ベネチア映画祭では、観客の反応から、ちゃんと1時間48分、あの母と娘の物語に集中して見てくれた、きちんと意図を拾ってくれてるな、と感じました。そこは安心しましたね。でもまだ不安はあるんですよ。フランス人がこれを観た時に(フランス公開は年末)、ぼくが書いた日本語の台本を、もちろんフランス語に訳してもらったわけですが、フランス人が演じた時に、どれくらい違和感なくきちんと台詞に落とし込めているかどうか。そこは、結局ぼくにはわからないから。外国人が書いた日本語の台詞を日本人が言っている時に、すごく違和感を感じることってあるじゃないですか。そこは一番難しいとこなんじゃないかな。
――母娘が「真実」をめぐって対立するけっこう重いテーマでありながら、ある種の軽みが魅力だと思いましたが、この軽さというのは最初から狙われたのでしょうか。
カトリーヌさんの持ち味でもあるので、軽い軽快な話にしようと思っていました。(ベルイマン監督の)『秋のソナタ』ではないので、深刻な話を、深刻に提示しようとは思ってませんでした。
――フランス人が作ると、おそらくもっと言い合い、叫び合いになる。さっと脇へかわすところがなんとも魅力的で、是枝作品らしい気がしました。
これでも日本人のために日本で書くよりは衝突させているんですけど。いつもよりは言葉にしてますし。日本人だったら、そこは言わないとか、もっとかわしちゃうと思うんです。その辺、ぶつかる度合いを上げたつもりです。
――やはりフランスは「言葉の国」ですよね。
そうなんですよね。スタッフと話していても、たぶん日本人だったらそこまで言葉にしたら、翌日はキスし合って始められないだろう、と思うんだけれど(笑)、全然平気ですからね。スタッフどうしでもずい分やり合ってましたから。
■自分の意図、手紙で伝えた
――その真ん中にいらしゃる監督は、そういう中でご自分のほしいもの、ここに行き着きたい、というものを手に入れるためにどうされたんですか。
苦労したという印象はないんです。いつもよりは言葉にしてましたし、スタッフにもキャストにも手紙を書いて、直接しゃべれない分、文字にして渡していました。脚本の直した所とか、自分の演出意図とかを伝える時には、なるべく手紙にしました。ふだんもやりますけど、言葉の壁があってどうしても間接的にならざるを得ないので、ふだん以上にやりました。
むしろ手紙は間接的でなくて直接言葉が文字として残るから、手紙の方がいいなと思って、ちょっと多めに書いたりしました。スタッフに対してもなるべく。たとえば絵コンテはなくてもやれるんですけど、何もないところで話し合うよりあった方がいい。手助けになるので、意識的に毎日書きました。
――家族がテーマですから、そうした絆を俳優陣の間に築くために、準備したことはありますか。
一日、遊園地に3人(ジュリエット・ビノシュ、イーサン・ホーク、子役のクレモンティーヌ・グルニエ)で遊びに行ってもらって、ぼくも同行しましたけど、いっしょにボートに乗ったり、射的したり。家族ものをやる時には、日本でも必ずやります。 3人でいる時にどういう感じなのか、ぼくが感じを掴むためもありますし、子どもとどういう距離で接する人なのかを見極めるということもある。それは必ずやりますね。
――その一家を迎える母で大女優ファビエンヌという設定のドヌーヴは、さすがの存在感でしたね。
オーラがあるんですね。あれはなんなんですかねー、目が離せなくなる。現場でもそうでしたけど。
――最初から彼女を念頭において台本を作られたそうですが、構想の発端はどのようなものだったのですか。
2003年くらいに自分で書いていた、大女優の楽屋だけを舞台にした戯曲があって、完成しなかったんですけど、その国の映画史を代表するような女優で、もう映画には呼ばれなくて舞台をやっていて、周りに悪態ばかりついている女優の、上演前と上演後との二幕もの。それがベースになっています。
2011年くらいに、ビノシュさんと何度目かに日本で会って、何かいっしょにやりませんかって彼女から具体的な提案があって、それで考えた時に、あの話を楽屋だけじゃなくて母と娘の話にしてフランスで撮ってはどうかな、と。フランスならカトリーヌ・ドヌーヴがいるな、と思ったんです。
――では、2人のために書いたシナリオなのですね。
はい、そうです。2人ありき、です。
――ドヌーヴさんの仕事ぶりというのは?
