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マグロ漁師、高松幸彦の物語

LifeStyle 更新日: 公開日:
高松幸彦/Yorrimitsu Takaaki

焼尻島の人口は200余人。5平方キロほどの小さな島だ。

高松幸彦(59)が船に乗ったのは15歳のときだった。定時制高校に通いながら、10キロほどのクロマグロ幼魚を釣った。大きなマグロもたくさんいた。小魚を追う大マグロの群れで海一面が真っ白く波立つ、そんな光景が家の窓から見えた。だが、大きなマグロに手は出せなかった。釣る方法を知らなかったからだ。

転機は1975年、20歳のとき。テレビに青森・大間のマグロ一本釣りが映っていた。これだ! 釣り方を習おう! 漁協青年部で高松が声を上げた。20人の若手漁師が大間に押しかけた。

「焼尻にマグロはたくさんいる」と話すと、大間の漁師が言った。「そんなにいるのなら釣りに行きたい。行っていいか?」。高松たちは答えた。「教えてくれるのなら、ぜひ」

高松たちが大間に行ったのが7月。その月のうちに大間の漁師7人が各自の船を操って焼尻にやってきた。彼らに教えてもらいながら、焼尻の漁師50人が一本釣りを試みた。さおを使わない釣り方だった。マグロは釣れた。全く釣れない人もいたが、30本以上を釣った漁師もいた。高松も10本釣った。

「あのころ、北海道ではマグロの一本釣りは誰もやっていなかった。私たちが最初でした」と高松は振り返る。

夏から10月半ばまで漁を続けた。秋の漁場は北西100キロの沖にある武蔵堆。海中にある巨大な丘だ。最も浅い場所で7メートル。秋の海は荒れるため、年に10回ほどしか武蔵堆でマグロを釣ることはできない。4・9トンの小さな船で4、5時間かけて漁場に行き、しけの海でマグロを釣った。

「波が『掘れる』んです。波のうねりが穴を掘るみたいな感じ。穴になるんです。深いところから急に浅くなるから波が特別なんですね」

そのマグロが、なぜ消えたのか。高松はこう推理している。

「以前は海が赤くなるくらいオキアミがいましたが、全くいなくなりました。寒流が弱くなったのだと思います。そんな環境変化で回遊ルートが変わったのが釣れなくなった理由の一つでしょう。でも、巻き網による大量漁獲の影響も大きいと思います。」

資源を大事にしなければならないと思いながら、クロマグロ幼魚の漁獲規制(基準年の50%減)には高松は批判的だ。高松ら北海道の漁師は昔からクロマグロの幼魚を釣ってきた。高松らが釣る幼魚は、幼魚といっても10キロほどの大きさがある。しかも秋冬場に釣るため、脂がのって値段もいい。いいときは1本5万円で売れる。それを生業としてきた漁師もいるだけに、「マグロ専業の若い漁師は途方に暮れています」と高松は一律規制を嘆く。「自分たちは昔から持続可能な漁業をしてきたのに」と。


(依光隆明)
(文中敬称略)