」と呼びかけている=ランハム裕子撮影
1933年3月14日のニューヨークデイリーニュース。「ルーズベルトにプール建設の手助けを。国を恐慌の泥沼から導き出そうとしているフランクリンDルーズベルトの健康のためにプールが必要だ。だがホワイトハウスにはプールがない。よってデイリーニュースはFDRへ愛情を込めてプールを贈呈したいと願う市民の仲介となる」=ランハム裕子撮影
2000年2月11日、会見室はジェームズ・ブレイディ・プレスブリーフィングルームと改名された。本人を招き行われたこの日の会見でクリントン大統領は、「ジム・ブレイディは、勇気を殺すことはできない、そして安い拳銃で強い精神を破壊することなどできないという見本である」と語った=ランハム裕子撮影
1981年、レーガン大統領により、今の会見室のスタイルへと改築が行われた。1981年11月9日、完成した会見室の再開セレモニーでのジェームズ・ブレイディ報道官、レーガン大統領とナンシー夫人の写真は、今でもなお会見室の壁に飾られている=ランハム裕子撮影
会見室では会見が行われていない時間でも、テレビのレポーターが中継をしたり、政府高官がインタビューに応じたりすることがある。この日はケビン・ハセット大統領経済諮問委員会委員長が経済についてのインタビューに応じていた=ランハム裕子撮影
定例会見では、政府高官によるサプライズ登場もある。この記者会見にはレイFBI長官(右)、コーツ国家情報長官(中央)、ボルトン大統領補佐官(左)なども出席し、政権が一丸となってロシアによる中間選挙の干渉行為に取り組んでいく立場を打ち出した=ランハム裕子撮影