1. HOME
  2. People
  3. 安藤優子さんが抱いたモヤモヤ 女性議員なぜ少ない?自民党政策調べ「目からウロコ」

安藤優子さんが抱いたモヤモヤ 女性議員なぜ少ない?自民党政策調べ「目からウロコ」

People 更新日: 公開日:
安藤優子さん=2023年3月13日、東京都中央区、関根和弘撮影
安藤優子さん=2023年3月13日、東京都中央区、関根和弘撮影

インタビューに答える安藤優子さん

――2019年まで12年かけて大学院へ通い、博士号を取得されました。

安藤 「学び直し」って今、一つのトレンドになっていますけど、私の場合は、自分をもう一度信頼するための作業だったんです。

私たちはニュースを取材してお伝えする時、見たり聞いたりしたことを、ある意味、反射的に言葉にするんですけど、その言葉自体に自信を持てなくなる時ってくるんですね。この仕事をし始めてしばらく経つと、私、本当に分かって言ってるんだろうかとか、この物事をどこまで理解してるんだろうかとか、自分のアウトプットする言葉に対しての信頼感が揺らいでくるっていうんでしょうか。

キャリアを積んで、皆さんから信頼していただく存在になったなと少しは思えるようになった時に、自分の言葉は信頼に足るものなんだろうかという疑問が日々膨らんできました。それに対する一つの答えが、私の場合はもう一度学ぶことだったんです。

もう一つは、メディアでニュースをやるということは、大げさな言い方をすると、歴史の目撃者になるわけです。私の場合は本当に恵まれていて、後から見て歴史の転換点になるような出来事の現場に立ち会わせてもらいました。でも、実況中継することはできても、その事象の前後に何があって、将来どうなるかと俯瞰(ふかん)してとらえる知識が圧倒的に不足しているんじゃないか、そのことが強迫観念のようになっていました。

大学院には普通に試験を受けて小論文を書いて面接を受けて入りました。時間も足りないし、現役の時より読解力もすごく落ちているので、結構きつかったですね。

安藤優子さん=2023年3月13日、東京都中央区、関根和弘撮影
安藤優子さん=2023年3月13日、東京都中央区、関根和弘撮影

女性議員の登用を妨げているものの正体は

――大学院での研究内容について教えてください。

安藤 政治にすごく興味があったので、修士は政治を主に研究テーマにしましたが、修士号はグローバル社会学です。

この前、修士論文が出てきたんですよ。小泉政権の「疑似大統領制」について書いていて、「革新か、逆進か」ってすごいタイトルがついていて、思わず読み返してみたら、自画自賛ですけど、結構面白いんですよ。

それまで歴代首相がやってきた「党高官低」の力関係を小泉さんが逆転させて、官邸主導を打ち出した。大統領制に似た形で、擬似的にですけれど官邸が権力を掌握するみたいなことをおやりになったので、それについて研究したんです。

その延長に、必然的に、なぜ日本の国会議員に女性が少ないのかというテーマが出てくるわけです。最初は政治学のアプローチを取って研究したんですが、そうすると政党システムや選挙制度など、どうしても制度論的なアプローチになります。それもとても有効ですし、あまたの先行研究があるんです。

でも、研究を進めていくうちに、どうやらそのアプローチでは私が抱く疑念は解決できないと気づきました。

じゃあ私が持っている、このモヤモヤ感って何なんだろうと。だって、女性国会議員がなぜ少ないのと言われて、もうどれだけ経ちますか? 女性参政権行使70年を超えて、制度がこれだけ整備されて、なんでこんな低い水準をまだウロウロしてるんだろうって。制度が整備されても、システムが公平公正になっても、それを運用したり、活用したりする側で意識が改革されない限りは絵に描いた餅だと痛感したんです。

そこで、女性に注がれている日本の、ひいては世界と言ってもいいと思うんですけれど、女性に対する社会の目線が、実は女性議員登用のチャンスを減退させる根本にあるんじゃないかという「仮定」にたどり着きました。

