ペンタゴンとは米国防総省のこと。米バージニア州アーリントンにある同省の建物が五角形であることからそう呼ばれる。エルズバーグは同省系のランド研究所で軍事アナリストをしていたが、1971年3月、約7000ページもの機密文書をひそかに持ち出した。これが世に言う「ペンタゴン・ペーパーズ」。ベトナム戦争での米国の軍事行動について膨大な事実がつづられ、トルーマンにアイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンまで4人の大統領のもと、政府がウソの説明を何度もしていたことをもつまびらかにするものだった。
エルズバーグは当初、当時の国家安全保障問題担当の大統領補佐官キッシンジャーや、上院外交委員長フルブライト議員らを動かそうとしたが叶わず、当時34歳のニューヨーク・タイムズ紙(NYT)記者ニール・シーハンに持ち込む。NYTは法律顧問の反対を押し切り、約3カ月の精査を経て第一報を報じた。当時のニクソン政権は激怒、「国家の安全保障を脅かす」との理由で公表中止を求め、連邦裁は掲載中止の仮処分命令を出す。だが続いてワシントン・ポスト紙も文書を入手し報道。他の地方紙も続々と報じるようになり、最高裁は掲載中止の命令を無効とした。すでにベトナム戦争での死傷者数がどんどん増えていたさなか。報道を受け、ベトナム反戦運動は盛り上がった。
映画『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』は、原題のThe Postが示す通り、NYTの特ダネを続報で追ったワシントン・ポスト紙に焦点を当てる。NYTに比べ、「ワシントンの地方紙」といった雰囲気もまだ色濃かった当時の同紙では社主家のキャサリン・グラハムが、自殺した夫の跡を継ぐ形で主婦から突如として同紙発行人となり、「経験のない女性経営者」として周囲から軽んじられつつも奮闘していた。編集局は編集主幹ベン・ブラッドリーのもと、記者らが文書入手に奔走するが、報じればNYT同様に掲載中止の命令が出される恐れから、株式公開を控えて法律顧問らは猛反対。グラハムは決断を迫られる。
グラハム役はメリル・ストリープ(68)、ブラッドリー編集主幹を演じたのはトム・ハンクス(61)。監督は言わずと知れたスティーブン・スピルバーグ(71)だ。
新聞記者のはしくれとしては、「特ダネを抜かれた側・追う側」の視点をスクリーンで見るにつけ、あるいは政権からの掲載中止要請でしばし孤立した形のNYTの苦闘を想像するにつけ、ヒリヒリとした思いになる。特ダネは、当事者が容易に認めない内容だったり、関係組織の権力が強大であったりするほど、追いつくのは難儀だ。一方、他社を寄せつけないほどの特ダネで先行したメディアは一見、「勝者独走」状態に映るかもしれないが、当事者が一貫して否定して他社がどこも追随しないと、権力から叩かれる一方で、孤立しかねない。
ペンタゴン・ペーパーズの告発から40年の2011年、米バークリー近郊のエルズバーグの自宅を訪ねたことがある。妻パトリシアとともに迎えてくれたエルズバーグは「文書を多くのメディアに出せたのは、『たくさんコピーしておいたほうがいい』と言ったパトリシアのおかげだ」とたたえた。まだデジタル化が到来するはるか以前。約7000ページもの文書はエルズバーグが、ランド研究所の同僚アンソニー・ルッソと大量にコピーをとったことで、複数のメディアに持ち込むことができた。コピー機時代到来の産物とも言われたが、だからこそ報道はNYTにとどまらず、ワシントン・ポスト紙にボストン・グローブ紙、シカゴ・サンタイムズ紙などにテレビも追い、政府の意に反して報道が盛り上がったことで世論も動いた。「もしコピーしていなければ、(NYTで)止まっていただろう。自分はそこまで気が回らなかった」と振り返った。
