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北朝鮮サバイバル

独裁とは何か  

チャウシェスクのルーマニア


冷戦時代の共産主義国の中で独裁国家として唯一残っているのが北朝鮮だ。独裁とは何か。かつて北朝鮮を模して独裁体制を強めたルーマニアを訪ねた。

アウグスティン・ロディナ

私が部屋に入ると、こちらに笑いかける白髪の女性の、いくつもの写真に迎えられた。アウグスティン・ロディナ(85)は、昨秋に失った妻の写真を、物が置けるところすべてに飾っていた。

彼はルーマニア大統領のチャウシェスクの専属パイロットだった。1971年、大統領を乗せた専用機で平壌の空港に着陸。「空港で、街頭で、北朝鮮の人々は、はじけんばかりの笑顔と歓声で大統領夫妻を迎えました」

チャウシェスクは主席の金日成と会談。ロディナは帰国の途に就くチャウシェスクを見て、「オーラをまとい始めたと感じた」。母国では、チャウシェスクの肖像画が至る所に飾られ、著作集が出されるようになった。

チャウシェスクが訪朝時に北朝鮮から贈られた工芸品

配給の列にまぎれて監視する秘密警察


秘密警察のことも話してくれた。配給を求める長い列のそこかしこに秘密警察や協力者が紛れ込み、不平不満を監視した。パイロットとして西側の自由世界に出入りできたが、同僚にも秘密警察はいた。見聞きしたことは妻にも話さなかった。「刑務所の中にいるようでした」

私はチャウシェスクが首都ブカレストにつくった「国民の館」に足を運んだ。部屋の数約3000。クリスタルのシャンデリア、珍しいピンクがかった大理石。今の価値で約4000億円。国民が配給に事欠くなかで建てられた宮殿は、皮肉にも「国民の館」と呼ばれた。自分が統べる人々をここまで軽視できるのかと、圧倒されるしかなかった。

国民の館内部

89年に革命が起きる。チャウシェスクは夫人と銃で処刑された。その場所は首都から車で1時間以上離れた、小さな村にあった。軍の建物だった壁の際、夫妻が倒れ込んだ場所には人の形が白い線で引かれていた。

夫人は死の直前まで軍人たちを「私の子」と呼んだ。自分たちが行ったことさえ、よく理解できていなかったのだろう。当時、息子に権力を継ごうという動きもあった。しかし、独裁は倒れた。

チャウシェスクが処刑された場所=いずれも神谷毅撮影

「不満が爆発する余地があった」


チャウシェスク時代、北朝鮮で10年間、外交官を務めたイシドル・ウリアン(85)が北朝鮮との違いを説明してくれた。「ルーマニアでは外国の本の翻訳が公式に売られていた。集会を開いたり新聞が体制への不平不満を取り上げたりすることもあった」。確かに、体制に目を付けられれば家族も捕まる北朝鮮とは大きな違いだ。「北朝鮮ほど孤立していたわけではなく、人々の不満が爆発する余地があった」とウリアンは振り返る。

イシド・ウルリアン(右から3番目)

チャウシェスクのパイロットだったロディナは、独裁者を50回以上も自分が操る飛行機に乗せたことを語るうち、ふと、友人の医師と交わした話を思い出したようだった。「友人は、いつもチャウシェスクを乗せているなら、彼に『何か』をしたらどうかと言ったんですよ」

あえて私はロディナに尋ねた。なぜ「何も」できなかったのですか?

ロディナの目には、当たり前のことを聞くなと非難の色が浮かんだようにもみえた。「命をかけて『何か』なんてできるわけがないですよ。守るべき家族、妻と2人の子がいたから」●(GLOBE編集部 神谷毅、敬称略)


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