動きながら台詞を入れてゆくタイプなんですよ。だから台本は覚えてはこない。楽屋に入ってはじめて覚え始める人ですね。現場で動きながら、しゃべりながら自分で入れてゆく感じ。逆にそれが非常に生々しくていい。結果的には。
――反対に、ビノシュさんは、ばっちり覚えてくるタイプらしいですね。
ぼくの台本がちょこちょこ変わるから、あんまり変えないでくれって言われるんですけど、撮影の後、毎日編集するので、土日がはさまると直したくなってしまって、月曜に新しい台本をリライトして渡すみたいなことをやってたんで、そのうちビノシュさんも、もう諦めたわって、そこはこっちに合わせてくれました。ぼくの場合は、だから、クランクアップの日にようやく完成台本ができるって感じです。
――ビノシュさんは予想した通りの手応えでしたか?
うまかったですね。うまかったっていうか、瞬間的にその空間を支配する強さがある。予期してない時にそういうものがふと出てくるから、ドキッとするんですけど。(作品の冒頭で)自分が育った母の家に着いて、ひとりだけ残って家を見上げるアップは、コンテそのものではあるんですけど、黙って見てるだけなのに、一瞬にして内面が全部出ている。わっ、強いなと思った。また、劇中劇の場面で、母親が演じるのを移動しながら見ているところも、ぼくはそこまで意図してなかったんだけど、彼女の目線に包まれちゃって、劇中劇が彼女の過去に見えちゃう。たったの数秒で、ぼくが別のカットもあわせて表現しようとしたことを実現してしまう。それくらいやっぱり彼女は強いんですよね。
――ほかに強烈な印象を残したカットはありますか。
劇中劇のセットの中の場面で、カトリーヌ・ドヌーヴさんが転んだ後のワンカット。(劇中劇の主人公)マノンを見ながら、(ファビエンヌの亡き友人でライバルだった)サラに語りかけるように、「あなたがいなくなってとても孤独だった」ってお芝居をする1分40秒くらいのワンカットの横顔のシーンがあるんですけど、撮り始めて、これは特別なテイクになるなってすぐにわかりました。みごとだったんです。片目がマノンに隠されていて、片目だけ見えるんだけど、完全にパーフェクトでした。
――ワンテイクだけ?
ワンテイク目でした。時々あるんですよ、そういうことが。あの日みんな、すごかったねって帰って行きましたね。ぼくはカメラ脇で見てましたけど、モニターで見ていてもたぶんわかったと思います。ちょっと神がかった感じがしました。これはすごいなーと。なんかわからないものが働いてるんですよ。演技を超えたものが。もっと何カットも重ねるはずだったんですけど、あのワンカットで押して終わっちゃったんですよ。
言葉の問題でトラブって演出の問題があった瞬間があるかっていうと、ぼくは思い浮かばない。求めるものがズレて出てきたりすることはなかったです。
■作品全体を俯瞰で見ているカトリーヌ・ドヌーブ
――ドヌーブさんは、監督のお顔の表情から、言葉が訳されるより先に、監督がいまのカットをどう思っていらっしゃるかわかるようになった、とインタビューで話していらっしゃいました。
途中であんまり言葉が必要なくなったと思います。彼女には途中で編集を観たいって言われて、3分の1くらい撮ったところでDVDにして渡したんです。彼女は現場でも全くモニター見に来ないし、自分がどう映っているかをチェックしたいというのではなくて、作品全体のトーンとかリズムとかユーモアがどういうところにあるのかとか、自分が出てないところの男たちの芝居を見ておきたいとか、そういうことだったんです。こう作品全体を、俯瞰で見ている感じがありましたね。主演と助演のちがいはありますけど、樹木希林さんもそうですね。希林さんは作品を途中で見たいとは言いませんけど、作品の中での自分のスタンスを見極めるっていう面は、かなり似たものを感じました。
――監督は俳優から助手にいたるまで、スタッフ全員の意見をよく聞かれる方だとうかがっています。台本の言葉の問題にしても、みなさんで何度も討議されて、この言い方は変だとか、みなに意見を言わせたのですね。
それは徹底的にやったつもりです。むしろ一番難しかったのは編集でした。言葉のどこで切るかという問題です。たとえばリュミール(ビノシュ)とファビエンヌ(ドヌーヴ)がディナーの場で争っている時に、ハンク(リュミールの夫)がはさまったり、ピエール(ファビエンヌの前夫)がはさまったりするんだけれど、そのピエールの顔をどこで切ってファビエンヌにいくかっていうのは、日本語の会話だったらリズムでわかるけど、フランス語の場合、ここでは切らないってのはあるじゃないですか。
――間の問題ですね。
そう。それと、言葉の途中で切るって感覚、フランス語はここで切ったらおかしいとか、そこはわからない。会話は成り立っても、フランス語がわからないから、そこはぼくにはわからないんだよね。バイリンガルの助手たちに見てもらって、そこは助けてもらわなければならなかった。
