どうしても温泉に入りたい! 古代ローマ人のすさまじい温泉愛
私は17歳でイタリアに留学いたしましたが、現在の西洋の国々では入浴という文化がそれほど重んじられていないので、私も長い間浴槽に貯めたお湯につかることのできない生活が続きました。
イタリアをはじめヨーロッパにも温泉はたくさんありますが、医師に処方箋をもらって湯治をするか、レジャーやリラクゼーションがメインとなった施設がほとんどです。古代ローマ時代の入浴文化が途絶えてしまったのは個人的にとても残念です。日本に帰って来た時には、浴槽に「入り溜め」するかのように1日に何度もお風呂につかったり、近所の温泉に行ったりしていました。
結婚後は夫の仕事の都合でエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどで暮らしました。エジプトなど砂漠の多い国でも古代から温泉が掘られている場所があり、未だに使われ続けているところがあります。古代ローマ帝国があれだけ大きくなった、その理由の一つは、自分たちが支配した地域にこうした温泉を発展させたり、入浴施設を作ってあげたりしたことも理由としてあげられますが、入浴への思い入れと執念は相当なものです。
こうした海外生活の経験と、入浴への枯渇感が化学変化を起こした結果『テルマエ・ロマエ』が生まれたのです。この漫画を描いていると不思議と“疑似入浴”することができて気持ちがいいんです。読者の皆さんにも「温泉に入りたい!」と思っていただけたらうれしいです。
『続テルマエ・ロマエ』 秘湯に思いをはせて
2024年2月には『少年ジャンプ+』で『続テルマエ・ロマエ』の連載を始めました。『テルマエ・ロマエ』の約20年後、主人公のルシウスは60歳近くになっています。アントニヌス・ピウス帝の治世において、与えられた使命に頭を悩ませ、日本と古代ローマの温泉を行き来するストーリーです。
私は日本で温泉につかっていると、しみじみと心身の健康を取り戻している気分になります。この『続テルマエ・ロマエ』では、人生で理不尽なことがあったり失敗して落ち込んだりといろんなことがある中で、日常とは違う、生きていることをねぎらってくれる場所というふうに温泉を描きたいという思いもありました。ぜひ秘湯に思いをはせるきっかけになれば良いなと思います。
いつか一人でつかりたい 私の夢の秘湯
日常的に入浴する文化はなくても温泉は世界各地にあり、中には行くのが大変な秘湯のような場所や古くから残っているといわれている浴場もあります。古代エジプトの時代、紀元前数千年のはるか昔から「温泉、いいわ~」と楽しんでいた人がいたかもしれないと想像すると面白いですよね。シリアなどでは伝統的な様式の蒸し風呂を見たこともあります。
私が最も入ってみたいのは、アルジェリアにある古代ローマ時代のまま残っているとされる温泉です。そこは男性しか入浴することができないのですが、ものすごく「タイムスリップ感」を味わえそうな浴場で、いつか一人でゆっくりつかってみたい!と夢を見ています。
芸術も秘湯も、心を満たすもの 大切に守り続けたい
私は、学生の頃に訪れたルーブル美術館で、おなかがいっぱいになるのとは違う「心が満たされる感覚」を覚え、芸術の道に進むことを決心しました。
秘湯の宿を営む人たちも、似たような思いがあるのかもしれませんね。「不要不急」とカテゴライズされることもあるかもしれませんが、温泉に入るとどんなに疲れていても毒素が抜けたようにリフレッシュでき、心が癒やされる。そういう場が、人間には絶対に必要だと思います。今後も秘湯の良さを守り続けていただきたいですね。
パネルディスカッション:地球の恵みの“プロデューサー”として
変わりゆく時代に 変わらない秘湯の魅力を
関根:「秘湯を守る会」の歩みや理念を聞かせて下さい。
星:1975年、人里離れた山奥にある温泉宿33軒が集まって、「日本秘湯を守る会」が発足しました。当時は、大型観光バスで行く団体旅行が大変な人気を集めていた時代。独自のパンフレットを作れない宿も多かったため、交通の便が悪い小さな温泉宿にも独自の魅力があることを知ってもらおうと、会員宿を紹介する冊子『日本の秘湯』を77年に創刊、現在第22版を発行しています。83年からはスタンプを集めながら会員宿をめぐっていただく事業を開始し、2000年代に入ってからは公式ウェブサイトを立ち上げて会員宿の予約ができるようになりました。
どれほど時代が移り変わっても、「お客様の心に寄り添う」姿勢は変わりません。海外からのお客様も特別扱いせず普段通りにお迎えすることで、秘湯の魅力を感じていただきたいと思います。「旅人の心に添う 秘湯は人なり」。受け継がれてきたこの思いを大切に、145軒の会員宿一丸となって、これからも頑張っていきます。
高橋:「秘湯を守る会」は、会員宿の横のつながりが強いのも特徴です。色々な秘湯に興味を持っていただくために、ほかの会員宿のパンフレットを設置したり、お帰りの際に女将や若女将から直接ご紹介したりもしています。また、お客様とのつながりや関係性を大切にするのも、秘湯ならではの魅力だと思います。私どもの宿では、従業員にも常々「ぜひお客様といろいろなお話をしてくださいね」と声をかけています。
災害の頻発や地熱発電 自然と共生する難しさも
