十代のころから世界の第一線で活躍してきた冨永さんにとっては、よく耳にする言葉だった 「里親制度」。自身の成長過程においても、また母親として息子を育てていくなかでも、いつも誰かが向き合って手を差し伸べてくれたと振り返ります。誰かに与えられた愛情を、今度は自分がまた誰かに注いでいく。そうやって社会を回しながら、大勢の大人が大勢のこどもを一緒に育てていくことが、いま求められているのではないかと考えます。

――冨永さんは里親制度をご存じでしたか?

欧米のファッション業界で仕事をしていると、「血のつながらない子といっしょに暮らしている」という話を聞くことは少なくありません。「うちの子がねー」「最近家族が増えたの」と、雑談のなかでごく自然に話題になるのですね。ですから、私にとっても特別なことではなく、実は、私自身も里親になれないか、と考え、いろいろ調べた時期もあります。そのときはタイミングが合わず、実行に移すことはできませんでした。

一方、日本ではそういう話になることはほとんどありません。もちろん欧米とは数が違うということもあり、身近に里親になっている人がおらずイメージしにくいということが大きいでしょう。
でも、制度については詳しくなくても、存在を知っている方は多いですよね。事情があって親と暮らせないこどもたちが多いと聞けば、胸が痛むし、なんとかしなくては、とも思う。にもかかわらず、日本にはオープンに話す空気は少ないですね。

里親制度について語る冨永愛さん

――そんな空気感が生まれてしまうのはどうしてだと思いますか?

おそらく、「血がつながっていてこそ親子」という意識が根強いのでしょう。お父さんとお母さんに血のつながったこどもという家族が、「正しい家族」である、となんとなく意識しているように思います。
家族や家庭にはいろいろなカタチがあって当然で、正しいも正しくないもない。そのひとつのカタチとして里親とこどもという家族がある。これを、頭で理解はしているのですが、あえて話題にしようとは思わないのでしょう。

何らかの事情で親といっしょに暮らせない子もいれば、血がつながっていてもどうしてもうまくいかない親子もいる。そんなこどもたちを、社会全体で見守って、育てていけるような世の中になっていってほしいです。

自身の経験について語る冨永愛さん

――社会全体で見守り、育てる――そんなふうに冨永さんが考えるようになったきっかけは何でしょう。やはり欧米での体験が大きいのでしょうか。

いえ、それほど特別なことではありません。きっかけも何も、私たちは大昔からずっとそうやって生きてきました。 古来、人々は、集落をつくり、みんなで助け合いながら大らかに暮らしていたと聞いています。大勢の大人が大勢のこどもを見守り、面倒をみていたのではないかと思います。

つまり、大昔の当たり前をそのまま行うことが難しくなってしまったのが、いまという時代なのでしょう。でも、こどもというものは、太古の昔からいまに至るまで、常に大人の庇護や手助けを必要とする存在です。ですから、私たちの社会がもともと持っていたその仕組みを、ずっと生かしていくために、ルールを設け制度として形にした、それが里親制度なのではないでしょうか。

だからこそ、誰もがこの制度に気軽にアクセスするようになってほしいと思います。もちろんこどもを育てることは大変で、生半可な気持ちでできることではありません。でも、アクセスして情報を得ることくらいは簡単にできるといい。そうなれば、大人に見守られながら安心して育つことのできる子はきっと増えると思います。

―― 冨永さんの「みんなで育てる」という感覚、ご自身の経験のなかで実感されたことはありますか?

