■乗客の動きを見守る自動運転バス
羽田空港近くの公道。えんじ色の線が描かれたバス専用レーンを大型バスが静かに走行していた。「運転手」はハンドルに手を軽く添えるだけ。交差点にさしかかると、くるくると自動でハンドルが回り、バスは何事もなく曲がっていった。
これはSIPによるレベル4(自動運転のレベルは下図参照)を目指した自動運転バスの実証実験だ。一般の車や歩行者も通る公道で、警察の許可をとって行われている。コースは1周約4キロ。最高時速35キロで、1日10回程度走るという。
バスに乗り込むと、普通の路線バスと同じような座席やつり革があり、中央に設置された大型モニターが目立つ。3分割で表示され、上段左は、自動運転中なら「AUTO」、運転手が操作中は「MANUAL」と知らせる。上段右は、バスに搭載された様々なセンサーが、周囲をどのように把握しているか図で示す。バスには、レーザー光を使って周囲の物体の形や距離を3D測定できるLiDAR(ライダー)やレーダー、カメラなど様々なセンサーが装備されており、その情報を組み合わせて認識している。
感心したのが下段の映像。乗客の動きを天井にあるカメラで追跡し、その軌跡をマーカーのような太線で表示する。カーブで乗客がふらつくなど危険な状態を検知すると、速度を下げたり、止まったりするという。
自動運転のテクノロジーはAI(人工知能)の進化とともに2010年代に急速に発展した。米グーグル系企業「ウェイモ」やトヨタなど、IT企業や自動車メーカーによる開発競争が激しくなっており、高速道路など一定条件で自動運転を可能にするレベル3の車は、ホンダが年内の発売を目指している。運転手がいらないレベル4の登場は早くても2025年ごろとみられるが、人手不足に悩む運送業界は「本命」と期待している。
大型バスは乗用車に比べると、微妙な操作が難しい一方、立っている乗客がいるなど安全性の確保はより難しい。私も乗車中、加速や減速の時に、何度か体が大きく揺れて、少し怖いと感じたことがあった。バスの走行や乗客の様子は外部のセンターでも監視しており、センターからも運転手に指示が送られる。
■バス停にぴたりと止める技術
今回の実験で特徴の一つに挙げられるのが、バスが位置情報を認識するシステムだ。
一般的に自動運転車は、人工衛星からの信号を使うGPS(全地球測位システム)で位置を把握し、地図やセンサーの情報と組み合わせて走行ルートを決めることが多い。だが、今回は道路に埋め込まれた磁気マーカーを検知して位置を確認している。
トヨタと共同開発した日野自動車の自動運転技術研究部部長の一ノ瀬直さんは「同じ場所を走る前提なら、トンネルなどGPSの電波が届かない場所や、(カメラでは確認できないような)積雪で白線が見えない道路でも有効な手段となる」と説明する。磁気センサーの場所は後から地図に記録できるので、埋め込む場所もそれほど厳密である必要はないそうだ。路線バスのように決まったコースを走るなら、低コストでの整備を可能にするかもしれない。
また、今回はメディアへの公開は見送られたが、羽田空港の第3ターミナルには仮設のバス停が設けられ、自動運転で停止、発車する実験も行っている。自動運転バスなら、約4.5センチとバス停にぎりぎりまで寄って止まれるので、車いすの人が自力で乗車することもできるという。もちろん、お年寄りや子連れにとっても乗り降りが楽になるのは間違いない。
ところで実験で使われていたのは、トヨタの燃料電池バス「SORA」(ソラ)。搭載する水素を燃料にして発電し、モーターを回して動く電気自動車の一種だ。トヨタで開発を担当するCVカンパニーCV製品企画ZM主幹の香川卓也さんは「自動運転に不可欠なAI(人工知能)は一定量の電力が必要になるので、電動車両は自動運転に適している」と説明する。
■ライバル社が協調するメリット
この実験の旗振り役は、内閣府の「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)」。SIPではこのほか、お台場の道路や首都高速道路も使い、▽約30の信号機の色や切り替わるタイミング▽高速道路の合流地点付近の本線混雑状況、などを事前に車に伝えて交通を円滑にするシステムの実証実験をしている。
SIPの自動運転プロジェクトは第1期が2014年度にスタートし、自動車や電機などのメーカーや大学、省庁が参加する推進委員会が発足。その下に設けられたワーキンググループとともに活動し、自動運転に欠かせない高精度のダイナミックマップ開発などの成果をあげた。
