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人気の寿司ダネ、食べられなくなる? 危機をもたらす「海の酸性化」とは

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将来、海の酸性化で危機に瀕する恐れがある、代表的なにぎり寿司=山本智之撮影

■地球を温めるだけじゃない。二酸化炭素の「落とし穴」

まずは、このグラフを見てほしい。

二酸化炭素のグラフ

太平洋に浮かぶハワイ島のマウナロア観測所で記録された、大気中の二酸化炭素の濃度だ。赤い折れ線グラフは、ジグザグと揺れ動きながらも、右肩上がりを続けている。

石炭が大量に使われるようになった「産業革命」の以前は、大気中の二酸化炭素の濃度は約278ppm(ppmは百万分の1)だった。しかし、近年は400ppmの大台を突破した。昔に比べて約1.5倍もの濃度になったのだ。

(出典:https://www.esrl.noaa.gov/gmd/ccgg/trends/

このグラフは、よく「地球温暖化」の説明のために使われる。二酸化炭素は、地球を温める「温室効果ガス」であり、その濃度が高まり続けていることを示す証拠の一つである。

しかし、グラフが示すもう一つの深刻な問題がある。それが「海の酸性化」だ。

二酸化炭素は水にとけると酸としてはたらく。そして、大気中の二酸化炭素が増えれば増えるほど、どんどん海に溶け込み、海水の化学的な性質を変えてしまうのだ。これが、海の酸性化のしくみだ。

海が二酸化炭素を吸収してくれること自体は、昔から知られていた。だがそれは、大気中の二酸化炭素の増加ペースを緩和し、地球温暖化を抑えてくれる、いわば「良い現象」だと思われていた。そこに、思わぬ「落とし穴」があった。

■進行する「海の酸性化」

酸性やアルカリ性の度合いは、pH(水素イオン濃度指数)の数値で示される。pHが7だと中性だ。それより数字が大きければアルカリ性、数字が小さければ酸性となる。

世界の表層海水のpHは現在、約8.1の弱アルカリ性だ。しかし、海の酸性化が進むにつれて、pHの値は低下してしまう。その結果、海に暮らす生き物たちに、深刻な影響をもたらすと懸念されている。

最大の問題は、海の酸性化が進むと、貝類やウニなどの生物が、炭酸カルシウムの殻や骨格を作りにくくなるという点だ。このため、アワビやホタテガイ、ホッキガイといった寿司ダネの貝類も、キタムラサキウニのような食用のウニも、生息を脅かされる恐れがある。これは、寿司ダネはもとより、私たちの食卓に大きな影響を与える可能性がある問題なのだ。

世界の海洋(表面海水)のpH分布【1990年】=気象庁提供
世界の海洋(表面海水)のpH分布【2016年】=気象庁提供

全世界の海洋のpHを色分けして示した図を「1990年」と「2016年」で比べてみると、海域によって濃淡はあるものの、全体として海水のpHが低下していることがよくわかる。海の酸性化は、もう始まっているのだ。そして、世界の表層海水のpHは、産業革命前に比べて、すでに0.1程度低くなっていると推定されている。二酸化炭素をひたすら吸収しつづけたことで、海は「酸性化」という病気にかかってしまった。

■米国の「ダンジネスクラブ」をめぐる異変

いまのところ、日本の海の幸については、まだ酸性化による悪影響が出たという話は聞かない。しかし、海水を人工的に酸性化させて生物を飼育する実験では、ウニの幼生が通常よりも小さくなったり、ホッキガイの貝殻が薄くなってしまったりといった悪影響が報告されている。そして海外では、自然界においても、気になる事例がいくつかみられる。

その一つが、今年、米国の研究グループが発表した「ダンジネスクラブ」への影響だ。

食用に流通し、「ダンジネスクラブ」の名で親しまれているアメリカイチョウガニ=山本智之撮影

正式な名前は「アメリカイチョウガニ」といい、北米西岸のアラスカ~カリフォルニアに分布。日本にも輸入されている。

研究グループは、米西海岸沖の太平洋で、海の中を漂うアメリカイチョウガニの幼生を捕獲し、電子顕微鏡で体の様子を詳しく調べた。その結果、酸性度の高い海水の影響により、体が溶けたり、損傷を受けたりしているケースが見つかった。

■水族館の人気者、「流氷の天使」も絶滅の懸念

海の酸性化がさらに進むと、絶滅してしまうと心配されている生物もいる。たとえば、水族館で人気の「クリオネ」だ。正式には「ハダカカメガイ」といい、北海道沿岸を含む北太平洋に広く分布している。

「クリオネ」の通称で親しまれているハダカカメガイ=東京都品川区のしながわ水族館、山本智之撮影

ハダカカメガイは偏食で、ミジンウキマイマイという小さな巻き貝を食べて暮らしている。ところが、海の酸性化が進むと、ミジンウキマイマイが姿を消す可能性があり、そうなれば、エサを失ったハダカカメガイもまた絶滅する可能性があるのだ。

一方、南の海では、温暖化に伴う海水温の上昇によって、サンゴに危機が迫っている。サンゴの骨格は炭酸カルシウムだ。このため、海の酸性化が進むと、サンゴが生息できる海域が今よりも減ってしまう。

国立環境研究所などのグループは、海の温暖化と酸性化のダブルパンチにより、日本のサンゴは最悪の場合、2070年代に全滅する可能性があるとの予測研究を発表している。

サンゴもまた、「海の酸性化」の影響が心配される生物だ=沖縄県・石垣島、山本智之撮影

■伊豆諸島にある「天然の実験場」

このまま海の酸性化が進んでいくと、海の中の景色はどんなふうに変わってしまうのだろうか? 実は、そんな「未来の海」を垣間見ることができる場所が、日本にある。伊豆諸島の式根島だ。

ここには、海底から二酸化炭素が吹き出している特殊な場所がある。二酸化炭素が海水に溶け込む「天然の実験場」なのだ。私は昨年、この海域で潜水取材を行ったが、サンゴや大きな海藻がない、寂しい海底が広がっていた。この海では、巻貝の殻の一部が溶ける奇妙な現象も確認されている。

岩の隙間から出る二酸化炭素の泡と筆者=伊豆諸島の式根島

海のプラスチックごみの問題に、いま世界の注目が集まっている。しかし、海をめぐる環境問題はそれだけではないことを、多くの人に知ってもらいたいと思う。温暖化と海の酸性化は同時に進む。いずれも二酸化炭素が原因であるため、海の酸性化は「もう一つのCO2問題」と呼ばれている。国連総会で採択された「持続可能な開発目標」(SDGs)の14番目の目標は「海の豊かさを守ろう」。そして、この目標のターゲットの一つとして、「海の酸性化問題への対処」が掲げられている。しかし、環境問題としての「海の酸性化」の知名度は、まだまだ低いのが現状だ。 

※ 本稿の詳しい内容は、講談社ブルーバックスの最新刊『温暖化で日本の海に何が起こるのか』で紹介しています。