安藤優子さん=2023年3月13日、東京都中央区、関根和弘撮影
安藤優子さん=2023年3月13日、東京都中央区、関根和弘撮影

それを理論として構築するためには社会学のアプローチを取りました。意識とか、女性に対する目線とか、役割分業論というのは、制度として字に書いてあるわけじゃないんですよ。言葉にはなっていないけれど、いつの間にか慣習化されて、この世の中に広く深く埋め込まれている可視化されない「インフォーマルなルール」なんです。

「ちゃんと子供を産んで一人前」とか、ね。そういう「べき論」があまりにも社会に深く埋め込まれて、なおかつそれが当たり前の感覚として女性への視線を規定していること、私はこれがひいては女性国会議員が少ないことに通じるんじゃないかと仮説を立ててアプローチを組み直しました。

すごく難しかったのは「女性はこうあるべきだ」と文言にされていない、つまり可視化されてないものの証左を得ることでした。だから、もうなんか必死というか、脇目も振らず手当たり次第、いろんな先行研究も読んだりしました。

一番大きかったのは、自民党の政治指向です。自民党は1970年代に政党戦略として女性を「家庭長」と位置づけました。女性が家庭長として、夫を元気に会社に送り出して、子供をすくすく育て、おじいちゃん、おばあちゃんの介護を文句も言わずにやって、全て円満に家庭を切り盛りすることによって「家庭内安全保障」が成立すれば、ひいては福祉の国家予算が削られることになる。つまり、経済政策として女性を利用したわけです。

安藤優子さん=2023年3月13日、東京都中央区、関根和弘撮影
安藤優子さん=2023年3月13日、東京都中央区、関根和弘撮影

女性を「個」として認めない自民党の政党戦略

安藤 当時の歴史的背景を見ればとてもよく分かるんですが、田中角栄さんが総理大臣になる前あたりから地方自治体に革新知事がどんどん生まれました。背景には、環境問題や公害問題で、行け行けどんどんだった経済成長に大きな影が差し始めたことがありました。人の心や体が痛められました。自民党は保守的な政策でやっているんですが、革新知事が生まれたことによって、ものすごく危機意識を持ったんです。

その危機感を背景に総理大臣になった田中角栄さんは、「福祉元年」を高らかに宣言するわけです。そこから国民皆保険などが生まれるわけですが、宣言したとたんにオイルショックが起きて、今まで右肩上がりだった経済が、だだ下がっていく膠着状態に見舞われるわけです。当然、財政も悪くなって、ちょうどそこに「日本型福祉社会論」が台頭してきて、経済政策として女性がちゃんと家を切り盛りすれば福祉予算を減らせると、自民党の研修叢書(そうしょ)に盛り込まれました。

安藤優子さん=2023年3月13日、東京都中央区、関根和弘撮影
安藤優子さん=2023年3月13日、東京都中央区、関根和弘撮影

それを見た時に、自分の中で氷解するというか、謎が解けた気がしたんです。そうか、女性に対する「こうあるべき論」というのは、突然降ってわいて種がまかれたんじゃなくて、政党戦略という名のもとに、一定の意図を持って再生産されてきたんだって。あくまでも経済政策として。

少なくとも戦後の、新しい時代を迎えたはずの私たちの世代も含めて、「こうあるべき論」で規定され続けてきたことの根本にあったのは政党戦略だったんだ、という事実に気づいた時に、いい意味でも悪い意味でも目からウロコでしたね。「これ、私たちが知っておかないとダメなんじゃないか」と思いました。それが、本(「自民党の女性認識」)の前身になる博士論文の趣旨です。

女性を「イエ(家)」に従属する構成員としてしか認めない。そこでしか女性個人を認識しないとなると、常に「イエ」が前面に出るわけです。それを私は「イエ中心主義」と定義したんですが、そうすると、政治をやってみようという志を持つ女性がいても、「イエ」の名前、家名がない。それから自分の親族に政治家がいない、環境的世襲の立場にない。もっと言えば、直系の世襲に生まれていないとか、「イエ」を背負っていない普通の女性は「看板(知名度)」もない、なおかつ「カバン(資金力)」がないとすると、もう候補者になりようがない。

