1. HOME
  2. World Now
  3. 山本議員の「あんな黒いの」発言

山本議員の「あんな黒いの」発言

アフリカ@世界 更新日: 公開日:
2016年にジンバブエ大統領として来日したムガベ氏

思い出すムガベ氏

 1980年の独立から37年間、権力の座にあった南部アフリカ・ジンバブエのロバート・ムガベ大統領が11月21日、クーデターを受けて大統領を辞任し、3日後の24日にエマーソン・ムナンガグワ氏が新大統領に就任した。
 ジンバブエで独立後初の政変が起きていたその頃、前地方創生担当相の山本幸三・衆院議員(自民党)が、アフリカ諸国との交流に取り組む同僚議員の活動について「何であんな黒いのが好きなんだ」と発言し、批判を浴びた。「日本アフリカ学会」(会長、太田至京都大教授)の会員有志は、12月1日付で山本氏宛てに抗議文を送付した。山本氏は発言が問題視されると「アフリカは『黒い大陸』と呼ばれていた」「差別的な意図はない」などと釈明したが、人権感覚を疑わせる常軌を逸した発言と言うほかない。

 人権の観点から山本氏を批判する人は大勢いると思うが、ここでは少し違う角度から、山本氏の発言の問題点について書いておきたい。
 山本氏の発言を知った私が真っ先に思い出したのは、奇しくもこの発言の直前に大統領の座を明け渡したジンバブエのムガベ氏のことだった。
 これから書くのは、山本氏に「あんな黒いの」と侮蔑されたアフリカ人の一人であるムガベ氏が、今から12年前に取った国連安全保障理事会(安保理)改革に際しての行動である。

 周知の通り、国連では15カ国で構成する安保理が強い権限を持ち、米英仏中露の5カ国が常任理事国として国際的な安全保障に大きな責任を持っている。5カ国のうち1国でも拒否権を行使すれば、安保理決議は採択されない。一方、非常任理事国10カ国は2年に一度選出され、拒否権を持っていない。拒否権は戦勝5カ国だけが持つ特権の中の特権である。

 しかし、5カ国が特権的地位を占めていることへの反発が国際社会で強まり、2004~05年にかけて、安保理の仕組みを抜本的に改革しようとの機運が国際社会に広がった。小泉純一郎首相(当時)は04年9月の国連総会演説で安保理改革の必要性を世界に向けて訴え、05年1月の通常国会の施政方針演説では日本の常任理事国入りへ向けた意欲を語った。 

 日本、ドイツ、ブラジル、インドの4カ国は当時、常任理事国入りを目指して「G4」と呼ばれるグループを結成し、常任理事国に新たに6カ国を加えて全部で11カ国とする案を打ち出した。新設の常任理事国6カ国には、アジアから日本とインド、欧州からドイツ、中南米からブラジルを選出し、残り2カ国をアフリカ枠とする案だった。

アフリカ連合に白羽の矢

 安保理を改革するためには、まずは国連総会に改革決議案を提出し、全加盟国(05年当時は191カ国)の3分の2に当たる128カ国以上の賛成を得る必要がある。日本を含むG4としては、まずは国連でG4案への支持を広げなければならない。
 そこでG4が白羽の矢を立てたのが、アフリカの国々で構成するアフリカ連合(AU)だった。05年当時の国連加盟国191カ国のうち、アフリカの国々は53カ国を占めていた。この「大票田」を味方に付ければG4案は実現に向けて大きく前進するし、敵に回せば改革案が日の目を見る可能性はゼロだった。