ええ、もちろん。私はシングルマザーだったので、周囲の人にどれだけ助けられたことか。ひとりではとても無理だった、みなさんのサポートあっての子育てだったと思います。

生きていくためにはどうしても私が働かなくてはならなかった。と言いつつ、仕事が大好きで仕事にのめり込んでしまう自分もいるのです。仕事への情熱を否定する必要はまったくないと思います。

自身の経験のなかで実感したことについて語る冨永愛さん

でも、目の前のこどもは母親を求めてくる、そんなわが子に背を向けて、自分は好きなことをやっている。圧倒的に時間が足りない。これでいいのか? いいのか?と……。 このときの私は、日本の中になんとなく存在する「あるべき母親像」みたいなものに苦しめられてきた気がします。いまも同じような辛さのなかにいるお母さんたちが、きっとたくさんいると思います。

私自身は、働き方を一時的に変えてこどもとの時間を増やした時期もあります。私の場合は、それができる条件が揃っていたけれど、誰もができるわけじゃありません。だからこそ、周囲に助けを求めてほしいです。

それに、親子の関係というか、こどもにとっての親の必要度は成長の過程で変化するものでもあります。子育てに追われる期間は、人生全体の中ではそんなに長くありません。だからなんとかその期間を乗り切ってほしい。ひとりでがんばらず、まわりの人の力を総動員して。

――冨永さんご自身は「みんなに育ててもらった」感覚をお持ちですか?

親との葛藤というものは、多かれ少なかれ誰にでもあると思いますが、私の場合は結構激しくて、そのときに親以外の大人――祖父母であったり、親戚のおじさん、近所のおばさんであったり、学校の先生であったり――の存在にずいぶん助けられてきたと思います。たくさんの大人が、こどもだった私にしっかり向き合ってくれました。

今振り返って、ありがたかったなあと思うのは、ほめてくれたり優しくしてくれたりした人ではなく、「NO」と言ってくれた人です。それはダメだよ、考え直してごらん、と。拒絶するのではなく、道しるべになってくれた人たちが、いつもいたような気がします。こどもにとっては、叱られたわけですから、そのときは、もしかしたら反発を感じていたのかもしれない。でも、いまとなれば感謝しかありません。

たくさんの大人が、こどもだった私にしっかり向き合ってくれました。と語る冨永愛さん

正直言うと、何をしてくれたか、どういう言葉をかけてくれたか、具体的に覚えているわけではないです。記憶に残っているのは、自分の持てる時間とパワーとエネルギーを私に注ぎ込んでくれたこと。本気で叱ってくれたこと。あれは紛れもなく愛情そのものだったと思います。言われた言葉は覚えていなくても、注いでくれた愛情の記憶がある。その人と、血がつながっていたかいないかは関係なかった。

私は、これまでまわりの方々から、たくさんの愛情をいただいて来ました。ですからTAKEばかりでなく、今度は私がGIVEする側に回りたいと思っています。
愛情を受けた人が、今度は誰かに愛情を注ぎ、それを受けた人がまた誰かに注ぐ。そんな循環が世の中を温かく回していく。そのために自分にできることをやっていきたいと思います。

社会貢献活動は、私がこれからもずっと続けていかなくてはならないと思っていることの一つ。中でも、こどもを幸せにするための活動にはとくに力を入れたいです。こどもは社会の宝物。いま、世の中には様々な問題があります。ワークライフバランスの問題、不妊の問題、女性のキャリアの問題……いろいろな方向を向いているように見えて、これらを集約していくと、少子化の問題に行き着くと思います。

私たちの社会の未来は、こどもを大切に育めるかどうかに、かかっているのです。ですから、社会全体で、全てのこどもたちを支えていくことが、これからはますます必要になっていくのではないでしょうか。


PROFILE とみなが・あい/17歳でNYコレクションにてモデルとしてデビューし、一躍話題となる。以後、世界の第一線でトップモデルとして活躍。テレビ、ラジオのパーソナリティ、俳優としても活躍。チャリティや社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。公益財団法人ジョイセフ アンバサダー、エシカルライフスタイルSDGs アンバサダー(消費者庁)

PROFILE とみなが・あい/17歳でNYコレクションにてモデルとしてデビューし、一躍話題となる。以後、世界の第一線でトップモデルとして活躍。テレビ、ラジオのパーソナリティ、俳優としても活躍。チャリティや社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。公益財団法人ジョイセフ アンバサダー、エシカルライフスタイルSDGs アンバサダー(消費者庁)