――NHKのクローズアップ現代+が終了すると「Yahoo!ニュース 個人」で記事にしました。これに対し、NHKは「事実無根」などとする見解を発表しています。改めてうかがいますが、ご自身の記事に自信はありますか。
はい。NHK内部の職員も含めて多数の証言がありますし、何よりも物的証拠があります。それはクロ現(クローズアップ現代)が終了することを前提とした、次の番組の制作に向けた予定などを記載した内部資料です。
そこには「“クロ現の次”に向けたアイデア募集」とはっきり書かれているほか、パイロット版の制作メンバー表が書かれた資料も入手しています。
メンバー表には具体的な個人名が記載され、しかも彼らは「おはよう日本」や「ニュースウォッチ9」、首都圏放送センターなど、所属部署は様々です。
中には、スポーツ報道センターの人もいる。この部署なんて今、東京オリンピック・パラリンピックで人を出すのは相当のやりくりが必要でしょう。
にもかかわらず、これだけ広範な部局から人を集めてパイロット版を作っているわけです。私も驚きました。どこの組織でもそうでしょうが、他部署から人を出して事業をするのであれば予算措置が必要になります。
それでも私は番組制作はよく知らなかったので、1年も前からこんな大々的にやるんだろうかと半信半疑の部分もありました。そうしたら内部の人から「立岩さん、何言ってるの。クロ現を変えるっていうことは大変なことなんですよ。今から準備しても間に合わないぐらいですよ」って言われて。
テレビはご存じのとおり、10月と4月に番組改編があるんですね。4月改編の場合、事前の記者会見もあるので前の年の10月ごろにはある程度形になってないと間に合わないというのです。
その上、パイロット版というのは何度も作り直すそうで、「今からでも早すぎない」とは、まあ、言われてみればそうだろうなと。つまり、これはもう引き返すような話ではないということでした。
入手した資料には「課題曲」という言葉も書かれています。情報提供を受けたとき、最初私はその意味が分かりませんでした。「クロ現で歌を変える?」という感じで。
私もテレビ局にいたとはいえ、記者でしたからNHKの番組がどう制作されていくのかというのは正直、知らないんです。新しい番組がどういう風に決まっていくのか。
でもそれも取材を進めていくと、上から課題を与えられて制作する番組のことであると。ちなみに下から、つまり現場から自由に提案する番組は「自由曲」ということもわかって。資料の謎が氷解し、提供者との証言とのつじつまも合いました。
隠語が使われていたことでかえって情報の真実性が増し、これはもう間違いないだろうという確信を得ました。NHKはとにかく隠語を使う組織なので。
――なぜ報じようと思ったのですか。内部から情報が出る場合、誰かの、何らかの意図が働くこともあります。
ある人に「クロ現終了の情報がNHK内部の権力争いに利用されたんじゃないの?」って言われたんです。しかし、全然そんなことではない。ある意図を持った人が私に情報を持ち込んで、「どうぞ書いて下さい」っていうのではまったくないんです。
たまたま得た情報なんです。私は今、NHKをテーマにした本を執筆するために取材をしているんです。念のために言っておきますが暴露本ではありません(笑)。公共放送としてのNHKを総合的にとらえようとする内容です。
当然、内部の人たちから話を聞く機会も生じるわけですが、その過程で出てきたのがクロ現が終わるという話でした。
最初に情報提供してくれた人は、たいした意図もなく話してくれたんです。さっきも言いましたけど、私は記者だから、そもそもNHKの番組がどうやって作られるのかがわからなかったんです。
一から聞いていく中で、自分も現役時代に参加したことがあるクロ現を例に「例えばクロ現の場合だとどうやって作っていたの?」みたいなことを聞いていたんです。そしたら、その人が「いやあ、実は立岩さん、クロ現はもう終わるんですよ」「すでに次の番組を作るための議論も始まってます」と。
こちらも「えっ?」という驚きはありましたが、その時は「クロ現、終わるんだ」ぐらいの感じでした。でも、後日その人が「立岩さん、あの話、書いていいですよ。色々取材してもらってもいいですけど、みんな資料持ってますから」と。
正直、こちらも戸惑いました。そもそも別の取材をした結果、出てきた情報だったので。ただ、内部資料を読んでいて、私自身、不安を覚えてきた。
というのも、資料にはネットとの融合とか若い力を結集しようみたいなことが書いてある。それはまあ、いいんですけど、いわゆる報道として社会に切り込んでいくとか、問題を提起していくとかという要素はあまり書かれていないんです。
視聴率は取れるかもしれないけど、社会がNHKに求めているような番組になるんだろうかと。そして、ここまで話が進んでいる以上、クロ現が終わるという動きはもう後戻りすることはないんだろうと考えたとき、やっぱりこのまま黙ってNHKの正式発表を待つのはどうなんだろうと思ったんです。
たぶん発表するときは、「クロ現を超える、すごい番組を作ります」となるんでしょうが、その前にやっぱり一度、クロ現が果たした役割を振り返った方がいいんじゃないかと。そういう意味も込めて、書くことにしました。一石を投じられるというほどの大それた思いでもなかったんです。
――クロ現が果たしてきた役割とは?
