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マグロは滅びるのか

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小西藤司の物語





小西藤司/photo:Yorimitsu Takaaki

長崎県小値賀(おぢか)島。五島列島の北部に浮かぶこの島で、小西藤司(76)は猫と暮らしている。良材をふんだんに使った自宅の長押(なげし)には額装の表彰状がずらり。「優秀漁労長第一位」などと記されている。


父親が南方で戦死し、母一人子一人の家庭で育った。小値賀の中学校を出ると、熊本市にあった国立熊本電波高校の専攻科に1年行って通信士の資格を取る。通信士として漁船に乗り、漁労長の仕事を近くで見ながら漁のやり方を覚えた。

漁労長に抜擢されたのは25歳の時。1991年まで、山口県の会社が経営する巻き網船団を率いた。最初は人集めから始め、実績を残すことで求心力をつけていった。


1980年、ある情報を聞いた。巻き網船団の一つが山口沖でクロマグロを獲ったという情報だった。壱岐沖でマグロを巻こうとして網を壊された船団があるとも聞いた。


翌81年。「マグロが泳いどるかもしれんなあ」と注意しながらアジ漁を続けていたとき、船団の運搬船から急報がきた。「マグロがいる!」。


場所は壱岐と対馬の間。その後、壱岐の一本釣り漁師たちがクロマグロを釣るようになった海域だ。群れを巻き、うまく揚げることができた。100キロから300キロのクロマグロが660本。水揚げ1億円。


翌年から6、7月はクロマグロばかりを狙うようになる。


「マグロの群れを見つけるときは、まず鳥を探す。接近すると、ちょこっと分かるですもんね、マグロのひれがね。それを今度はソナー(魚群探知機)で捉えて、群れの動きを見て網を打ち回す。95%は獲れる」


ソナーでマグロの動きを見るが、動かない群れもあった。


「動かないのは産卵。それが一番獲りやすいんですよね。1800本巻いたときは産卵中だったと思う」


その1800本を巻いたのは84年の五島沖。100キロ級のマグロだった。続いて五島沖で200キロ級を400本、対馬海峡で100~300キロを700本獲る。獲りすぎで品質は落ちたが、それでも1キロ1千円になった。合計水揚げ額、実に3億数千万円。


小西の腕には船団70人の生活がかかっていた。当時を思い起こしながら小西が言う。


「1億揚げるとでしょ、経費を引いて6千万円残る。親方(会社)が7割取って3割が船方。3割の1800万円を、たとえば漁労長が3人前、船長が2人前と取る。18万円プラス歩合が1人の給料で、マグロで3億獲ったときは歩合だけでも100何万あったんじゃないかな。一人前で」


船を下りたのは52歳のときだった。体力の衰えを感じ、「こんなことしよったら死ぬばい」と思った。


(依光隆明)

(文中敬称略)






 

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