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「社会を『改良』する力」を養える大学 卒業生が語る「母校」での学生生活と私のキャリア

Sponsored by 同志社女子大学 公開日:

Story1 中島めぐみさん

カンテレアナウンサー 2010年3月卒業

番組の準備用ノートを手にする中島さん

度胸とともに身についた  多角的に物事を見る力

アナウンサーとしての 基礎を学んだ学生生活

子どもの頃から美しい言葉や所作に憧れ、アナウンサーを志望するようになりました。同志社女子大学に、放送局でプロデューサーを長年務められた影山貴彦教授がいらっしゃることを知り、学芸学部情報メディア学科(現・メディア創造学科)に進学したのです。

念願の影山先生の授業では、その日一番のニュースについて「皆さんはどう考えますか」と先生から毎回質問がありました。人はともすると、自分に似た意見だけに偏りがちです。あえて自分とは違う角度から物事を見つめ、多様な考え方に触れたうえで、自分の考えを持とうと意識したことは、今も仕事をするうえでの基礎となっています。

先生にアナウンサーになりたいと相談したところ、「今、君にしかできないことを充実させたら?」と言ってくださいました。大好きな美術鑑賞に出かけたり、大学のプロ仕様の機材で映像編集に没頭したり……。社会人のふるまいを身につけたくて秘書技能検定も取得。同志社女子大学には相手の個性を尊重しながら、経験やディベートによって鍛えられていく文化があり、女性が社会に出て活躍することを後押ししてくれると感じます。

学生時代に打ち込んだ弓道も美しい所作につながった

準備と反省が大切 深みのある音声表現者に

アナウンサーとして大切にしているのは準備と反省です。番組に出演されるゲストを事前に調べて資料をノートにまとめ、番組をどう進行するか制作者の視点からも考えます。関連する新聞記事もスクラップ。これも大学時代の名残かもしれません。その日の振り返りも必ず反省用ノートに書きます。各番組ごとにまとめるノートも合わせると今では10冊以上になりました。後輩を指導する時にもスクラップなどを見せて、ニュースの価値を一緒に学ぶことで、自分を高める場になっています。

今子育て中ということもあり、ワークライフバランスについて考える機会が増えました。在宅勤務やオンラインでの打ち合わせが増えるなど、仕事の環境も大きく変化しています。アナウンサーテキストの冒頭には「声は人なり」の言葉があります。まずは感性を磨かなければならず、年を重ねるたびに、同じことでも言葉選び一つで感じ方が全然違うので仕事は本当に深いと感じています。これからもたくさんの言葉にふれて、研鑽(けんさん)を積み、人としても深みのある音声表現者をめざしていきたいです。

Story2  松村真以さん

日本新薬株式会社  2009年3月卒業

海外とメールのやり取りをする松村さん

薬を通して社会に貢献 製薬会社で着実にキャリアを重ねる

大学の研究室での学びが 視野を広げるきっかけに

私は同志社女子大学に薬学部が創設された2005年に第1期生として入学しました。中学・高校も同じ系列校。将来、薬剤師になりたいと考えていたところ、同志社女子大学に薬学部ができると知り、進学を決めました。

同志社女子大学の和気あいあいとした雰囲気が気に入っていました。でも勉強はかなりハード。3年の秋から研究室に配属され、制限酵素に関して学んだのですが、これが朝から晩まで研究漬けでした。しかし私たちの学部は1学年120人ほどで、学生も先生も皆が顔見知り。女性だけという連帯感もあり、研究室には自分専用の席があるなど、大学の設備やサポートも充実していて、安心して没頭できました。またアメリカに2週間留学し、現地の医療や社会保障制度を学び、医薬品に関するいろいろな仕事や働き方があることを実感。大学に入るまでは薬局や病院で調剤する薬剤師をイメージしていましたが、研究室で薬を作る過程などを学んで製薬にも関心を持ち、大学の就職支援で出合った今の会社をめざすことにしました。大学で過ごした4年間が視野を大きく広げてくれたと思います。

アメリカ西海岸へ留学し、医薬を取り巻く現実と課題を肌で感じた

生命を思い海外と交渉 責任大きく意義ある仕事

日本新薬株式会社に入社して最初に配属になったのは、薬の副作用を検証する部署です。MRや調査票から入手した副作用を評価し、周知を検討する仕事ですが、大学で学んだ薬や病気の知識が生きました。いまは医薬品の原料を調達する部署で、主にヨーロッパのメーカーから原料を輸入する仕事をしています。当社は、他で代えが利かない薬を多く手がけていることもあり、供給が止まると患者様の生命に関わります。必要なものを確実に入手するには、相手との交渉が不可欠で、時には製造工程面の話になり、専門的な機械の話をすることもあるのですが、大学での研究経験がなければ、機械の名前を聞いても、さっぱり分からなかったかもしれません。薬によって病気を克服される方がいると思うと、とても意義のある仕事だと感じています。

入社から10年以上が経ち、私自身、結婚、2人の子どもの出産を経て、ライフスタイルも変化。最近はテレワークが増えたので家庭と仕事を両立しやすくなりました。子どもたちが寝た後に、英語などを勉強するようにしています。家族に自分の仕事について誇りを持って話ができるのは幸せ。これからもいろいろな経験を経て、キャリアを重ねていきたいです。

私にとって同志社女子大学は夢を力強くサポートしてもらえた場所。新しいことを貪欲(どんよく)に学ぶ姿勢や、薬学そのものへの興味は私の財産となっていて、この先も自分の人生を支えてくれると期待しています。