少なくとも日本のテレビ報道を牽引してきた番組であることは間違いないでしょう。伝統ある報道番組であり、そう簡単に変えるべきではない。それは欧米でもそうです。イギリスBBCの「パノラマ」しかり、アメリカCBSの「60 Minutes」しかり。いずれもクロ現よりはるかに長寿番組で、今も続いています。
社会が変わり、それに合わせてメディアも変わったとしても、大事にしている番組は大事にするわけです。
報道番組はそれ自体が社会の公器でもあります。クローズアップ現代というのはやっぱり、一つの大きな社会に対する重みであり、社会の問題を掘り下げることに意味があると私は思っています。
――クロ現が終わるという情報について、複数の証言と内部資料で裏付けをしているわけですね。それでもNHKは「事実無根」と完全否定しています。
まあ、NHKは反発するだろうとは思いました。「正式決定はしてない」と。その意味で「誤報だ」ぐらいのことは言うだろうなと。
それが「全くの事実無根だ」と言うわけです。驚きました。長年取材をしてきた私たち記者の感覚からしたらあり得ない対応です。
最初の記事が出た後、NHKの広報局幹部から電話がかかってきたんです。私の社会部時代の先輩なのでよく知ってるんです。その彼が「立岩さあ、お前だから言うけど、NHKがここまで否定するってかつてないから、これは本当に事実無根だよ」と。
私はあぜんとしてしまい、「全くの事実無根ですか?」って聞き返しました。それでも「ああ、事実無根だよ」と。
会長とか副会長とかのレベルでそう言えと言われてるんでしょうけど、絶対担当の部署とかに確認してないなと思ったんです。なにしろ内部であれだけ共有されている情報ですから、確認していたらそうは言えないですよ。
だから私は言いました。「言うのは自由ですけど、もう一度ちゃんと確認した方がいいんじゃないですかね。聞きかじった情報をもとに、一発特ダネでも当てようと書いたと思ってるんだったら、違いますよ。色んな人に聞いて悩んだ末に、やっぱり書いたほうがいいなと思って書いたものですよ」と。
普通は、例えば朝日新聞がある組織、警察とかの内部情報をすっぱ抜いたときに、我々記者は警察に取材に行って「朝日がこんなこと書いてますけど」って確認するじゃないですか。それを受けて、広報は捜査を担当する部署などに聞いて、ここまでは話してもいい、ここまでは認めようとかやり取りをしますよね。
でも今回のケースでは、あとから内部の人に聞いたら、広報がそういう確認をした痕跡が見えないんです。しかも、朝日新聞をはじめとするほかのメディアが確認しても「あの記事は事実無根です」としか言わないと聞きました。
ショックでした。あの見解はNHKにしたら、私の記事に対して厳しい内容なのかもしれないけど、私からすれば軽いんですよ。
というのも、こちらはちゃんと内部資料も入手して裏付けをして書いているのに、NHKは現場に確認もせず「事実無根だ」と。
これは報道というものをなめていると思いますし、事実に対して真摯に向き合っていないと言わざるを得ない。
私も散々やってきましたが、記者は役所が持っている情報をどの段階で報じるかという競争をしているわけです。抜いた抜かれたって結局、そういうことですよ。でも、それだけが取材じゃないんです。特にこれからの時代は変わっていかなきゃいけないし、志がある若い人たちはそこに活路を見出している。
例えば欧米では、取材経験のあまりない若者がインターネットを駆使してオープンソースに食らいついて、そこからどんどん事実を突き詰めていく。色んな取材の方法があって、役人が出勤するときとか帰宅したときに話を聞くという「夜回り朝駆け」に軸足を置いた情報収集のやり方から変わってきてるわけです。