そこで「イエ」を背負っている候補者を限定的に集めてくれば、おのずとパイは広がらないですよね。だから候補者を限定する根本にあるのが「イエ中心主義」という政治指向であり、女性を「個」として認めない価値観です。私は女性の国会議員が増えない一つの理由はそこにあると思います。

「無作為の作為」で連綿と受け継がれてきた女性認識

安藤 よく「これは自民党批判ですか」と言われるんですけど、私は全然そんなつもりはなくて、むしろ、私たちに注がれている視線の正体を暴きたかったんです。正体を暴くにあたって、これって成長戦略だったねということに一番気づいてほしいのは自民党なんですよ。だから自民党批判でもなんでもなくて、みんなが気づこうよ、と。「そんなに自民党は賢くないよ」と反論されたことがあるんですけど、だったらそれは「無作為の作為」なんですよ。

そういう女性認識を常にバトンのように手渡してきた歴代政権というのは、ある意味「無作為の作為」だったと思うんですよ。それを見直すことはなかった。でも今、ちょうどそういう機運になっていて、もうずいぶん年月は経ってますけども、夫婦別姓の法案もそうだし、これ以上は長引かせないで、一つの方向性をきちんと出していくべき時じゃないですか。それを知ってほしいというのが私が本に込めた願いですし、私の研究の最大のテーマでもあります。

安藤優子さん=2023年3月13日、東京都中央区、関根和弘撮影
安藤優子さん=2023年3月13日、東京都中央区、関根和弘撮影

――自民党の議員も世代交代したり、留学して最新のジェンダーの知見を身につけたりしている人もいる中で、なぜ意識が改革されずにきたのでしょうか。

安藤 たぶん、経済政策が一番重要視されてきて、経済政策と女性政策とを混同してきたからなんだと思うんです。だから女性政策と言われるものに「女性が輝く社会」ってスローガンが書いてありますけど、あれは99パーセント経済政策ですよね。保育所の整備も、それが悪いって言っているんじゃないですが、経済政策の視点から女性を労働市場に戻すための政策じゃないですか。「労働補助政策」というか。「女性が輝く社会」を正確に言うと、「女性が普通に働ける社会」ということですね。

でも、それは女性を個として人権を尊重するジェンダーの政策ではないんですよ。それを「女性が輝く社会」っていう、なんだかもんわりしたスローガンで一緒くたにまとめてしまったから、女性のために「やってる感」が出ちゃっている。だから本当のところの個の尊重が置いてきぼりになってることに対して、本当に「無作為の作為」なんですよ。

でもその陰で、夫婦別姓の話は個人の人権の問題ですよね。人権問題として捉えていないことが根本的な問題だと思います。経済政策と女性の人権問題を混同してきたから、「女性のために何かやってる」みたいなところで「やってる感」を出してきちゃったと私は理解をしています。

安藤優子さん=2023年3月13日、東京都中央区、関根和弘撮影
安藤優子さん=2023年3月13日、東京都中央区、関根和弘撮影

森元首相の「わきまえ発言」に笑った女性たちの気持ちが分かる

――女性たちも、それを受け入れてきた部分があったのでしょうか。

安藤 私は、女性たちが受け入れてきたんじゃないと思います。闘ってきたんだけど、そのい方が一見、ことなかれ主義のように見えてきたのかもしれません。男性たちが作った暗黙の、インフォーマルなルールが大手を振って闊歩(かっぽ)しているわけだから、ルールにそぐわない発言をしたり、ちょっとややこしいことになったりすると「だから女は面倒くさいんだ」と言われたりしました。今ほど簡単に声を上げられる時代でもなかったと思います。

森喜朗さんが、日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で「わきまえ発言」をした時に、そこに居た女性参加者たちは笑って済ませましたが、私、その気持ちは分かるんですよ。