 AUは05年7月のAU総会で、G4とは別に独自の安保理改革案を決定していた。詳細は割愛するが、G4案とAU案は「常任理事国を新たに6カ国増やすべき。新たに増える6カ国のうち2カ国はアフリカの国に与えるべき」と言う点が共通していた。
 一方、常任理事国の拒否権について、G4案とAU案は大きく違った。G4案は「新常任理事国の拒否権は15年間凍結する」という案だった。米英仏中露の5大国は拒否権という既得権益の独占では一致しており、新参者のG4が拒否権を要求するのであれば、安保理改革を葬り去る構えだった。そこでG4は拒否権を15年間「凍結」し、常任理事国5カ国を刺激しないよう配慮したのである。
 これに対し、AU案は「新しい常任理事国には、既に常任理事国である5カ国と同様の拒否権を与えるべき」としていた。拒否権獲得に固執すれば5カ国の反発による安保理改革の頓挫は避けられなかったが、AU案は常任理事国間の「平等」の原則にこだわっていた。

 G4の旗振り役である日本政府は、当時AUの議長だったナイジェリアのオバサンジョ大統領(当時)を説得し、AU案の修正を依頼した。日本の狙いは、AU内で大きな力を持つオバサンジョ氏の主導で拒否権に関するAUの方針をG4案と同じ「15年間凍結」に変更してもらい、AU全加盟国の了承を取り付けてもらうことだった。そのうえで、G4案とAU案を「一本化」し、国連総会に諮ろうと考えたのである。

 オバサンジョ氏は日本の説得に応じ、両案の「一本化」に同意した。だが、いくら議長とはいえ、一本化には他のアフリカの国々の首脳の同意が必要だった。そこで、05年8月4日、エチオピアの首都アディスアベバのAU本部でAU首脳会議が開かれることになった。議題はG4案とAU案の「一本化」であった。

血の気失ったオバサンジョ議長

 毎日新聞ヨハネスブルク特派員だった筆者はエチオピアへ出張し、AU本部の会議場前の廊下に陣取った。昼過ぎから始まった首脳会議は非公開だったが、議場外の廊下には内部の様子を映したモニターがあり、議論は筒抜けだった。「今日の会議の目的はG4との合意の確認だ」。オバサンジョ議長はG4案とAU案の一本化を前提に会議を開始した。

 各国の大統領や外相たちが、両案の一本化に関する自らの考えを順番に述べ始めた。一本化に賛成の声もあれば、もう少し議論した方が良いという意見もあった。
 ところが、ムガベ氏が発言を始めたところで、突然、それまで聞こえていた議場内の音声が途切れた。筆者はその後の数秒間、ムガベ氏が机を叩きながら何かを言っている姿を見たのを覚えている。だが、ほどなくモニターのスイッチも切られ、映像も見えなくなった。筆者を含む新聞記者や、議場内部に入る権限のない日本をはじめとするG4諸国の外交官たちは、首脳たちの議論が終わるのを廊下で待つだけになった。

 エチオピア時間の4日午後6時半ごろ(日本時間5日午前0時半ごろ)、議場のドアが突然開き、首脳らが続々と出てきた。筆者は他の記者とともにAUの報道官を取り囲んで結論を尋ねたが、報道官は「話すことは何もない」と言って口を閉ざし、会場を後にした。
 やがてオバサンジョ議長が現れたが、顔は血の気を失い、側近たちに両脇を抱えられてようやく玄関のリムジンに辿り着き、一言も発しないまま会場を去ってしまった。記者生活で、あれほど憔悴した国家元首の姿を間近で見たのは、後にも先にもこの時しかない。
 AU臨時首脳会議が出した結論は、日本を含むG4が求めた「一本化」の否決だった。アフリカの大物国家元首として「一本化」を主導したオバサンジョ氏の権威は失墜し、常任理事国入りを目指す日本の安保理改革は完全に挫折した。