にもかかわらず、NHKの今回の対応は、誰かが言ったことを書いたぐらいに考えているようで、すごく軽く感じましたね。ああ、NHKってこんな風になっちゃったんだと。
――それにしてもなぜ、NHKは「事実無根」と言ったのでしょうか。
最初の記事で安倍前政権と菅政権がこの番組をつぶしたがっているという内部の証言を紹介しています。それで何か、逆上するというか、瞬間的に「こんな記事はもう事実無根でつき返せ」という感じになったんだろうと語るNHK内部の人は多いです。
NHKに関する報道って山のようにあって、批判的な論調の記事だって、例えば、文春だって朝日新聞だって書いている。それでも「見解」って出してないんです。だから今回がいかに異常かということがわかる。
私が知る限り、見解を出したのは二つだけ。一つは今回の私の記事。もう一つは、森友学園問題を取材している元NHK記者の相沢冬樹さんが「安倍官邸vs.NHK」という本を出したときです。
――相沢さんの本もまた、国家権力とNHKとの関係に触れた部分がありました。NHKとしては、そこに反応したということでしょうか。
そうかと思います。でも繰り返しになりますが、証拠も証言も示している記事に対して、事実無根と突っぱねるのは報道機関としておかしい。百歩譲ってですよ、「検討はしてます。でも最終的に決定するのはNHKなんだから、あなたに言われたくない」ということで否定するならわかるんですよ。
それが全くの事実無根と言ってしまうところに、すごい怖さを感じました。
報道を甘く見ているとも思いますし、それでいて公共メディアとか言うわけでしょう。
NHKに批判的な有識者は多くて、彼らはNHKが「政府の広報機関になってる」とよく言いますよね。私は記者ですから、事実に基づいて冷静に物事を伝えたいと考えているので、そうした動きと同じようなスタンスで指摘したくないのですが、でも今回のようなことに直面すると、そういう懸念はあるのかなと思ってしまいます。
――立岩さんは記事の中で、安部前政権と菅政権が番組をつぶしたがっていて、さらにはNHK内部でもそれに呼応するグループがあると書かれています。どういうことでしょうか。
クロ現がなくなるという話で言うと、この春までクロ現+でキャスターを務めアナウンサーの武田真一さんの件を臆測する人がいます。
武田さんが以前、番組の中で自民党の二階俊博幹事長にインタビューした際、不快な思いをさせたのが原因だと。武田さんはこの春、大阪放送局に異動したわけですが、それは飛ばされたんだと。それでクロ現も終わるんだと。でも私が知る限り、これは前後関係が違います。
まず、武田さんの人事が内定したのは問題とされたインタビューより前です。また、クロ現の終了はもっと前から議論されていたことです。その動きが今年になって具体化したということです。
一番大きいのは、菅首相が官房長官時代に出演したときのことでしょう。当時のキャスターは国谷裕子さん。集団的自衛権の行使容認をめぐって国谷さんが菅さんに厳しく迫る姿は、視聴者からは高い評価を得ましたが、一方で政権やNHK内部の一部からは反感を買ったんです。
その内部というのは、政治部を筆頭に社会部など、記者クラブに在籍する記者を抱えている部門です。そうした部署は政権や捜査当局といった、いわゆる権力とうまくやりたいわけです。
一方で、クロ現もそうですが、テレビの報道番組というのは、記者ではない人が制作を主導するわけです。NHKではPD、プログラムディレクターと言います。確かに彼らは、時に危なっかしい取材方法もとったりするので、政治部や社会部とのあつれきというのはあるわけです。
