1. HOME
  2. 特集
  3. 壁がつくる世界
  4. 壁はなぜ生まれるのか

壁はなぜ生まれるのか

World Now 更新日: 公開日:

――ベルリンの壁が崩壊し、分断が解消されて四半世紀あまり経って、私たちの前には依然として壁があります。米国では、メキシコとの間に壁を築こうと訴えるトランプ氏が大統領になりました。この世界をどうとらえたらいいのでしょうか。

「人類が遊牧生活から定住生活に移行し、領地を囲うようになって以降、自らの土地を確保し、社会を築いていく過程の一端を、壁が担うようになりました。米国の有名な詩人ロバート・フロストに『壁を直す』という詩がありますが、彼はここに『良き塀は良き隣人をつくる』との一文を残しています。彼が育った米ニューイングランド地方で、農園には石造りの塀がある。農民たちは、家畜が隣家に行かないように、境界の塀を修理する。『壁』は人間社会に不可欠な要素なのです」

「ただ、国家が国境を管理する手段として、壁は古すぎます。金ばかりかかって非効率的で、役立たずの中世の遺物。『万里の長城』のような観光資源に過ぎません。ベルリンの壁』のように重装備のフェンスを築くならともかく、普通なら上を越えられるかもしれないし、下をくぐられるかもしれません」

「ただ、シンボルとしての価値は、壁には大きい。人々は壁を見て、心強く感じるかもしれません。トランプや他の移民排斥主義者たちが現在問題にしている『壁』も、単なる政治的シンボルです。メキシコとの間に壁をつくるなんてばかげた発想ですが、彼らはそれを、支持を集める手段として利用しているのです」

「メキシコとの間の壁が意味を持たないことは、二つの事例からも明らかでしょう。第1に、現在米国にいる不法滞在者の大多数は合法的に入国してオーバーステイした人々だということです。つまり、彼らは非合法に国境を乗り越えたわけではないのです。第2に、現在の国境では米国からメキシコに戻る人の方が、米国に来る人より多い。2006~07年ごろを境に、人の流れは逆になりました。だから『壁をつくるのは、労働力として必要なメキシコ人たちを米国から逃がさないためではないか』というジョークさえあるほどです」

――米国とメキシコとの国境の壁は、イスラエルがパレスチナに対して築いた分離壁とは違いますか。

「ベルリンやパレスチナなど、狭い地域に人口が密集しているところでは、塀や壁が効力を持つことも考えられます。ただ、そういう壁も、人手をかけて維持し、恒常的な点検や定期的なパトロールを実施しなければなりません。もしそれが米国とメキシコ、米国とカナダのように何千マイルもあるような国境なら、不可能です」

「壁は確かに、イスラエルとパレスチナのようにいがみ合う2者を分離できます。ただ、米国とメキシコとの間に何らいがみ合いはない。壁は、フロストが言うように良き隣人をつくるだけでなく、悪しき隣人もつくります。壁は、メキシコの人々にとって大いなる侮辱となっているのですから」

――壁が政治的な価値を持つとすれば、壁を望む世論がある、とも言えませんか。
「確かに、米国の世論調査を見ると30%近くの人々が壁の建設を強く支持しています。米国以外でも、移民が多い国は4分の1ほどが壁の建設を支持し、移民受け入れを拒否します。欧米各国の社会では今、排外主義の動きが広がっています。こうした層を、壁の建設は喜ばせることになっています」

「もし、選挙区内で排外主義の一団が力を持っているなら、彼らを動員し、彼らが満足するシンボルを提示するのは有効な手段です。実際、トランプにとって壁を巡る言説は効果的でした。トランプが相変わらず壁に言及し続けるのも、そのためです」

「米国の状況と対照的なのは、カナダです。カナダは、移民に対して一般に好意的です。自国の移民政策への支持も強い。カナダは、経済面や人道的な面を考慮しつつ難民を受け入れる一方で、移民労働者、特に熟練者の流入をしっかりと管理しています。一貫性に基づいた政策です。米国との間に壁を築こうなんて言う人は、面白半分の場合を除くと、どこにもいません。国内で自国の移民政策への信頼が乏しい米国とは対照的です」

「移民に関する政策は極めて複雑です。それは、政策が目指す目的と、実際に生まれる結果との間に、大きなずれがあるからです。これを私は『リベラル・パラドックス』と呼んでいます。私たちは、市場や人権を重視するリベラルな意識をもとに、少しずつ社会を築いてきました。その結果、その社会は貿易や投資、移民に関して開かれたものとなりました。また、マイノリティーや移民の権利を守るために闘うようにもなったのです。開かれた社会は経済を活性化させ、社会の中で弱い立場にある人々の人権を守る政治を確立させました。繁栄と力強さ、民主社会を手に入れたければ、開放的であるべきだ。こうした政策を、西欧の自由民主世界の国々は追求したのです。私たちが暮らしているのは、極めて自由な時代であり、開かれた社会と経済の中なのです」

