――ロニさんは1975年、19歳のときに初めて訪れて以来、アイスランドに何度も足を運んでいますね。「旅」は、作家としての創造性にも深く結びついているように思えます。あなたにとってアイスランドへの旅はどんな意味があるのでしょうか?
私自身はアイスランドに行くことを、普通の意味での「旅行」だとは思っていません。いろんな意味で考えていますが、その一つは、一種の「渡り」です。たとえば、渡り鳥のようなものですね。彼らは旅をしますが、同じ場所に周期的に戻ってきますよね。私が必要としているのは物理的な移動ではなく、精神的なものです。私とアイスランドの関係もまさに、それと同じだと言えるでしょう。
かの地で私は大自然の中にテントを張って、一人で多くの時間を過ごしてきました。とても孤独でしたが、幸福でした。そうやって25年以上にわたり通い続けるうちに、いつしか、その場所に行くことが精神的になくてはならないものであると気づいたのです。
私にとって旅とは、何らかの発見のプロセスです。何かが起きているのを見るために、そこへ行くのではないのです。そういう意味では、アイスランドを訪れるのは、私にとって「旅」であり、「旅」ではありません。そこにあるものの流れの中に身を置き、可能な限りその一部になるための場所なのです。そういう意味では一般的な旅行とは考え方が違うのでしょうね。
――まるで禅問答のようですが、旅と創造という意味でも、とても興味深い考え方ですね。
そう決めてやっていたわけではありませんが、何年もかけて自分のやっていることを進化させていきました。アイスランドは私にとって、いわばオープンエアのスタジオと言えるものになりました。私自身がとても夢中になってそこから多くを学び、インスピレーションを得て、それが多くの作品の源になりました。たとえば、『円周率』(1997,2004)や『あなたは天気 パート2』(2010-2011)といった作品は、その例です。
ただ、アイスランドに行ったら、90%は一人です。旅をするときはほとんど一人でいるのが好きです。誰かと一緒だと、物事に対する認識が変わってしまい、私に影響を与えるからです。
――アイスランドに興味を抱いたのはいつ頃ですか?
1963年、私が8歳のときです。ほとんど同時に、恐ろしいことと不思議なことがニュースで報じられました。一つは、ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺事件です。幼心に記憶しているのは、テレビでそのニュースが24時間ずっと流れていたことです。そんなの初めてでした。それまで、私は土曜日の朝にアニメを見るくらいで、テレビはあまり見ていなかったのですが、ケネディ暗殺のニュースが何日間にもわたって映っていたのを覚えています。
同じ頃、もう一つニュースが流れました。アイスランド南西部の海岸に、ある島が誕生したというニュースです。長い間海上から噴煙が上がり、何も見えなかった場所に島が出現したのですが、なぜかその映像に、私は心を突き動かされました。なにかユニークで、パワフルなものだと思ったのです。年をとって子供の頃を振り返ると、それが真実だったのか、想像に過ぎなかったのか分からなくなることってありますよね。ケネディ暗殺と、アイスランドのスルツェイ島の出現が同じ時期に起きたのは全くの偶然ですが、そのつながりが私の心に強烈な印象を与えたことは間違いありません。アイスランドを実際に訪れたのは、その十数年後です。
――アイスランドではバイクで島を巡り、旅費が底をついたら魚の加工工場で働いたこともあるというのは本当ですか?
私は1976年から大学院に進学し、78年の卒業時にトラベリング・フェローシップ(研修旅行奨学金)を授与されました。その資金でまずバイクを買って、アイスランドに渡りました。当時、アイスランドは何もかもが非常に高価で、バイクがいちばん安価な旅の手段でした。
1970年代後半から1980年代初頭のことです。当時多くの道路はひどい状態で、自動車よりもオフロード・バイクの方が旅行に適していました。想像してみてください、なにせ、SUV文化のない70年代、80年代前半のことですからね。
バイクにテント、コンロや寝袋などの基本的な装備を揃えて、ひたすら旅をしました。半年間、各地を転々と放浪したのです。当時、アイスランドは産業が乏しかったので、非常にシンプルな風景が広がっていました。大自然の谷間に小さな村があり、家々が点在していました。そんな旅の途中、お金を使い果たしてしまいました。じつはその後ドイツにも行こうと思っていたのですが、このままでは資金が足りません。そこで、アイスランドの西部フィヨルドと呼ばれる地域に行くことにしました。アイスランドでも最も古い地形を残しているエリアで、私にとって最も美しい場所の一つです。何と言っても、とても、とてもシンプルなのです。
