こどもと共有する時間はかけがえのないものですが、向き合うなかで行き詰まることもあります。公益財団法人全国里親会の会長であり、児童福祉をはじめ幅広い福祉事業に携わってきた河内美舟さん(79)は、自身も里親として障害のあるこどもや外国籍のこどもなど7人の養育に携わってきました。難しい状況に直面しても、試行錯誤して道を切り開いてきた河内さん。そのお話には、こどもも自分も追い詰めずに暮らしていくためのヒントが詰まっています。
大人に認められたかったこども時代
全国里親会の会長として各地で行われる大会に出席し、また里親の声を届けるため地元・山口県と東京を行き来して提言をおこなうなど精力的に活動する河内さん。そうしたこどもの福祉への思いの源泉は、自らの幼少期の経験にさかのぼります。
「どんなに大変な状況でも、笑顔だけはこどもに向けてほしい。親に元気がなかったり親が追い詰められたりしているような感じだと、こどもにもそれが伝わってしまいます」
河内さんが生まれ育った実家のお寺には、門徒(檀家)や近所の人たちが自由に出入りしていました。1歳半で住職である父親を亡くし、4歳のときに母親が再婚。養父は病弱だったため、母親が小学校の教員をしながら僧侶としてお寺を切り盛りしていました。河内さんは厳しい養父の下、小さな頃から庭や境内の掃除、草取り、ヤギや羊の世話などお寺の手伝いに追われていたのです。
「学校が休みのときには、母の教え子たちが『先生、先生』とお寺に遊びに来ていました。私は親が休みでないと話せないのに……。このときの経験から、こどもから親を取り上げるようなことがあってはいけない、と思うようになりました」
大人に認められたい、ほめられたい――。そのとき自分で感じた思いは、里親家庭に委託されて来るこどもたちと同じ思いだったのではないか。いま、河内さんはそう振り返ります。
こどもにも里親にも「逃げ道」は必要
義父は、河内さんが小学5年のときに亡くなりました。19歳のときには、母親も病気で帰らぬ人に。山口県美祢市の山あいにあるお寺の後継者と結婚した後は夫らの協力を得て、中学生だった弟の進学・自立を助けました。周りに助けられて大人となり、自らも周りを支える立場に。そんな支え合いの経験が、河内さんの人生の基となりました。
その後は子育てをしながら保母の資格を取り、1967年、24歳でお寺に地域のこどもたちを受け入れる日曜学校を開設。保育所の運営も始めながら幼稚園教諭、養護学校教諭一種の免許を取得。里親制度について知ったのは、障害があるこどもの保育・教育支援に力を注いでいたときのことです。河内さんの活動に協力してくれていた市議の家を訪問したとき、里親として育てているというこどもたちを紹介されたのがきっかけでした。
「それから里親制度に関心を持ち始めました。そして、お寺なら広いし、ご門徒さんや地域の人たちからの支援もあるので、こどもたちを受け入れられるのではないかと、夢を持ったのです」
そんな考えを夫や実子も理解してくれ、1978年に里親登録して以降、さまざまなこどもたちを受け入れてきました。2歳8カ月で委託された、障害のあるこどももそのうちの1人です。受託時にこどもの状況を十分に知らされていなかったこともあり、その子が見せる問題行動に悩んでいたときもありました。
「夢と現実の違いを感じました。だけど、せっかくの縁ですし、こどもは親を選べません。何か問題が起こっても、『今日できたら、明日はなんとかなる』と。そんな思いできました」
河内さんがこどもと関わるときに大切にしていたのが、会話と触れ合いを密にすることです。少しでも静かにできたら、「よく頑張ったね」の気持ちを込めてこどもの手を握ったり、肩に触れたり。うれしいときに頬を触ったり。こどもの状況に合わせて試行錯誤しながら、行動で気持ちを伝えるようにしてきたといいます。
「ちゃんと手を握り締めるとこどももほっとしてくれる。場合によっては、逃げ道も必要です。こどもが良くないことをしたときに質問攻めにすると追い詰めてしまいます。まず一呼吸置いて、『こんなときはどうするんだろうね』とこどもに投げかけるのも一つの逃げ道です。里親としても方向転換をはかったら気が楽になるし、『これがダメならあれもあるよ』とこどもに言える。逃げ場を失ったこどもは悪い方向に行ってしまうのではないでしょうか」
こどもに対して真実を曲げてはいけない
河内さんはまた、こどもの「知る権利」も大切にしてきました。出生の事情や実の親のこと、実親の元を離れた理由など、自身を取り巻く状況についてこどもに伝える「真実告知」も早い段階を心がけタイミングを見ておこなってきたそうです。
