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鄧小平も李登輝も 数々の秀英を生んだ「客家」、その村を撮った

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2006年撮影

「撮った写真はデータで送ってくれる?」。今年の春、中国福建省の山間部、福建土楼のある村々で写真を撮っていると、多くの人にそう言われた。

交通の不便な山間部でも、出会ったほとんどの人が当たり前のようにスマホを使っていた。10年前に撮影した客家の老人たちを探して、かつて撮影して回った中国福建省の山間部にある村々を再訪した。さすがに高齢の老人たちは携帯電話すら持っていなかったが、彼らの世話をしている親戚達からは、データが出来上たらスマホに送るように頼まれた。10年前、95歳にしてそれまで一度も写真を撮られたことがなかった、というお婆さんがいた同じ村で、そんな言葉を聞くとは思ってもみなかった。今では山奥にある鄙びた食堂でさえ、みんなスマホで決済をしているので、驚くことでもないのだろうが。

2006年撮影

僕が中国福建省の山間部にある福建土楼を撮り始めたのは、今から13年前の2006年だった。自衛のために周囲を土塀で高く囲った円形や方形の建物が、福建省の山間部には点在している。土楼と呼ばれるその建物の多くは4階か5階建てになっており、外部からの侵入を防ぐために1、2階部分には窓がない。3階以上の外壁には小窓が設けられていて、そこから銃や弓を放つことが出来る、要塞のような構造になっている。

中国留学時代に北京の書店で、その独特でかつ異様な集合住宅を目にしてから、そこに住む客家という人々はどんな顔をしているのだろうかと想像してきた。客家とは中華文明の発祥の地である黄河中下流域に位置する「中原(ちゅうげん)」から戦乱を逃れ、南へ、南へと移住を繰り返してきた豪族の末裔だと言われている。諸説あるようだが、一説には彼らの移動の始まりは秦の時代にも遡る。千年程前に福建省の山間部に辿り着き、現地の人々と交じり合うことはなかった彼らは、元々土着していた福建人から、「よそ者」を意味する客家と呼ばれてきた。

客家は定住者のほとんどいなかった山間に村を開いたが、山賊からの襲撃、虎や豹などの野生動物の徘徊から自衛するために土塀を高く囲い、防御に強い集合住宅を作っていった。同じ土楼には必ず同族が住み、土楼内に祖廟を作り、中原に遡る家系図を収め、祖先を祀っている。客家人が中原人の末裔であるなら、彼らの顔の中に古の漢民族の面影が探せるのではないか、そんな思いもあり僕は客家の人たちが住む村を訪ねるようになった。

2019年撮影

2006年から2008年にかけて、僕は客家の村を回って撮影を続けた。本当にそんなにあるのか、にわかには信じられないが、福建省の山間部には円形の土楼が300棟、方形の土楼が1000棟、その他の土楼に類する建築物が1万あると言われている。2006年当時はそこを訪れる人は疎らだったが、2008年に世界遺産に登録されてからは、世界中から観光客を集めるようになった。

だが人が集まるのは指定された46棟の土楼とその周辺に限られ、保護されることのない多くの土楼は、どこも住み手を失い荒廃が進んでいた。村の多くの働き手は、産業のない村を離れ都市部へと出稼ぎに出て、数十家族が住めるような土楼に、わずかに数組の老夫婦が残されているだけ、というところがほとんどだった。また夫婦ともに出稼ぎに出てしまった家では、幼い子供達が彼ら老父母の元に残されていた。そのため客家の村での僕の被写体の多くは、自然と年輪を重ねた老人たちとなった。

自給自足を続けてきた彼らの顔には、長年の農作業で強い太陽の光に晒された肌が分厚くささくれ立ち、地層の様に重なった皺が深く刻まれていた。日本はもちろん、北京や上海でも見かけたことのない顔だった。優しい表情の中でも、射るように強い眼光の奥には、変化の激しい時代を生き抜いてきた自信と、伝統的な生活様式が失われていく戸惑いが、同時に宿っているように感じられた。

2007年撮影

2006年当時、僕はまだブローニーフィルムを使用する中判カメラ、ハッセルブラッドを使っていた。

フィルムカメラでは露出は間違えられない。風景やスナップでは、いつも勘で露出を決めていたが、ポートレイトを撮る時は必ず露出計で光量を計ってから撮影した。液晶等で撮った画像を確認することは出来ないので、撮影の一枚目には必ずポラロイドを撮った。

毎回客家の村でポートレイトを撮る時、僕は最初にその試し撮りのポラロイドをプレゼントしていた。ボラロイドを渡すとよく「多少钱?(いくらだ?)」と聞かれた。みんな僕を行商の写真家だと勘違いしたらしい。山奥には現像出来る場所もないので、当時村にはカメラを持っている人はほとんどいないようだった。お金はいらないので、僕用の写真も撮らせてくれというと、みんな快く引き受けてくれた。

写真を撮られるとなると、着替えてくる人も多かった。まだ秋も始まったばかりの時期に、一張羅の毛皮のコートを自慢げに着て来るお婆さんもいた。被写体探しはまず一人目を見つけると、それからは簡単だった。撮影が終わると彼らはポラロイドを持って、すぐにどこかに消えてしまう。だが暫くすると、近所の老人たちを引き連れて戻って来た。村の老人たちとの撮影大会はどこでも盛り上がったが、被写体になるとみんな真剣だった。僕とのフォトセッションをまたとない機会と捉えてくれて、自分の姿をしっかりと残してもらおうという不思議な緊張感がそこにはあった。