それでも国谷さんがいたころは、彼女が一つの大きな信用であり、みんなで支えようという状態でした。ところが彼女が降板してからは番組を縮小する動きが強まって、ついに現場も抵抗できなくなっていったようです。
一方で、NHK内部には、クロ現の終了を前向きに受け止めている人もいるんですよ。クロ現の視聴率は今、6%位だそうです。この数字が高いか低いかは議論はあるんですが、特に問題になっているのが59歳未満の比較的若い層、社会の中で活躍している女性男性が見ている率がかなり低いということです。
やっぱりこれではクロ現はダメなんじゃないか、何か変えなきゃいけないという議論はずっとあったと。そんな中で、昨年会長に就任した前田晃伸さんの改革路線と合致する部分が出てきたようです。
――といいますと。
前田会長はかつてない大がかりな改革をしようとしていて、「縦割り行政」的な組織を見直してスリム化しようとしたり、若手を積極的に登用しようとしたり。番組についても、視聴率の取りやすいゴールデンタイムの長寿番組がマンネリ状態になっていると変えようとしています。
クロ現はまさにこの長寿番組であり、改革の対象ではあるんです。元々クロ現をよく思っていなかった人たちにとっては「渡りに船」とも言えるでしょう。
前田会長の改革方針に賛成しているNHK職員も多い印象はあります。いずれにしろ、クロ現の終了は、前田会長が掲げるNHKの改革とも無縁ではなく、その意味でも、公共放送としてのNHKを取材してきた私にとって見すごせない情報だったわけです。
――今回の取材で見えてきたNHKの問題は何だと思いますか。
前田さんは色んな改革を進めようとしていますが、私は公共メディアとして一番大事なことが欠如していると感じています。
それは取材を尽くすとか、情報や事実を大事にするということです。私の記事に対して、安易に「事実無根」と言ってしまったことがまさにその現れです。
それがまずあっての、組織改革やスリム化や受信料の値下げなんでしょうけど、どうも根幹みたいなところの議論が置き去りにされていると思います。
――ほかのメディア、報道全体にも言えること、教訓のようなものはありますか。
メディアというものが大きな荒波の中にいるということはみんなわかっていることです。新聞は読まれない、売れない、テレビも硬派なニュース番組は見られない。だからニュース番組がバラエティー化している面もある。
人々は事実よりも面白いものや自分と同じ意見に向きがちで、そうした中でフェイクニュースというものがまんえんしている。それを拡散する人もいますし。
だからこそ、私はこう思うんです。今ほど事実に立脚するということがメディアに求められている時代はないと。にもかかわらず、NHKは公共メディアという立ち位置を見失っているような気がします。
そして、NHKで起きていることはほかのメディアでも起きていると思った方がいいでしょうね。朝日新聞も含めて。
NHKという巨大組織から見れば、私なんて吹けば飛ぶようなちっぽけな存在です。もし、NHKが強いことを言えば吹っ飛ぶだろうと、そういう思いで今回の見解を出したのであれば、それこそが問題なんです。
相手がどんなに弱くても、小さくても、事実を突きつけられたら向き合うのがメディアの最低限の役割だと思います。それが自分たちにとって都合が悪い話であったとしても。
アメリカの代表的な新聞にワシントン・ポスト紙がありますが、その編集局の壁に大書されている言葉が有ります。そこには、「事実は、それがいかに都合が悪いものでも長い目で見れば嘘より安全だ」。今、メディアに求められている言葉ではないかと思います。
NHKの見解は?
NHKは立岩氏の記事に対し、次のような見解を発表している。