余計ややこしいことになることが目に見えているから、その場をやり過ごすことも知恵、というのは私自身、働いてきた過程ですごく付いたんですね。ある種の諦観(ていかん)というか、心の中ではすごくつらかったり悔しかったりするけれど、やり過ごすことによって結果を出しちゃえばいいでしょと、自分たちを納得させてきたんです。

ロールモデルなく、男性に「同化」したキャスター時代

テレビキャスター時代の安藤優子さん=1995年10月31日、東京都新宿区河田町のフジテレビ本社ビル(当時)、朝日新聞社
テレビキャスター時代の安藤優子さん=1995年10月31日、東京都新宿区河田町のフジテレビ本社ビル(当時)、朝日新聞社

――キャリアの面では、安藤さんは政界と同じくらい女性が少ない報道の世界を歩んで来られました。

安藤 最初に報道の世界に入った時に、ロールモデルがいないわけです。ベテランの女性アナウンサーがいらっしゃっても、天気予報だったり、子どものニュースだったり、柔らかいニュース、いわゆる「柔ネタ」を読む役割をもらっていて、私自身も最初、報道に入った時は男性のメインの司会者の横にいるアシスタントだったわけです。

業界が、というよりも社会全体が、女性に対する役割に従属的なものを求めていた時代なので、そこから男性と一緒に取材をしたりすると、ハレーションの種は、そこここに散らばっていました。服装一つにしても「そんなチャラチャラした格好で取材に来るな」とかね。私としては、ロールモデルがないんでよく分からないわけですよ。

「ボーイズクラブ」って言うとちょっとかっこよすぎるので、あえて「オールドボーイズクラブ」と言いますが、だんだんそのルールが分かってくるじゃないですか。そうすると、ハレーションを起こさないために、自分を同化させていくんですよ。自分自身が嫌な思いをしないようにとか、おじさんたちに叱られないようにとか、とにかく一緒の仲間に入れてもらいたいから同化してみせるわけです。必要以上に女っぽくふるまったりしないし、それまで着けていた指輪やイヤリングといった装飾品を一切なくしたりもしました。

安藤優子さん=1988年、朝日新聞社
安藤優子さん=1988年、朝日新聞社

ですから、1987年からフジテレビで故逸見政孝さんと最初に「スーパータイム」というニュース番組をやった時に「逸見アナウンサーと安藤さんは全くフィフティー・フィフティーなので、好きなようにやってください」と言われて驚きました。

最初の原稿に、括弧書きで「一言」と書いてあって、「一言って何ですか?」って聞いたら「一言、好きなようにしゃべって」と言われて本当にびっくりして、カルチャーショックでした。自分のキャリアの積み方のフェーズが変わる瞬間だったと思います。自分の言葉を話してもいいんだ、という、私の中ではちょっと人権回復したみたいな(笑)。

だって、ぜいたくな話ですが海外取材をさせていただいていたし、それなりの現場を任せてもらったんですけれど、スタッフからは、親愛の情だと思いますが「優子ちゃん」って呼ばれていたんです。最初に取材に行ったのが大学生だったこともありますが、「優子ちゃん」って呼ばれている限りはダメなんだろうなと、よく分からない閉塞感みたいなものを感じましたね。だから1枚違う扉が開いて「安藤さん」というフェーズに入ったと思います。

「ガラスの天井」は男性と一緒に破るもの

――1987年というと男女雇用機会均等法の施行の翌年ですね。

安藤 はい。「スーパータイム」では、本当に好き勝手に、年間170日以上、海外取材に行ったりしましたし、相当ハードな仕事をさせていただきました。その後「ニュースJAPAN」という夜のニュース番組に行くんですが、その時は、両隣に木村太郎さんと、同じくNHK出身の宮川俊二さんという大ベテランのアナウンサーが座り、真ん中に年齢が一番若い私がメインキャスターとして座ったわけです。

