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初めは悩んだ「難民の水泳選手」という肩書、今は誇り 私が東京で伝えたいこと 

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ユスラ・マルディニさん=野島淳撮影

■目標がある、やる気につながる

――お姉さんらとゴムボートに乗って海を渡り、国境をいくつも越えてドイツに到着。リオ五輪に出られるまでの経緯を読みました。壮絶でした。

本当につらい経験でした。最初にドイツ語版と英語版を出して、次に日本での出版を選んだのは、日本が来年の五輪開催国だからです。私が東京五輪に行ければ、その前に日本の人たちに難民のことをもっと知ってもらう良い機会だと考えました。

――ドイツを目指したのも水泳を続けるためでしたね。

3歳の時から水泳を始めました。ただ練習が嫌で、プールからも逃げて。水泳コーチの父も嫌いでした。でも、その後、内戦で泳げなくなり、自分が本当に水泳を愛しているんだなと気づきました。気分が落ち込んでいるとき、悩んでいるとき、泳ぐんです。泳ぐとすべての負のエネルギーがなくなる。水泳は私にとってストレスから解放してくれる、『脱出』のようなものですね。

――でも、トレーニングは非常に厳しいでしょう。

正直に言うと時々、ベッドから出たくないときもあります。今日も実はのどを痛めていて、練習していないんです。水泳のトレーニングは大変です。そして、とても退屈です。いつも同じことの繰り返しだから。でも、目標を持っていることは、やる気につながります。それが水泳を楽しめる理由ですね。東京五輪までもう、1年もありませんし。

東京五輪・パラリンピック大会組織委員会を訪れ、サインをするユスラ・マルディニさん=2017年8月29日、前田大輔撮影

――どのくらいトレーニングするんですか?

毎日4時間です。朝2時間と夕方2時間。泳ぐのが2時間でジムでのトレーニングが2時間ですね。

――水泳以外の楽しみはありますか?

おすしが大好きで、友達と食べに出かけます。でも、パーティーなんかはもうしないですね。東京五輪を目指していますし。ベルリンに住んでいたのですが、集中的なトレーニングのためにハンブルクに来ていますから。あと、ときどきベルリンの家族を訪ねます。

■「難民」として出ることの葛藤

――リオ五輪の難民選手団に選ばれることになったとき、「難民」として五輪に参加することに抵抗されていました。どうやってその葛藤を克服したのですか?

私は出場に値するのかと一瞬、立ち止まりました。トレーニングも十分ではなかったですし。誰もが私を見て、ああ難民だから出られたのだと思うでしょう。哀れに思われて出るのではなく、競泳選手として出たかったんです。

でも両親は、あなたは一生懸命努力したし、この機会を捨てるなら、二度と巡ってこないかもしれない。悪い面ばかりでなく、良い面を見たらどうかと言いました。欧州に難民としてやってきて、いろんな人が何の見返りもないのに助けてくれましたし。それで、よし、やってみようと思ったんです。

2016年リオ五輪開会式で入場する難民選手団。手前左がユスラ・マルディニさん=西畑志朗撮影

――実際に行ってどうでしたか?

スタジアムに入ったとき、自分が間違っていたことに気づきました。スタジアム全体が難民選手団をリスペクトして立ち上がってくれたんです。私は自分の物語を尊重し、いろんな人に伝えるべきなのだと。もっと自分が強くなり、力を得れば、難民を助けることができる、と考えるようになりました。リオ五輪以来、「私は難民です。それを誇りに思っています』と言えます。難民を代表していることは名誉なのです。

――貴重な経験でしたね。

ええ、でも、ただ五輪に出ましたというだけではいけない。難民を助けたいんです。東京五輪に出られれば、日本の人たちに伝えたいことがあります。日本は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)への供出金で上位の国です。でも、日本で申請者が難民として認められる確率は1%にも満たない。だから、難民選手団が東京にいることで、実際に難民を助けたいと思う日本の人たちが増えて欲しいと願っています。「1%未満」が、いつか「10%以上」になればと。

2016年リオ五輪、競泳女子100メートルバタフライ予選に出場した難民選手団のユスラ・マルディニさん=西畑志朗撮影

――難民と呼ばれる人たちも、家や持ち物を失っただけで、尊厳のある1人の人間なのだということが、本の強いメッセージだと感じました。

一番大切なのは、難民は、多くの能力をもっているということです。教育を受ければ、医者にも、弁護士やエンジニアにもなれる。教育を受けていなくても、仕事への情熱は持っていると思います。家にいて何もしないで、お金だけもらおうと思っている難民はあまりいません。誰もが自分の人生を築きたいと望んでいるんです

――いまもアフリカから地中海をゴムボートで欧州に向かう人たちが絶えません。でもイタリアの前政権は難民を助けるNGOの船が入港するのを拒否しました。

とても悲しいことです。イタリアではドイツの難民救済のNGOの船の船長が、難民を連れて入港したとして逮捕されました。誰かの命を救うことが犯罪なんです。おかしくありませんか。

――ドイツでも、必ずしも難民は歓迎されていないと思います。

私の周りには難民の受け入れに前向きな人たちがいますが、ドイツに住む多くの難民は地元の人たちからの圧力を感じているのではないかと思います。ドイツはユダヤ人を排斥した犯罪の歴史もあります。難民にそういうまなざしを向ける人は、そこから学んでいないのでしょうか。

――ドイツの税金を難民のためでなく、困っているドイツ人に使うべきだと話す人には何人も会ったことがあります。

私だって税金を払っていますよ。難民はドイツの職業紹介所にずっと長くいて経費を増やしたいわけではないんです。できるだけ早く仕事をして自分でお金を稼いで、家を借りて、税金も払って、地域社会になじむためにドイツ語も勉強したい。そういう難民の姿を知って、それから判断して欲しいと思います。

――難民への偏見を打ち破るためには何が必要でしょうか。

本当に難しいと思います。でも、こうしてインタビューに答えることもその一つです。

――17年に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使になられました。これもその一環ですね。

UNHCRのイベントではよく著名人らと会います。そういう人たちに私が体験を語り、また著名人を通して物語が広がっていけば、何百万人にも達することができます。

■難民のための財団、作りたい

――今後の目標は何ですか。

今は東京五輪に向けて集中しています。いつか水泳をやめたとき、難民のためにより多くのことをする時間があるでしょう。実は、難民のための財団を設立できないかと思っているんです。UNHCRも含めて、多くの助けが必要ですが。その財団を通して、より多くの人々に支援をお願いでき、助けることができるのではないかと。

私が刺激を受けた1人にマララ・ユスフザイさんがいます。彼女は常に子供や女性が教育を受ける権利のために活動しています。私にとってはそれが難民です。彼女のような道を歩きたい。

――いま、シリアの友人と連絡をとっていますか。

はい。でも、あまり多くはありません。シリアの状況は良くなっていると聞きますが、誰も戦争が終わったとは言いません。シリアのニュース自体を見ることは好きではありません。見ると、混乱してしまうので。

――いつか故郷に帰りたいですよね。

そう願っています。少なくとも訪れることができると思います。