私は小さなフィヨルドに位置するパトレクスフィヨルズルという小さな町に腰を落ち着け、そこで運試しをすることにしました。朝早く、その町の魚加工工場に行って、オーナーに尋ねました。「仕事が欲しいんだけど」と。彼は漁船の元船長で、デンマーク人でした。流暢な英語を話し、とても話好きでした。私は彼の話し相手となり、よき理解者として気に入られました。それで雇われて、翌日から仕事にありつけました。
どんな仕事かと言えば、基本的にタラを塩漬けにして、それを高さ2メートル、長さ30メートルほどの巨大な壁に並べていくのです。しばらくその作業を続け、魚の頭を機械で切り落とす作業などもしました。仕事が終わって夜になると、私は海岸沿いのテントに寝泊まりしていました。海に近い場所でしたが、とても涼しくて、とても静かで、とても牧歌的な場所でした。ただ、カラスの大群がいて、彼らはとても声が大きく、いたずら好きでした。いつも海岸で楽しそうに戯れたり、けんかしたりしていました。眠っている間、遠くにそのざわめきを聞いていました。私にとってそれは特別なもので、大好きで大好きで仕方がありませんでした。
白夜の下、仕事を終えて隣のフィヨルドまで行き、天然の温泉でリラックスすることもありました。地面に小さな穴が空いていて、そこにお湯がたまっているのです。その中に横たわり、雲が流れていくのを眺めていました。私は無防備でしたが、面白いことに、恐れは全くなく、完全な安らぎの時でした。そして、また朝7時に起きて工場に行き、夕方5時まで働く。長い一日でしたが、私にとってはとても満足な時間でした。一緒に働いていた大勢の村人たちにとっては、何の変哲もない、いつも通りのとてもシンプルな生活だったのでしょうが。
――カラスと言えば、ロニさんは鳥にも縁がありそうですね。箱根のポーラ美術館での展示でも、『死せるフクロウ』(1997年)など鳥をモチーフにした作品が多くて印象的でした。『円周率』(1997,2004年)では、ケワタガモの羽毛を採取する夫婦が出てきますね。創作は、旅で出会った、その土地の人々からも影響を受けているのでしょうか?
面白いことに、その土地に住む人々の影響はまったくと言っていいほどありませんでした。むしろ私が大きな影響を受けたのは、アイスランドの自然、その地形、とくに、鳥類の生態と地質でした。その地質は地質学的には赤ちゃんのような地質ということだと思います。一見、人の手によって作られたように見える、何にも侵されていないものもあります。どうしてこんなものが存在するのか分からないような、ある種の対称性を持ったものもあって、そのあいまいさがとてもスリリングで、刺激的でした。
そして、もう一つは天候です。それはあらゆるものに大きな影響を及ぼします。危険な目に遭うこともありますが、それでも私はアイスランドの厳しい気候が大好きです。良い面も悪い面もありますが、究極的にいえば、それは自分が何者なのかを自分自身に明らかにしてくれるものといえるでしょう。風の音や強さ、その破壊力、美しさ。それらは常に存在していましたが、特にテントの中にいるときは強く感じ、私に大きな影響を与えました。
――アイスランド以外に強いインパクトを受けた場所や旅の経験はありますか?
仕事のためにいろんな所に行きますが、日本はぜひ行かねばと心から思える行き先の一つです。あと20歳若ければ、日本のことをもっと見て知るために、行動に移していたかも知れません。とくに伝統的な日本文化は私にとって重要です。日本には、素材や食べ物、自然に対する独特の感性や意識があると思います。津波が起きたとき、皆さんがその現実にどのように対処したかを見て、感銘を受けました。日本は海洋と活火山に挟まれた島国で、行き場がなくても何とかしなければならない、そんな状況を目の当たりにしたわけです。
今こうして、日本文化に触れていることが、私の中に新たな可能性や知識を形づくることは間違いありません。でも、子供の頃から美術館で木工品、織物、陶器、木版画などを見て、日本にはずっと心惹かれていました。また日本の文化についての本を読み、とくに庭園の哲学や神道と自然の関係などを学びました。とくに俳句は私の彫刻作品に重要な影響を与えています。
今回、ポーラ美術館で展示をするために箱根を訪れて、日本の人々とのつながりがとても強いとあらためて感じました。滞在先は景色の良いところを選んだのですが、本当に最高でした。オーナーもとても素敵な女性で、そのまま帰らずにずっと滞在していたいと思うほど、美しい場所でした。
――最新脳科学の研究によると、人は移動するととても幸せな気分になるそうです。アーティストが旅によってインスピレーションを受けるのも、それと似ていると言えるでしょうか?
