来年初めに日本での公開が予定されている「私が死んだ日」(邦題「ワタシを生きる女たち」)。ある島で遺書を残して突如消えた少女と、自殺という形で捜査を終わらせるため少女の生い立ちを調べる刑事、2人に手をさしのべる島の女性の思いが、次第に交わっていく作品だ。
パク・ジワン監督をはじめ、主演の3人も全員女性。さらに「普通でないことが起きた」とパクさん。美術、衣装、メイクを中心に現場スタッフの半数も女性だったのだ。「10年前には考えられなかった光景です」
パクさんは大学卒業後、制作会社でマーケティングの仕事に携わった。自ら撮影する夢を捨てられず、2007年に国立の映画学校に入り、演出を学んだ。当時、スクリプター(記録係)として参加した作品は現場スタッフの8割が男性だった。10年に韓国で公開され、日本でもヒットしたウォンビン主演の「アジョシ(おじさん)」をはじめ、ほぼすべて監督、主演は男性だった。その後、監督デビューする際、周囲から「そういう(男性的な)話でつくるのが有利だ」と助言された。「観客も男性中心の話が好きだと現場の人間はみんな信じていた」
そんな「男社会」だった映画業界で今、女性の存在感が高まっている。韓国在住の映画ジャーナリスト、成川彩さんはひとつのきっかけとして、16年5月にソウル・江南で起きた女性殺害事件を挙げる。
繁華街の駅近くにあった男女共同トイレで20代の女性が通り魔の男に殺害された。「(社会の)女性たちが自分を無視した」ことが犯行動機だとされ「女性嫌悪による無差別殺人事件」として新聞は1面や社説で詳細に報じた。
女性たちが中心となり「ヘイトクライム」への抗議デモはソウル以外の光州、大邱といった地方都市でも活発化した。映画を含め出版、芸術など業界ごとに性暴力を告発するツイッターのハッシュタグも立ち上がった。現場近くで追悼の付箋(ふせん)紙を貼るなどする催しはコロナ禍の今年も行われるほど事件の記憶はいまだ韓国社会に生々しく刻まれている。
17年になると、米ハリウッドの大物プロデューサーの性暴力が暴かれたことによる「#MeToo」運動の波が到来する。翌年、韓国で女性の現役検事が検察幹部のセクハラを実名で告発。その後、与党系知事や著名な詩人、劇作家、大学教授らが次々にセクハラなどで告発された。
■観客も俳優も飛びつく
「世界的な潮流も加わり韓国では社会の様々な分野を巻き込んだ変化が起きた」と成川さん。韓国映画振興委員会(KOFIC)は数年前からセクハラ、性暴力予防に向け独自に講師の養成を始めた。成川さんによると、KOFICからの助成を受ける場合は撮影前のセクハラ防止教育の受講や、監督、プロデューサー、脚本家などへの女性の参加比率が考慮されるようになった。
立教大学の李香鎮教授(アジア映画)は「大規模予算の作品はまだまだ男性優位なのは否めない」と指摘しつつ、「『私も』と連帯を示す動きによって、撮影現場に女性が増えたり作品の世界観に女性の意識がにじんだりするようになってきた」と指摘する。
KOFICがまとめた統計によると、09年から18年までの興業成績上位から約50本ずつを抽出した結果、女性監督の作品比率は6.2%。一方、19年は6作品(1作品は男女の共同)で12.0%、20年は9作品で18.0%が女性監督によるものだった。20年の場合、「私が死んだ日」を含め4作品は主演も全員女性。9位の「サムジンカンパニー1995」(邦題)は監督は男性だが、3人の主演は全員女性だった。
こうした変化は現場でどう受け止められているのか。「パラサイト 半地下の家族」(ポン・ジュノ監督)で家政婦役を怪演し、「私が死んだ日」の主演も務めたイ・ジョンウンさんは、女性が主体的な作品に対し「俳優として飛びつきたくなるほどの喜び」と話す。舞台、ドラマ、映画と幅広く活動してきたイさんも、かつては男性目線で女性に対し「良妻賢母」像を求める雰囲気に悩んだことがあった。それが最近は「女性のシナリオ作家、監督を中心に、女性の様々な視点や姿を立体的に描こうとする傾向が高まってきた」。
ポン・ジュノ監督の長編デビュー作「ほえる犬は噛まない」などを制作してきたチャ・スンジェさんは映画界に女性が増えていることについて、こう話す。「南北分断の痛みや(1980年代までの)軍事独裁政権下を経験してきた世代の文化人は、権力や不合理との闘いを通じて自分たちを表現してきた。民主化の原体験がない今の若い世代にとっては人権や女性の生き方といった問題が声をあげるべき対象となっている」
今年40歳を迎えたパクさんには時代の自然な流れと映っている。「新しいものを見たい観客と、作りたいと考える若い世代の欲求を、ようやく業界全体が受け入れられるようになってきた」。しかも、その変化は「男女平等の観点だけではない」。今年の米アカデミー賞でいずれも女性で中国出身の監督や韓国人俳優出演の作品が注目された。ダイバーシティーを重視した作品づくりの機運は韓国でも芽生え始めているとパクさんはみる。
スマホでユーチューブ用の動画づくりに慣れ親しんで育った20代の現場スタッフたちにとって、映画作りは特別なものというより「身近で現実的な夢」。思ったことや不当に感じたことを直言する雰囲気も10年前は考えづらかった。「この先10年の変化で、もっと自由で多様な作品が生まれる気がする」。そのうねりに身を置くことが、映画の作り手として楽しみだという。