そうやって考えると、男性のメインの司会者の横に添え物として従属していた時代と、「ニュースJAPAN」で真ん中に座ってメインキャスターをやった時代は、ものすごく隔世の感がありました。そのくらい時代も変わったし、女性のキャスターに対する見方も変わりました。ふたを開けて視聴者の反応を見たら、全く違和感なく受け入れてくださっていた。たぶん木村太郎さんも宮川俊二さんも男性として成熟されてるんですね。つまり、自分より年下の女性がメインキャスターとして座ったことに対して、ものすごく気持ち良く「みこし」を担いでくださる度量がおありになったんです。

メディア規制法案に反対を訴える民放各社のニュースキャスターたち(真山勇一 筑紫哲也 安藤優子 鳥越俊太郎 田原総一朗 蟹瀬誠一 斉藤一也)=2002年4月18日、東京・参院議員会館で、朝日新聞社
メディア規制法案に反対を訴える民放各社のニュースキャスターたち(左から真山勇一、筑紫哲也、安藤優子、鳥越俊太郎、田原総一朗、蟹瀬誠一、斉藤一也各氏)=2002年4月18日、東京・参院議員会館で、朝日新聞社

私、男女共同参画の話をする時に、いつもそのことを思い出すんですね。女性だけが「ガラスの天井」を打ち破ろうとしても、その上に座っている男性がいたら無理なんですよ。だから、それを一緒にぶち破ろうと協力してくれる成熟した男性たちがいてこそ、風通しの良い、文字どおり「男女共同参画」ができると思っているので、共同参画が女性が解決すべき問題みたいに言われるのは、とても不本意なんですね。

男性が意識を変えてもらわないと困るところも多いですし、共に解決しようとしなければ、解決できないじゃないですか。だから私は女性の問題にすり替えているような、偽の男女共同参画は嫌なんです。それよりも本来は男性がたくさん参画しての男女共同参画のはずなんですよね。

男女共同参画って、ともすると女性問題解決策みたいに言われてませんか?それ、違いますよね。そうじゃない。男性がともに、この社会で一緒に気持ちよく生きていくための知恵を絞りましょうよ、というはずなのに、なぜ女性が女性の問題として解決を目指さなくちゃいけないのかという点は、私はすごく不本意な部分です。

――報道に携わる女性の立場という観点では、どう変わったでしょうか。安藤さんがご自身で何か変えたと思うものはありますか。

安藤 もうすごいですよ。やっぱりガッツがありますよね。私が報道の世界に入った時は、コピーを取ったりお茶をくんだりするのが女性の役割の定番でしたが、今はプロデューサーもいれば、ディレクターもいますし、本当に優秀な記者がたくさんいます。そうやって考えると女性が能力を遺憾なく発揮できる場にはなっていると思うんですよ。

ただ、女性記者だということで、いろんな弊害もあるわけじゃないですか。「夜討ち朝駆け」に行って嫌な思いするとか、取材先に個人的に呼び出されて嫌な思いをするとか、そういうことはまだまだ解決しなくちゃいけない問題だと思うんですけれども、少なくとも40年前とは見える風景は一変していて、それはメディアに入ってくる女性たちの頑張りもあるし、そこを踏み固めた先人たちの思いもあると思います。これをさらに、普通の風景として続けていけたら本当にいいなと思いますよね。

私がもし変えたことがあるならば、女性はそんなきらびやかな格好をしなくたっていいんじゃない?という投げかけはしてきたつもりなんですね。いいんですよ、きらびやかな格好しても。「女性キャスター」と言われた時に自分のファッションを取り上げられるのは、視聴者にとって楽しみでもあるし、そのことはありがたいと思うんですが、視聴者を意識するあまりに、女性キャスターならではの華美な服装みたいなものって、かつてあったんですよ。原色のスーツとかいっぱい肩パッドが入ってるとか。

ニュースキャスター時代の安藤優子さん=1994年6月1日、東京都新宿区河田町のフジテレビ本社(当時)、朝日新聞社
ニュースキャスター時代の安藤優子さん=1994年6月1日、東京都新宿区河田町のフジテレビ本社(当時)、朝日新聞社

