財務を学び海外の医療・人道援助活動の現場へ 念願のUSCPAも取得
入山章栄氏(以下、入山):森川さんは、どのようにして現在のキャリアを築いたのですか。
森川光世氏(以下、森川):もともと教師をしていて、教科書に載っている社会問題をよりリアルに生徒に伝えられるよう、情報を調べ始めたのが、医療・人道援助に関心を持ったきっかけです。
自分も援助活動に関わりたい、特に人間の基盤である健康を守る仕事をしたいと考え、2005年にMSFへ入職しました。
海外派遣を希望したのですが、当時は現場で使えるスキルを何も持っていなかったので、MSF日本の事務局員として勤務しつつ、援助活動に必要な財務の勉強を始めたのです。それが認められて3年間、アフリカのスーダンや中東のイエメンなどで活動しました。
現場では援助活動中心の生活を送っていましたが、帰国後に勉強を再開し、念願の米国公認会計士(USCPA)の試験にパスしました。資格を生かして自分の世界を広げようと監査法人に転じたのですが、MSFとも関わり続け、今年9月から5週間、お休みをいただきウクライナでの援助活動に参加しました。
入山:難関のCPAを取得して転職を果たしながら、MSFの活動に対する思いも持ち続け、勤め先とも良い関係を築いて現場へ送り出してもらっている。素晴らしいですね。
しかしウクライナやイエメンなどの紛争地では、困難に直面したこともあったのではないですか。
森川:イエメンは、派遣された時は情勢が落ち着いていたのですが、活動中に「アラブの春」が波及し、首都が爆撃を受けるようになりました。
ウクライナでも砲撃音はひんぱんに聞こえましたし、電力不足による計画停電もありました。また全土への空爆が始まった時期は、隣国のモルドバへ一時退避せざるを得ませんでした。
こうした国々では明日の朝、援助活動ができるかどうかも定かではありません。しかし私を含めた全スタッフが、自分の領域で決めるべきことを決め、粘り強く活動を前に進めるしかない、と考えて行動していました。
入山:森川さんのような人は、今の日本に最も求められている人材と言えます。変化が激しく不確実性の高い時代、企業が求めているのは正解がない中でも、自分で判断して行動できる人です。
しかし多くの日本企業は、仕組みが整いすぎているがゆえに、自分の判断で苦境を乗り越えた経験を持つ人材がほとんどいません。20~40代を判断せずに過ごし、50代で突然マネジメントとして経営判断を下せと言うのも無理な話です。
一方で森川さんは、平和で豊かな日本では想像もできないような修羅場に遭遇し、自分の判断で乗り切ってきた。その経験は企業にとってとても貴重です。
「名詞より動詞」…人の命を救う一助になりたいという目的を共有したプロ集団が強い組織をつくる
――MSFでの経験が、今の仕事に生きていると思うことはありますか。
森川:医療・人道援助活動の現場では、初対面のスタッフ同士がチームを組んで活動します。今の仕事もプロジェクトごとにさまざまな職員とチームを作って動くことが多いので、MSFで培った、どんなメンバーとも一緒に働ける力、物事を粘り強く前に進める力は役立っています。
また派遣先の国で、いち早く地元の文化や治安情勢などに適応する必要もあったので、新しいプロジェクトに順応する力や、予想外のトラブルが発生した時の対応力なども身に付いたと思います。
入山:チームメンバーは活動現場で初めて出会うのですね。活動を円滑に進めるため、チームビルディングの場などは設けるのでしょうか。
森川:外国人スタッフは入国、帰国の時期がバラバラで常に入れ替わっているので、一堂に会してチームビルディングをする機会がないんです。ある日、新しいスタッフが加わり「初めまして」と同時にチームの一員として働くのが普通です。
世間では「MSF=医療従事者」のイメージが強いと思いますが、実際には物流管理や拠点整備などを担う「ロジスティシャン」と、財務や人事を担当する「アドミニストレーター」と医療従事者が、必ずチームを組んで活動します。全員が「独立・中立・公平」を守って任務を遂行するというMSFの憲章を頭に叩き込み、即戦力の「プロ」として、対等な立場で任務を遂行します。
国籍や相性を超えて同じ目標に向かい、お互いを信頼して任せられるところが、MSFで働く快感であり、私がMSFに「惚れた」理由でもあります。
入山:超ジョブ型雇用のプロ集団であることが、組織の強みになっているのですね。「白紙」の人材にさまざまな部署を経験させ、ゼネラリストを育成する日本のメンバーシップ型雇用とは真逆と言えます。