そもそも、私は幸せというものが何なのか分からないし、興味もありません。知っているのは、私の心を動かすものや必要なものだけです。それに本来私は社交的な人間ではありませんが、ユーモアのある文化の中で育ちました。私の人生の中でユーモアはかけがえのないものであり、ユーモアのセンスがあれば前進できます。
でも、幸せって何だと思いますか? それは私にもわかりませんし、なぜ皆が「幸せかどうか」に注目するのかもわかりません。創造性とは発見のプロセスであり、それ以上ではないと思っています。じゃあ、幸せとは何なのか? それは分からないですよね。アイスランドにいたとき、私は幸せだと言えるでしょうか? ひどい天候の中で生き延びようと必死になっていたと言えば必死だったし、いま振り返ってみれば、あれはあれで良かったんだと思えますが、幸福感は関係ありません。心穏やかになり、繫がりを感じることができていた。実際に体験していたときはそうは言えないかもしれませんが、私は間違いなくアイスランドを楽しんでいましたから。
――本を読むことも「心の旅」の一つと言えるかもしれません。『海底二万里』などを書いたフランスの作家ジュール・ヴェルヌの小説のような旅に関する本も、あなたの作品に大きな影響を与えていると聞きました。
たくさんありますが、その中でもとても気に入っている本があります。ある意味、この質問にぴったりの本と言えるかも知れません。A・チェリー・ガラードが書いた『The Worst Journey in the World』(邦題:『世界最悪の旅 スコット南極探検隊』)。タイトルが秀逸ですよね。南極探検で悲劇的な運命をたどった英国人探検家、ロバート・スコットの話です。ガラードは生物学者で、20世紀前半にスコット探検隊の一員として南極に赴き、生きて帰ってきた人物でした。
スコット隊は馬で南極をめざし、ノルウェーのアムンゼン隊はスキーで挑みました。どちらが最初に南極点にたどり着いたのかはご存じの通り。南極点をめざしたスコット隊は全員が凍死しましたが、スコットは日記をつけていたので、私たちは彼の旅の記録を知ることができます。歴史は物語を書いたものによって記されると言いますよね。
スコットの日記を引用したガラードの著作はとても読み応えがあります。コウテイペンギンのコロニーや、寒さと氷の話はとても魅力的です。そんな極端な環境で人間がどんな感覚をもつのか、灼熱の砂漠も同じですが、それは私を魅了します。『世界最悪の旅』は、私のイマジネーションを大いにかき立ててくれるのです。
――日本の文学作品や作家はどうでしょう?
日本文学に精通しているとは言えませんが、川端康成の作品や、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』は興味があります。『痴人の愛』もそうですが、谷崎の物語には、人間の本性に根ざした倒錯や異常な食欲などが生活の一部となっています。アメリカ文学には見られないような方法で、このような倒錯性をたくさん見つけることができました。私はそれが大好きなんです。
三島由紀夫の作品もある意味では似ています。それを読み終えたとき、私はまだ本当に子供でした。その時は自分がゲイだとは知らなかったんですが、なんとなく「ああ、これならよく分かる」と感じました。安部公房や夏目漱石、太宰治も忘れてはなりません。
現代的な作品の中ではかつて、村上春樹の『The Wind-Up Bird Chronicle』(邦題:ねじまき鳥クロニクル)を楽しみました。
――コロナ禍で旅行がままならなくなり、私たちはオンライン・テクノロジーを使う機会が増えました。創造性という点において、こうしたテクノロジーやバーチャル・リアリティ(VR)をどのように考えていますか?
私はVRについて、技術的に権利を獲得するかなり以前から興味がありました。80年代の時点で、90年代には存在しているだろうと考えていました。
ただ、どのテクノロジーでも同じことが言えると思いますが、目新しさやギミックを乗り越えるまでに何十年もかかってしまいます。そのうち後継技術が育ってきて、何十年後か、あるいはもう少し後になってようやく、自分が実際に生活する環境の一部になるのです。
そして、残念ながらそうなったときには、自然は不要なものになってしまうのではないかと、私はとても危惧しています。私は自然の中で育ってきましたし、私の生活には自然が必要です。VRは現実世界とは別の世界になると思います。その頃には、火星でもどこでも生活できるでしょう。自然への愛着がないならどこだって同じですから。言うなれば、VRは知覚的に、自然を必要としない世界にあなたをつなぎとめるのです。
VRの普及は自然を放棄するシグナルでもあります。でも、私は自然を捨て去ることはできません。だからVRにとても興味はあっても、新しいことを始めようとは思いません。VRを否定しているわけではまったくありません。一つの可能性を含んでいるとは思っていますが、私は他にも複数の道があって欲しいのです。
Roni Horn 1955年生まれ。米ニューヨーク在住。アメリカの現代美術を代表するアーティスト。1975年に初めてアイスランドを旅して以来、火山と氷河が生み出した荒々しい風土や自然に魅せられて訪問を繰り返し、そこで受けたインスピレーションが作品にも反映されている。写真、彫刻、ドローイング、本など多様なメディアで作品を制作。自然と密接に結びつきながら、極めてシンプルに削ぎ落とされたスタイルの作品を多く手がける。近年の主な個展に、ポンピドゥー・センター(パリ、2003)、テート・モダン(ロンドン、2009)、ホイットニー美術館(ニューヨーク、2009~10)、バイエラー財団(スイス・リーエン、2016、20)、グレンストーン美術館(米ポトマック、2017)などがある。
ロニ・ホーン展/ポーラ美術館(神奈川県箱根町)
日本国内の美術館では初となるロニ・ホーンの大規模個展が神奈川県箱根町のポーラ美術館で開催中。3月30日まで、会期中無休。「ロニ・ホーン:水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?」と題して、近年の代表作であるガラスの彫刻作品をはじめ、1980年代から今日にいたるまでの約40年間におよぶ実践の数々を紹介している。特設サイトはこちら