 その後の取材で、非公開だった首脳会議の様子が判明した。複数の外交関係者によると、会議では、日本政府が事前に根回ししていたジブチなどが「一本化」に賛成する意見を表明したが、会議を方向付ける決定的な演説をぶったのは、ムガベ氏だった。
 ムガベ氏は「G4と妥協すべきではない」「アフリカから選ばれた新しい常任理事国は、米英仏中露と同じ拒否権を持つべきである」と机を叩きながら大声でまくし立て、G4と妥協したオバサンジョ議長を面罵したという。
 「AU加盟国の大半を占める中小国は、自国が常任理事国になれるわけではないので、どんな結論に落ち着いても構わないと態度を保留していたが、ムガベ大統領の剣幕の凄まじさにたじろいで、会議の流れは一気に反オバサンジョに傾いてしまった」。ある日本政府関係者は、筆者の取材にそう話した。

計算ずくだったムガベ氏の演技

 そして何より驚かされたのは、このAU臨時首脳会議の裏側で、中国がジンバブエをはじめとする複数のアフリカの国々に対し、日本の常任理事国入りを阻止するよう働きかけていたことだった。その後の取材で、中国の外交団がアディスアベバ市内のホテルで、G4案とAU案の「一本化」が阻止されたことを祝う会まで開いたことが分かった。

 この臨時首脳会議が開かれた05年8月時点で、ジンバブエは既に旧宗主国の英国と激しく対立し、米国のブッシュ政権はジンバブエを「圧政の拠点」と呼び、ムガベ氏は欧米社会全体を敵に回して国際的孤立を深めていた。
 だが、ジンバブエは、ただ孤立していたのではなかった。エチオピアでのAU臨時首脳会議の9日前の7月26日、ムガベ氏は中国を訪問し、胡錦濤国家主席(当時)との間で経済協力文書に署名していた。中国にしてみれば、欧米諸国が手を引いた間隙を縫ってアフリカに「拠点」を確保し、ジンバブエにとっては欧米に頼らない形で国際社会への「窓口」を確保したのである。欧米との対決で国際的孤立を深めていたジンバブエからみれば、中国から援助を引き出す見返りに、安保理改革を巡る議論で中国の意向を代弁することくらいはお安い御用だったに違いない。
 後に、あるAUの関係者は筆者に、机を叩いてまくし立てたムガベ氏の発言を「中国の意向を代弁した計算ずくの演技だった」と語った。山本氏が「あんな黒いの」と言い放ったアフリカの一国家元首の演説によって、日本の国家戦略は挫折した。この時の「ムガベ演説」は、日本の国益がアフリカ諸国の意向に左右されることもあることを示していた。

発言は政権の努力を台無しに

2016年にジンバブエ大統領として来日したムガベ氏

 それから10年以上が経過した16年3月、ムガベ氏はジンバブエ大統領として日本を訪れ、安倍晋三首相と会談し、皇居で天皇陛下と会見した。
 欧米諸国から「世界最悪の独裁者」などと呼ばれていたムガベ氏をこのような形で日本に招待したのは、他でもない。安倍政権がムガベ氏とも一定の良好な関係を構築しておくことが、日本の国益にかなうと判断したからである。この訪日の直前の16年1月までの1年間、ムガベ氏はAU議長を務めており、安保理改革に関するアフリカ全体の世論に一定の影響を及ぼし得る立場にあった。安倍政権としては、中国の強い影響下にあるジンバブエをただ放置しているのは得策ではなく、日本との関係強化もジンバブエの利益になることを先方に示そうとしたのである。

 国際社会では、それぞれの国が国益をかけて外交を展開している。大事なのはそのやり方であり、帝国主義の時代と違って現代では、平等互恵と相互利益が原則でなければならない。アフリカはアフリカの利益をかけて日本と付き合い、日本は日本の利益をかけてアフリカと付き合っている。そうやって双方が国益をかけてぶつかり合う中で、双方が互いに利益を得られる妥協点を探しているのであり、その過程で信頼や友情が育まれる場合もある。
 そして、そうしたプロセスを続けるための最低限の前提が、相手を対等の人間として見なすことであることは言うまでもない。
 山本氏の発言は、日本の対アフリカ外交の足を引っ張り、政権の努力を台無しにし、日本の国益を阻害するものだと思う。