2008年撮影

客家の人々は先祖をとても大切にする。土楼内には門を入ってまっすぐ抜けた奥の一番いい場所に、先祖を祀る祖廟がある。毎日欠かさず線香をあげ、一家の安全と繁栄を祈願する。それは彼らの日常であり、生活の一部となっている。

毎日、祖先と向き合う人々が、脈々と受け継がれてきたものを意識しない筈はない。巨大な円形の集合住宅は世界でも類を見ないと言われる。文明の中心地から遠く離れた山村に一族でひっそりと暮らして来た客家は、住居としても要塞としても機能的で、美観にも優れた独創的な建築を生み出した。彼らが受け継いできた文明の残り香は、彼らの住居と共に、彼らの一人一人の顔にしっかりと刻み込まれているに違いなかった。僕は魅了されつつシャッターを切った。

客家の人々から感じた人間としての存在感の強さは、教育を重視する客家の文化度の高さからも来るのであろう。一族の中には必ず家庭教師を生業とする人間がいて、師弟の教育にあたった。人里離れた山奥の村々であるのに関わらず、科挙制度があった時代には、客家の村の合格率は他の地域の何倍も高かったそうだ。中央で官僚になり、天にも昇る人物を輩出したことを記した石柱が、多くの土楼周辺で何本も聳え立っていた。

2006年撮影

客家は通常は農業や家事を女性が担い、男性は村外に行商に出たと言われる。その際にも読み書きや算術などは重要になったのであろう。客家の中には更に食い扶持を求め海外に出て行った人々も多く、その子孫たちの中からは強烈に出世した人々を輩出している。シンガポールの建国の父であるリー・クアンユー、タイガーバームの創業者胡文虎、台湾総統の李登輝や蔡英文などが有名だ。また中国建国の父と呼ばれる孫文も客家という説があり、現在に続く改革開放路線を主導した鄧小平は四川系客家である。

今年の春、十数年ぶりに客家の村を訪れた。政府による補助金や、土楼を出て財を成した国内外の資産家による寄付などによって、多くの土楼で修復が進んでいた。綺麗に修復された土楼の周囲には近代的な建築物が建ち並び、出稼ぎから戻った人々は昔ながらの共同住宅である土楼に住むことはなく、更に少数になった老人たちだけが土楼に住み続けていた。世界遺産に指定され多くの観光客が集まる土楼がある一方、修復の指定から外れ、有力な支援者を持たない土楼は更に荒廃が進んでいた。土楼を取り巻く環境はすっかり変わってしまっていた。

2019年撮影

既に鬼籍に入った人も多かったが、何人ものお爺さんお婆さんに再会した。親族の出稼ぎ等で裕福になり農作業などする必要の無くなった彼らは、むしろ10年前より若返ってみえた。だがかつて老人たちから感じた生命力は、もはやたち消えてしまったかのようだった。それは後世から引き継いできたものを受け渡す使命を、彼らが諦めてしまったためなのではないかと僕は思った。

時代は変遷していく。それは中国の山村に於いても例外ではない。現在、土楼を出て経済的に成功を収めた国内外の客家の子孫たちの献金が、客家の象徴とも言える土楼の保存に一役買っている。普段数組の老夫婦しか住民を持たない土楼も、年に一度の春節には遠方や海外からも親族が集まり、賑わいを見せる。現存する多くの土楼は一族の催事場として、その役割を移しつつある。

千年、数百年とここで暮らした客家の人々が中原に馳せてきた思いは、土楼を出て辿り着いた見知らぬ地で、新たな「よそ者」となった現代の新しい客家に受け注がれつつあるのかもしれない。土楼を出て行った客家の子孫達も、移住した土地で、もう決して住むことのない福建省の山間部に想いを馳せる。

新たな土地に移住した人々が、自分のアイデンティティの拠り所にするのは何か。それは自分自信が辿ってきた軌跡を振り返り、自分が今立つ現在地をしっかりと見つめることに他ならない。かつて住み慣れた住居から遠く離れ、遥か遠くに望む故郷の姿が変わり果ててしまったとしても、我々に残されるものとは何なのだろうか。そして、我々が受け継ぐべきものとは。10年前にカメラと向き合ってくれたお爺さんお婆さん達は、定着された写真の中で僕に問い続けている。

2007年撮影


この記事にある客家の村で撮影した写真の一部は、中村治写真集「HOME」に収められています。
「HOME - portraits of the Hakka」LITTLE MAN BOOKS より発売中。4500円(税別)
http://www.littlemanbooks.net


中村治略歴
1971年広島生まれ。成蹊大学文学部文化学科卒。
ロイター通信社北京支局にて現地通信員として写真を撮ることからカメラマンのキャリアをスタートし、雑誌社カメラマンを経て、ポートレイト撮影の第一人者・坂田栄一郎に4年間半師事。2006年に独立し、広告雑誌等でポートレイト撮影を中心に活動している。

2013年 『BREATH』六本木 ギャラリー ル・ベイン 写真展
2011年 『HOME』 新宿 ニコンサロン 写真展
2006年 『TOKYO』北京 Igosso,中国