「こどもは自身の家族や親族について、良いこともつらいことも、事実を知って成長していく必要があると思います。こどもが小さなうちから伝えていくことで、お互いの信頼関係も維持できます。里親自身もこどもに秘密を持っているという罪悪感や、先に他の人づてに聞かされることへの恐れもなくなります」
こどもにとって、名前も重要なアイデンティティの一つです。河内さんは、通称名と本名(実名)の二つの名前がある理由についてこどもから問われたタイミングなどで、状況に応じた真実告知をしてきました。
生後間もなく実の母親と別れ、河内さんのところに来た男の子は小中学校の卒業式で、友人らに卒業証書を隠していました。卒業証書には普段の生活に使う通称名ではなく、本名が書かれているからでした。そして18歳の誕生日を迎えるときに、河内さん夫婦にある願いを口にしたのです。
「『この家の名前で卒業したい』と言ったのです。養子にしてほしかったのですね。児童相談所を通して実母に連絡を取ると、重い病気にかかっていました。彼女から感謝の気持ちなどをつづった手紙をいただいたのですが、筆跡がこどもの筆跡そのままのきれいな字でした」
家庭裁判所から養子縁組の許可が下りる前、児童相談所を通じてこどもの母親が亡くなったと連絡がありました。河内さんは悩みましたが、養子となり喜ぶこどもに、そのことを伝えました。
「こどもは『聞かなきゃ良かった』と言いました。実の母親はどこかで生きているだろうと、心の支えになっていたのでしょう」
里親家庭に委託されたこどものなかには、本名で学校に通っているこどももいます。こども自身が、里親家庭や学校でどうありたいのか。河内さん夫妻はこどもと話し合ったうえでこどもの気持ちを優先し、自分たちを「お父さん」「お母さん」と無理に呼ばせることはしないよう心がけていたといいます。
「こどもに対して真実を曲げてはいけない。真実告知に限らず、つらいことに出くわしても受け止めさせます。長い人生の中で、こういうことが度々あるということを早いうちから体得すると、こどもは自分の生き方に対して自信を持っていけると思います」
里親たちの小さな声を集約し、国に届ける
河内さんがこれまでに養育したこどものうち、3人はベトナム難民です。いずれも12、13歳ほどとある程度大きくなってから受け入れることとなり、母国での生活環境や文化を尊重しながら関わってきました。
「あるこどもは度々『ボーン』と、日本語で『寂しい』という意味のベトナムの言葉を口にしていましたが、同じ国の人たちを探して交流していくうちに、それも減ってきました。こどもから生まれ育ったところを取り上げてはいけないし、忘れさせることは良くない。むしろ里親からそこに近づいていった方が心を許され、良い関係が築けると思います」
河内さんは2016年から、全国里親会の会長を務めています。同会は各都道府県や指定都市にある66の里親会を通じて、里親たちに会の活動や里親を取り巻く状況などについて情報発信しています。また全国8ブロックで研修の機会を設け、里親やそのこどもにとって悩みを共有し、解決方法を模索していく場になっています。
「養育の当事者が集まり交流することにより、里親制度の改善策や、こどもたちの現状について多くの声を集約できます。全国里親会は里親の代弁者で、国とのパイプ役です。一人ひとりの声を集めて大きな声にすることで、制度がより良いものになり、こどもたちの幸せにつながると考えています」
里親制度もこどもの安心・安全な暮らしにかかる養育のための手当が拡充、里親の身分保障など改善が進み、里親となる人にとってより身近なものになってきている、といいます。
1人の里親として、児童福祉に関わる者として、また全国里親会の会長として、こどもたちの幸せを追求する河内さん。里親になるかどうか迷っている人に、こんなメッセージを送ってくれました。
「まずは里親の話に耳を傾けて、声を聞いてみていただきたいですね。児童相談所や里親支援機関が中心になっている里親説明会では、先輩の里親や里親支援専門相談員から、里親としてのあり方や経験談を聞くことができます。各地で開かれている里親サロンでは、里親さんたちが気楽にコミュニケーションを取っています。ぜひ、足を運んでみてください」
こうち・みふね/1942年、山口県生まれ。公益財団法人全国里親会会長。1967年創設の保育所を運営する傍ら、1978年に里親登録。実子3人を育てながら、障害のあるこどもやベトナム難民のこどもなど7人の養育に携わる。社会福祉法人設立後、高齢者福祉施設や障害者支援施設、ファミリーホームの運営などと幅広い福祉事業を展開。養育したこどものうち、現在これらの事業に関わっているこどももいる。2016年に公益財団法人全国里親会会長に就任。