エルズバーグはその後、スパイ防止法違反などで逮捕・起訴されたものの、政権側による違法な盗聴などが明らかになり、公訴棄却。以来、反戦・反核運動に身を投じ、何十回と逮捕されても活動を続けているが、かつては「正義の戦争」を信じるタカ派だった。ベトナムに文民として赴いて惨状を目の当たりにし、また帰国後に米国のベトナム介入の歴史を研究するにつれ、「戦争は最初から理にかなったものではなかった。不当な殺人だ」と気づいた。その陰にも、ベトナムで知り合った反戦派パトリシアの影響があったという。
今年2月、米国出張の折にバークリーでのエルズバーグ講演会に足を運んだ際も、年を重ねたエルズバーグとパトリシアが仲むつまじく寄り添っていた姿が印象的だった。夜間の長時間の講演を終えた後のタイミングだったが、エルズバーグはパトリシアとともに立ち止まり、質問につき合ってくれた。お疲れのところ、本当に申し訳ない限りだったが、エルズバーグは今作についてこう語った。
「今この映画から汲み取れるもの、あるいは主な効果は、フェミニズムだろう。女性が立ち上がり、自分自身の力を得ていくところにある」
女性は家にいるのがまだ当然視されていた時代、グラハムは予期せぬ形で経営者となり、自信のない雰囲気を徐々に捨て、女性を軽んじる発言の数々にも負けず、決断力あるリーダーへと変貌していった。その点にエルズバーグが感じ入ったのも、パトリシアの力の大きさを痛感してきたからこそでは、と思った。
ワシントン・ポストはその後の1973年、ニクソン大統領辞任に至ったウォーターゲート事件をすっぱ抜いてピュリツァー賞を受賞した。詳しくはアカデミー賞4冠の『大統領の陰謀』(1976年)に描かれているが、この作品ではセリフの中でしか登場しないグラハムは、ブラッドリー編集主幹の下で進められた調査報道を引き続き支えたとされる。グラハムももはや「自信なさげな女性経営者」ではなくなっていたことだろう。ウォーターゲート事件の報道はある意味、ペンタゴン・ペーパーズ報道の続編でもあるのだ。
エルズバーグは、講演後の立ち話で「トランプが露骨にメディアに戦争をしかけている今、非常に大事な映画だ」と危機感をあらわに。当時のニクソン大統領と今のトランプ大統領の違いを挙げ、こう言った。「ニクソンもメディアを敵呼ばわりし、『彼らは敵だ、信じるな!』と言ったが、公の場ではなくあくまで内輪の席だった。トランプはメディアを公の場で問題にしている。報道陣の信頼性を貶めるなんて、過去のどの大統領もしたことがない。トランプ支持者も、まるでほとんど催眠術にかけられたかのように、『俺の言うことやツイートだけを見ろ! メディアは信じるな!』というトランプの言葉にだけ耳を傾けている」
日本も、報道の中身を議論する以前に、メディアというだけで敵視する言説が蔓延している。
エルズバーグは立ち話でさらに語った。「今日の司会者とも話したのだが、たとえトランプがすごくひどいことをしている動画が流れても、支持者は『あれは加工動画だ、事実じゃない』と言うだろう、そうしてトランプは難を逃れるだろうね、と。つまり、彼を告発するような書類が何か出てきたところで、それがどんなに事実であってもトランプへの支持は揺るぎないのではないかという問題が非常にある。支持者は、メディアは貪欲に取材するわけではなく事実なんて伝えない、と信じようという構えでいる。とても危険な状況だ」
彼は講演では、こうも話していた。「トランプは私やエドワード・スノーデンのような内部告発者よりも、ジャーナリストを追及するだろう。表現の自由、とりわけ安全保障を取材する自由は過去のものとなるだろう」
ジャーナリスト冬の時代、ということだ。だからこそ、スピルバーグ監督は他の予定を後ろ倒しにしてでも今作を撮った。トム・ハンクスは米誌ハリウッド・リポーターの取材に、「ホワイトハウスで今作の上映会が開かれたとしても、私は行かない」と、トランプ批判を込めて明言した。エルズバーグも、映画製作に携わる人たちもジャーナリズムの危機を懸念し、声を上げている。ジャーナリズムをなりわいとする私たちこそ、誰に何を言われても声を上げ続けなければ、と誓いを新たにした。