「ただ、リベラルな発想に基づいて市場を重視し、人権を尊重して『開かれた社会』を追求すればするほど、そのような社会を守るために国境を管理し、自国民と他国民を区別し、社会を閉ざさざるを得ない。そこに矛盾が生じます。開くと同時に閉じる必要があるのです」

「各国の政府は、この開放性と閉鎖性とのバランスをみつけなければなりません。そのうえで、有権者に政策を理解してもらわなければならないのです。それが民主主義というものです」

――移民政策について、あなたは最近の論文で「四つの側面が絡み合ったゲーム」だと分析し、専門家の間で大きな反響を呼びました。四つの側面とは「経済(市場)」「人権」「治安」「文化」です。これは、「移民の人権を守るべきだ」「いや、治安悪化が心配だ」などと議論がかみ合わなかった移民政策を整理する上で大きく役立ちました。

ホリフィールド教授がつくった「移民政策にかかわる四つの側面のゲーム」の図。左から時計回りに「市場(経済)」「治安」「人権」「文化」の4要素が絡み合う姿を示す

「現代の移民政策は、この四つの側面が入り交じっていると理解するのが重要です。安定と成長が確保された平時の場合、私たちは『必要な移民は何人か』『彼らはどんな技能を持っているか』などと計算します。人権や移民の地位についても考慮します。ただ、誰もかも受け入れて社会の一員にすることはできません」

「米国やドイツ、スイスなど多くの欧米諸国は、労働力確保の必要性から、移民を受け入れる決定をしています。一方、労働力を欲しがりながらも彼らが定住するのを好まない国もあります。ただ、出稼ぎ労働者としてやってきた人々の多くは居着いてしまう。彼らが家族を呼び寄せるのも認めざるを得ない。家族と一緒に暮らすことは今日、人権の一部だと考えられていますから。また、最終的には出稼ぎ労働者にも市民権を与えなければならなくなるでしょう。さもなければ、社会の中に隔絶された少数派を生み出すことになり、社会自体がむしばまれかねないからです」

「平時の場合、移民に関する議論は市場、人権、市民権を巡って進められます。これは、リベラルデモクラシーの社会で当然のことです。サウジアラビアや湾岸諸国など、多数の外国人労働者を受け入れながら全く人権を認めない国もありますが、日本や欧米諸国には参考にならないでしょう」

――では、平時でない場合はどうでしょう。

難民の入国を阻もうと、ハンガリーが隣国セルビアとの間に築いたフェンス=ハンガリー南部セゲド近郊、国末憲人撮影

「移民を巡る議論は時に、大きく変化します。多くの人々にとって、移民が『脅威』と映る時です。移民は、物質的な脅威、安全保障上の脅威ともなりえます。9・11米同時多発テロを思い出してください。多くの場合学生として合法的にビザを得た19人の若者が米国に入国してテロを起こした時のことです。これまでの市場や人権を巡る論議のテーマは、安全保障問題に取って代わられました。人々の間に恐怖感が広がる時、移民政策の方向性も議論も変化するのです」

「脅威は、物質的なものに限りません。移民は文化的な脅威にもなり得ます。これが移民生活を恐ろしくややこしくしています。欧米社会はイスラム教とイスラム教徒を文化的な脅威と受け止め、恐怖感を抱いています。トランプはこの恐怖感を利用して、イスラム教徒の入国禁止を打ち出しました。安全保障上や文化面での脅威が一気に押し寄せたと感じた米国や欧州では、排外主義の感情が高まりました」

「こうした現象は、決して真新しいことではありません。米国では、1920年代から30年代にかけても、同様の感情が高まりました。100年近く前からすでに、移民問題は議論を呼ぶ政治的なものだったのです」

「これほど多くの人が外国人に対して恐れを抱く時代だと、移民政策でうまく立ち回るのは難しい。どんなシナリオをつくっても、有権者が受け入れるものとはならず、恐れを克服できません」
(続く)


James F. Hollifield(ジェームズ・ホリフィールド)

1954年生まれ。専門は国際政治経済学。朝日地球会議で講演予定。

GLOBE編集長国末憲人のインタビューを受けるホリフィ-ルド教授(左)=6月、東京都目黒区の東京大駒場キャンパス、仙波理撮影