現在は18年度に始まった第2期にあたり、22年度にかけて自動運転にとって重要な情報インフラの構築に向けての技術的、法的な課題を整理する。今回の実証実験はその一環で、2019年10月に始まり、21年3月まで続く。SIPが実験の枠組みを準備し、参加団体がそれぞれ実験車両を持ち込んでテストし、データをSIPに提供する。
日本では自動車メーカーが部品会社を含めたグループをつくり、技術開発で競ってきた歴史がある。自動運転技術でも、今年1月にトヨタが富士山のふもとに、自動運転や人工知能の実証都市「Woven City(ウーブン・シティ)」をつくる計画を発表。ホンダは18年に米ゼネラル・モーターズ(GM)傘下の自動運転の開発会社に出資している。
だが、SIPでとりまとめのプログラムダイレクター(PD)を務めるトヨタの先進技術開発カンパニーフェローの葛巻清吾さんは「自動運転は通信や法律も含めて関係する領域が幅広く、1社だけではとてもやれない。電機業界も入って、産学官で進めるメリットは非常に大きい」と期待する。
自動運転の普及には、車両の位置や道路状況など様々な情報を、多くの車やセンサーの間で効率よくやりとりする必要がある。メーカーごとに通信やデータの規格が違えば事故にもつながりかねず、規格の標準化が不可欠だ。
さらに、事故が起こったときの責任や保障などの法整備のほか、社会が自動運転車を受け入れられるかといった課題もある。葛巻さんは「メーカーが競争して車を開発する一方、協調が必要な領域はSIPで担当し、産学官で課題を整理していく」と話す。
■目指すは国際標準
さらにSIPが重要視するのが、国際標準を目指した国際的な連携だ。今回の実験でも外国メーカーに声をかけて参加が実現したほか、ドイツとは話し合いも進めている。
かつて日本の携帯電話は世界的にみても高い性能を誇ったが、独自規格で発展したため外国では使えず、「ガラパゴス携帯(ガラケー)」と皮肉をこめて呼ばれる。同じ轍を踏まないためには、日本のシステムが外国で、外国のシステムが国内で使えるようにする必要がある。
例えば日本は昨年、自動運転に向けた制度整備のために道路運送車両法を改正。今年春には、自動運転が作動する走行環境条件をあらかじめ申請することや、自動運転が作動している記録を残すことなど、自動運転車に求める具体的な安全性能を公表した。この基準が世界各国と違えば、携帯電話の二の舞になる恐れがある。また、通信に使える電波の周波数も各国が独自に決めており、業界として協調した取り組みが必要だ。
国連の自動車基準調和世界フォーラムなどで国際的な基準づくりが議論されており、日本は分科会の共同議長を務めるなど基準づくりに貢献しているという。
こうした国際連携のカギを握るのが、大学との連携だ。
今回の実証実験では、信号機との協調システムの実験を金沢大が受託して参加している。自動車メーカーや部品メーカーと組んで自動運転の公道実験をしてきた実績が評価されたからだが、葛巻さんは別の効果もあるという。「メーカーは競争があるので実験データをそのまま出すことはない。金沢大からは議論のたたき台となる客観的なデータを出していただけるのでありがたい」と打ち明ける。外国との標準化の議論を進めるためにも、こうした客観的なデータが必要だ。
金沢大新学術創成研究機構の菅沼直樹教授は「日本は公道で実証実験をする障壁がかなり低く、先端的な国だと考えている」とした上で、「最近の自動運転の盛り上がりを契機に、メーカーも大学と連携しようという試みが増えている」と産学の連携の深まりに手応えを感じている。
日本の自動車業界は、外国に比べて産学連携が弱いと言われていたが、これからは産学官のオールジャパンの力を結集し、自動運転で世界の標準化をリードしたい考えだ。
今年、東京オリンピック・パラリンピックが開催されていれば、7月に日本自動車工業会と一緒に自動運転バスの試乗会を開く計画だった。新型コロナウイルスの影響で延期となり、実証実験も2カ月程度、休止を強いられた。だが、すでに各社は実験を再開しており、葛巻さんは「それほど影響はなかった」という。
来年には改めて試乗会を開く方針だ。さらに自動運転に関する情報発信のサイトとして「SIP cafe」(https://sip-cafe.media)を作るなど、様々な機会を利用して、国内外に日本の自動運転技術の情報を発信していくつもりだ。