でも私はそれをたぶんもっとも早くやめたと思うんですね。その理由は、自分がお伝えしたいことよりも先に目に飛び込んでくるものが自分が着ている衣装だということは、なんだかとても残念な気がしたんですね。

だから今日、私が何を着てるかじゃなくて、今日、何を私がお伝えしたかを、ぜひ記憶に残していただきたいと思ったので、僭越(せんえつ)だったんですが、私はネイビーと黒と白とベージュしか着ない。テーラードスーツしか着ない。しかもパンツスーツと決めて、それ以外、着ませんでした。ダークスーツを着て仕事するっていうことも、たぶん画面上で最初は私だったと思います。それまでは皆さん、本当に可愛らしい格好していて。でも私、そういうの似合わないんですよ。だから、もう開き直ったというか。

でもそれって女性の働き方に関係してきますよね。「女を売らない」と言うと、「可愛げがない」と同義語になるじゃないですか。でも、どこかで必要以上にヒラヒラしたものとかを拒絶していた時代はあったかもしれないですね。今は全然違いますけどね。別に何を着てもいいじゃないと思っていますけど。だからきっと私、あの時はあの時なりに、肩に力が入ったんですよ。見てくれで判断しないでよ、と。時代もあったのかもしれません。

政党と有権者、両サイドから意識改革を

――今年は統一地方選があります。女性議員がなかなか増えない現状で、どうすれば意識は変えられるのか。私たちにできることは何でしょうか。

安藤 すごく壮大な問いですが、まず身近な話では、候補者の公募に女性を登用する、と自民党も言っているので、本当に平場から候補者に門戸を開きますよということで、私も期待をしているところです。

これまでの公募制度は、あえて言うと名ばかりで、どこか(団体)の推薦だったり、財界の重鎮の推薦だったり、縁故で来る方も少なからずいたわけですよね。そうすると、公募制度の透明性は担保されてなかったわけで、まず公募というなら、絶対的な透明性を私は確保してほしいと思います。

統一地方選挙は、平場の、志一本で政治の世界に参画したい人たちを余すところなく拾い上げる一つの切り札になると思います。それから、そうした選挙資金もない、知名度もない、縁故関係もない、何もないけど志はあって地方議会に参画したいという人たちを受け入れる、政党によるアシストが必要だと思います。

翻って、有権者側の意識改革も必要です。地方議員に求められるものは、自治体の大きさによっても変わってきますが、だいたいが地域とのきわめて密接な関わりだったりするんですね。でも、それぞれが一生活者として暮らしがあって、もしかしたら子育てや介護があり、普通に家庭生活がある人たちが「24時間、政治にコミットできますか?」と言ったら、それはありえないわけです。だから有権者の側も政治家に求めるものの意識を少しずつ変化させていかなきゃいけないと思うんですね。

特に密接な関わりのある地方議員の場合は、あっちの会合に出たのに、こっちの会合に出てくれなかったというのが致命的な集票の差になってしまったりするんですね。難しいところですが、会合に顔を出すのと政策を認知してもらうことは、本来は別であるべきなんですけど、顔を売って名前を売って握手をすること、イコール票になっている。「あなた議員になったら何をやりたいの」って聞くぐらいの、有権者の側の意識を変えることが必要です。

今回の統一地方選はまだまだ端緒だと思うんですよ。だから、政党と有権者、両サイドからの意識改革ですよね。統一地方選って改革の、ある種きっかけになるはずなんですけどね。

――女性議員を増やすために、「クオータ制」も支持していますね。

安藤 一回、やってみようよ、と思うんです。私は、(女性への)議席数の割り当てではなくて、候補者数の割り当てを支持しているんですが、議席数割り当てなんて程遠い世界じゃないですか。だから一回、時限立法でもいいからやってみて、どういうことになるのか見てみようよ、というのが私の提案です。そこから得る知見って絶対あるはずなんですよ。そこから逆進するかもしれないし、微々たるものかもしれないけど前進する可能性もあるので、私は候補者割り当て制度は一度やる価値があると思っています。