ヤマザキ:温泉は日本の神話にも出てくるように、古くは神聖な場所とされていました。戦国時代には武士が傷を癒やすために入るようになり、山梨県に行くと武田信玄が入った温泉といわれている所がいくつもあります。現在のように一般の人がくつろぐために泊りがけで行くようになったのは江戸時代だそうです。次第に、科学的にも健康に良いということが研究されていきました。
また、私は世界各地の温泉を見てきました。その多くは療養を目的としたものや、あるいはビーチリゾートのように遊び感覚で行く場所。温泉にゆっくりつかって何もしない時間を“贅沢”ととらえるのは、日本人独特の感覚かもしれませんね。
効率性や便宜性とは結びつかないけれど、私たちの「健やかな人生」をたしかに支えてくれるもの。地域に根付き、ずっと大切に守られてきたもの。このような文化──秘湯に限らず、伝統芸能や遺跡などにも当てはまることかもしれません──を、私たちの力で大切に残していきたいですよね。
関根:近年、自然エネルギー発電である「地熱発電」が注目されていますが、温泉地への影響を懸念する声もありますね。
君島:脱炭素に向けて自然エネルギーを増やしていくことは、非常に大切だと思います。一方で、温泉が枯渇してしまうといったことが本当にないのか不安は拭えません。これまでに地熱発電による影響が温泉地に出た例はないと聞いていますが、温泉宿としては葛藤もあります。皆さんの意見を聞きながら慎重に話し合っていきたいです。
関根:豊かな自然の中に佇む秘湯は、その分、自然災害の影響を受けやすいともいえますね。
安部:2年ほど前、山形は春に雪害、夏に豪雨による水害に見舞われ、私どもの宿も大きな被害を受けました。経営を続けるのは難しいかと思ったのですが、地元の仲間、「秘湯を守る会」の皆さん、そして何よりお客様のおかげで復旧することができました。自然災害が頻発し、世の中も大きく変化しつつあるいまの時代、秘湯を未来につないでいくためには、これまで以上に知恵をしぼることが必要だと感じます。温泉を愛していただいている皆さんには、ぜひ各地の温泉を訪ね歩き、お気に入りの「マイ秘湯」を見つけていただきたいです。
「生きててよかった~!」と実感させてくれる場所
ヤマザキ:皆さんのお話を聞いていて、秘湯を経営する方たちは、「地球に生まれた喜び」を私たちに感じさせてくれる“プロデューサー”のようだなと思いました。自然の中につつましやかに佇み、共生しながら、地球からの恩恵ともいうべき温泉を守り続けている。そしてその魅力を磨き上げて、私たちに提供してくれているわけですからね。
ありのままの自然と共生することは大変なこともたくさんあると思いますが、温泉同士のつながりはもちろん、お客さんたちの協力も得ながらいつまでも続けてほしいと願っています。
関根:温泉を愛するヤマザキさんにとって、改めて温泉の魅力とは。
ヤマザキ:子どもの頃、北海道千歳市に住んでいた私は、近所の丸駒温泉にしょっちゅう通っていました。当たり前のように秘湯に行く贅沢な毎日を過ごしていたのです。お湯につかった母がよく「生きててよかった~」とつぶやいていたのを覚えています(笑)。まさにその言葉通り、慌ただしい日常から離れ、大自然の中でお湯につかっていると、この世に生まれてきたことを歓迎してもらっているような気分になりませんか? そんな異次元の場所は、温泉以外にないんじゃないかなと思うんですよね。
私も漫画というアプローチで温泉文化に貢献していきたいと思うので、「秘湯を守る会」の方々にもこれからも頑張っていただきたいです。
関根:ヤマザキさんからエールをいただきましたね。
高橋:これからもお客様とのつながりを大切にし、自分たちなりの秘湯の宿を追求していきたいと思います。
安部:私は大学を卒業するころに家族が亡くなり、自分が継がなければうちの温泉文化が終わってしまうのではないか、この宿で私にしかできない役割を果たしたいと考えて、姉たちの助けを借りながら秘湯の世界に入りました。来てくださるお客様皆さんのふるさとを守っているような思いで続けていきます。
君島:大変なことも多い仕事ですが、お客様から「自然の中で心が休まりました」などと声をかけていただくと、この職業に就けたことが本当にありがたいことだと強く思います。温泉とその周りの自然を大切に、これからも頑張っていきたいです。
星:皆さん、心身のリフレッシュにぜひ秘湯へいらしてください。
講演:旅人の心に寄り添い続けたい
私は「秘湯を守る会」創設当時のメンバーの一人です。33軒の宿で結成しましたが、東京で行われた最初の会合に来ることができたのは16人。秘湯の宿からみると、東京はまだまだ遠いところでした。
「秘湯」という造語は、当会創設者の故・岩木一二三氏が創られたものです。岩木氏に最初に言われたことは「人はなぜ旅に出るのかをよく考えるように」ということでした。この50年、旅に出る人たちのために秘湯の宿は何ができるのかを問い続けてきたように思います。また、「秘湯を守るにはまず周りの自然環境を守らなければならない」ということも岩木氏に教えていただきました。
人が旅に出てさまざまな考えを巡らせ、その中で潤いを得るのだとすると、自然環境も傷つかないようにしたいものです。近年は、「私たちは地球の中に住まわせていただいているんだ」という意識が次第に弱くなってきているんじゃないかと感じています。次の世代の皆さんには“自分が良ければいい”という社会を作らないようにお願いしたいですね。地熱発電についても温泉と両立できるのであれば互いに歩み寄り、自然の中に共生する秘湯を継承していきたいです。