――そのあたりがどう受け止められるか、フランス公開の時はちょっとドキドキですね。
そうなんです。
■フィルム感を残すための撮り方
――撮影監督エリック・ゴーティエさんとは、意思疎通の上で問題はなかったですか。
エリックはぼくが思っていたよりも 家の中で非常に自由に動いて、動的に撮ってくれました。日本だと畳に座っちゃうと人は動かないし、畳に座った人間を動いて撮るってすごく難しいんですよね。それに比べてフランスだと人を動かしやすいし、それに応じてカメラも動かしやすいっていうのは、撮り始めたらよくわかりました。ぼくが3カットで考えているところを、移動しながら1カットで撮っちゃうみたいなことをエリックが必ず提案してくれたので、途中からあまり自分が書いたコンテにはこだわらずに、カット割りも含めてカメラワークをエリックに任せました。
――フィルムで撮っていらっしゃる。
どうせなら、やはりフィルムで撮りたいな、と。エリックもそれを望んだんで、ちょっと変わった撮り方をしています。DCP(デジタルシネマパッケージ)になった時にフィルムの粒子が残るように。4つのパーフォレーションを全部使わずに、2つだけを使って、狭いフィルム面積で撮っています。(35mの場合、ふつうは1フレーム当たり4つの送り穴の長さで撮る。) 技術が上がってきたから、フィルムで撮ってもDCPになった時にフィルム感が残らないっていうことがしばしばあるんです。だから逆に、撮る段階で粒子をちょっと荒らして、というようなことを、エリックもいろいろチャレンジしている。
――それも彼からの提案でしたか。
そうです。フィルムテストをやって、あの庭を2つのパーフォレーション面積で撮ってみて、あー、こういう感じなんだ、と。それがすばらしかったので、自信を持って穴ふたつでやりました。
――なんかこう、絵画的色彩ですよね。ドヌーヴさんの緑色の服の色とか。
色のにじみ感なんですよね。クリアすぎない色になっていると思います。
――技術的にも凝っているんですね。
お金かかってるんです。(笑)
――フランスのスタッフについて感心したことは?
実に効率がいいですね。フランスで撮れる時間は1日8時間なんだけど、たぶん1日に撮っているカット数でいったら、日本と変わらない。日本は時間かかるんですよね。
――速いって大切なんですね。
大切です、やっぱり。お芝居を分けて撮っていこうと思った時に、こっち撮って、切り返す時に1時間とかかかると、リズムが残らなくなっちゃうから、ここは速い方がありがたいです。いや、とにかく仕事が速いですね、フランス人は。
■「1日8時間」のルール
――フランスでお仕事なさって、どういうところに感心したり、考えさせられたりしましたか。
一番ちがうのは、映画を撮るってことが、フランスだと日常の中に根づいているっていうこと。映画を撮ることも見ることも語ることも。日本だと撮影ってイベント、お祭りです。寝食を共にして、ひと月半いっしょに過ごすという共同生活。そのおもしろさもあるけど、たいへんさもある。こっちは明らかにそうではないから夜は帰って家族と過ごすし、晩御飯は家族と食べる。そこが作り方としてはちがう。働き方がちがうとしか言いようがない。
――それで困ったことは?
もっと撮りたいなと思いましたね。1日8時間だから。ぼくは1日14時間撮っても大丈夫だけど、スタッフはたいへんでしょう。それを考えると、やはりフランスのやり方の方がまちがいなくいいんですよ。
フランスだったらシングルマザーが映画の現場で働いてもやっていけます。日本だったら無理ですよ。シングルマザーでなくても、子育てしながら映画の現場は無理。家庭と両方はやれない。どっちか犠牲にしないと、今はたぶん無理です。日本での働き方を変えてゆくしかないと思うんですけど、そこは大きな課題だと思いましたよ。
――昨年カンヌでパルムドールを受賞され、ベネチア映画祭でも日本人初のオープニング作品として上映され、映画界の頂点に立ち、今後の課題は?
あんまり自分がやりたいものだけやっても飽きそうなんで、自分が書けない原作ものとか、脚本家と組んでやる、みたいなこともやった方がいいんだろうと思います。今回フランスで撮ったのはけっこう大きな冒険でしたし、これでハリウッドでやれば(笑)いろいろ無理やり自分が開かれる気もしますね。
――『真実』準備中に監督にとって大きな存在だった樹木希林さんが亡くなられました。希林さんに対するオマージュはどこかに込められましたか。
いや、そういうことは考えませんでした。まあ、一番見せたい相手ではあるんですけどね。作品を見た人の中に、ドヌーヴさんが時々希林さんに見えるっていう人がけっこういるんです。毒舌なところや、ドライで、ウェットじゃないところとか。 たぶんどっかしらそういうのはあったのかもしれません。意識してオマージュを捧げてはいませんけどね。