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Breakthrough 突破する力 大リーグマーリンズ投手 田沢純一が日本飛び越え大リーグへ導いた「マイナス思考」

「控えめな性格」が導いた大リーグ

マーリンズに移籍後1年目の今期。今年7月、セントルイスでのカージナル戦で登板した田沢純一=ロイター

進路の相談を受けていた大久保は「控えめな性格だから、日本かな」と思っていた。ところが、8月に最終確認のため監督室に呼ぶと、田沢は「メジャーでトライしてみたい」と言った。決断に大久保は驚き、感激した。「『僕なんかでいいんですかね』とかネガティブな発言が多い選手だったから、成長したなと」


決断は、大騒動を引き起こした。9月、田沢は記者会見で大リーグ挑戦を表明。あわせて日本の12球団にドラフトでの指名回避をお願いする文書を送った。ドラフトは貴重な戦力補強の場だ。ならば、自分のせいで指名が無駄にならないよう、10月末のドラフト前に各球団に伝えた方が良いだろう……。会社と話し合った末の答えだった。配慮は逆に反感を買う。大きく報道され、「12球団拒否」というマイナスイメージがついた。「ギリギリで言うより、あらかじめ伝えた方がいいかと思ったけれど、それが調子に乗っていると思われたのかもしれません」


これを機に、日本のドラフトを断って海外球団と契約した選手は帰国後、高校生は3年、大学・社会人は2年、日本のプロ球団と契約できなくなった。後進に「迷惑をかけた」という気持ちは傷として、今も残る。


心が折れなかったのは、会社の支援のお陰だ。都市対抗で優勝後、田沢は所属先だった新日本石油の会長・渡文明(現JXTGホールディングス名誉顧問)に言葉をかけられた。「うちの社員が海外に赴任する。ほかの人は当たり前にやっているのに、なぜ野球だけはだめなんだ。気にしないで、好きなように選びなさい」


2桁近い大リーグ球団の中から選んだのはレッドソックスだった。即戦力でなく、マイナーで投手として必要なことを学び、3年後に大リーグ昇格を目指す契約内容。「3年で上がれるかは分からなかったけど『成長』という点にひかれた」


1年目の2009年、田沢は3軍相当の傘下2Aのポートランド・シードッグスで開幕を迎えた。英語は話せず、球団指定の家庭教師に教わる日々。食事は簡素で、10時間以上にも及ぶバス移動もあった。だが、「こういうものなんだな」と素直に受け止めた。言葉が分からなくても、みんなが集まる会には必ず顔を出し、徐々に溶け込んだ。


レッドソックスの国際担当顧問だったデニー友利(50)=現中日球団編成部=は、田沢の内面の強さを感じていた。当時、チームから受けていた指示は一つだけ。「本当に大リーグでやってみたいのか」の確認だったという。日本を飛び越えて大リーグを目指す道は並大抵ではない。家族や会社と話し合うように勧めた。すると後日、食事の席で田沢は「日本に帰らない気持ちでやります」と言い切った。「喜んで送り出せない環境だったのは不幸だったが、騒動からも目を背けなかった。強い芯があった」

(次ページへ続く)

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