お話を聴いていて、メンバーが「MSF」という組織名ではなく「人の命を救う一助になりたい」という唯一無二でシンプルな「動詞」の目的に引かれて集まっている点も、強みの一つだと感じました。
私はよく、「名詞より動詞」と言うのですが、民間企業の場合、社名というブランドネーム、つまり「名詞」で就職先を選ぶ人もかなりいます。
しかし組織が推進力を発揮するには、メンバーが「そこで何をしたいのか」という「動詞」の目的を共有することが不可欠なのです。
社外で新たな知見、変化する人材育成
――森川さんは監査法人に籍を置きながら、ウクライナでの医療・人道援助活動に参加しました。どのような経緯で実現したのでしょうか。
森川:入社後数年はとにかく、仕事を覚えることに集中しました。ただその間も、上司や同僚にMSFを紹介する活動を、細々と続けていました。このため上司にも活動に関する知識があったので、今回の海外派遣を相談した時も、理解を示してくれました。
ただ派遣先がウクライナに決まると、社内からは安全への懸念の声も上がりました。休暇中の行動は自由とはいえ、万が一何か起きたら職場に迷惑も掛かります。MSFの計画的な安全管理に加え、自分には紛争下での活動経験があり、リスクを可能な限り抑えると、社内を説得しました。
最終的に、現場に送り出してくれた同僚の皆さんには感謝しています。それだけに帰国後は、成果を出して同僚や上司に「派遣は無駄でなかった」と感じてもらいたい、と思うようになり仕事のモチベーションも高まりました。
入山:デロイトトーマツグループは、「ビッグ4」と呼ばれる監査法人の中でも特に熱心にダイバーシティに取り組んでいます。だからこそ森川さんを採用し、ウクライナへの派遣も認めたのでしょう。
日本企業も一部ではありますが、社外で多様な経験を積んだ人材を、本格的に活用しようとし始めています。いくつかのNPOが提供している、社員を一定期間、新興国に派遣し本業を生かして社会課題の解決に取り組む「留職」プログラムの導入企業も増えました。一度退職した人を再雇用したり、外部のプロ人材を活用したりする動きも広がりつつあります。
多様な人材がイノベーションを生み出すことを理解できない企業、理解しても変われない企業は、いずれ淘汰されるでしょう。
MSFは紛争地域での活動もあるので、派遣をためらう企業はまだ多いかもしれません。
しかし企業が社員を社外へ「越境」させ、新たな価値観や経験を身に付けてもらうという、人材育成の方向性と合致していることは確実です。
若い世代のキャリア、企業と援助活動の現場を柔軟に行き来できるように
――若いビジネスパーソンに、MSFの活動に関わってもらうには、どうすればいいでしょうか。
入山:若い世代は社会貢献への意識が高い上に、雇用の流動性が高まる中で自分の市場価値を知りたいと考える人、起業を希望する人も増えています。
MSFで専門的かつポータブルなスキルを向上させ、自分の判断で修羅場を切り抜けることは、彼らの市場価値を高め、ベンチャー経営に必要な能力を磨くことにもつながります。
入り口として、日本国内における広報活動のボランティアなどの形でカジュアルにMSFに関わってもらうことで、海外派遣を志す若者は必ず増えると思います。
ただ最近は、社会貢献意欲の高い若者が、営利活動と社会課題解決の両立を掲げる企業を目指すケースが増えています。NPOに入職すると民間企業に移れない、給料があまり高くないといったイメージがあるからです。NPO側が積極的に情報発信し、誤ったイメージを払拭(ふっしょく)する必要があります。
――森川さんは今後も、企業で働きながらMSFと関わり続けるのでしょうか。
森川:仮に現職を辞めて援助活動の現場に戻ったとしても、私個人のキャリアの問題として完結するだけで、MSFの活動を社会に広めることはできません。
今の勤め先の同僚たちに、少しでもMSFに関心を持ってもらうことが私の役割だと思っています。たとえ彼ら彼女らが直接活動に参加しなくても、私を派遣国へ送り出すという行動を通じて「人の命を救う役割の、一端を担っている」と感じてもらえるのでは、と期待しています。
今は、私のキャリアを見た人の多くが「異色だね」と言います。MSFでの活動経験がキャリアのあちこちに含まれている、というビジネスパーソンが、当たり前に存在する時代が来てほしいです。
入山:森川さんのように、援助活動の現場と民間企業を柔軟に行き来する「スーパー越境人材」は今後、NGO/NPOにとっても、企業にとってもロールモデルになるでしょうし、日本社会全体を良い方へ変えることも間違いありません。MSFからベンチャーや大企業へ、そしてまたMSFへ…といった循環が、若い世代に生まれてくれればと願っています。