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100歳までの人生設計

[Part3]「死」も自ら選べるか――オランダ

ジャン・ファルハーゲン(享年96)<左>
2016年12月16日、安楽死する5分前に、息子のミヒル(67)とともに「最後の記念写真」に納まった。写真はミヒル提供



「私はこれ以上認知症が進むことに耐えられない。安楽死したい」。2016年夏、オランダ北西部の小都市、アルクマールに住むミシュ・ドンケル(当時80)は、夫ヨハネス(80)や3人の子供とその配偶者、孫たち計15人を前にこう告げた。親族一同が集まり、海辺でバーベキューパーティーを楽しんでいる最中のことだった。ヨハネスらは驚愕した。



ミシュは話し好きで表現力豊かだったが、認知症が進むにつれ「ああ、素晴らしい」などと、月並みな反応しかしなくなった。転びやすくなり、ナイフやフォークを使うのも難しくなった。


ミシュの母も認知症で、最期の2年は植物状態だった。「母親のようにはなりたくない」。ミシュの決意は固かった。


02年に安楽死が法制化されたオランダでは16年、約6000人が安楽死し、死因の約4%を占めた。法に定められた条件は厳しく、安楽死が認められるのは申請した人の3分の1程度。最も重視されるのは「完全に本人の自由な意思に基づくこと」、そして「生きること自体が耐えがたい苦痛であること」という二つの条件を満たしていることだ。


ミシュの安楽死を担当したのは、高齢者医療の専門家で多くの安楽死に関わってきたイフォヌ・ファン・インゲン。ミシュの場合、認知症の症状がまだ軽く、本人の判断力を認められたことに加え、母親の認知症を目の当たりにしていたことから、「認知症の進行は彼女にとって耐えがたい苦しみ」という点で、インゲンとセカンドオピニオンを担当する医師との見解は一致した。ミシュは17年1月7日、家族とインゲンの見守る中、薬を飲んで亡くなった。


夫のヨハネスは愛する人が自ら死を選んだことを、今も受け入れ切れていない様子だった。インタビュー中、何度も涙を流し、最後は「もうこれぐらいでいいだろう」と、私の質問を遮った。


「迷惑だから」ではダメ


16年にオランダで認知症を理由に安楽死したのは141人だけだ。症状が進む中で、本人の意思をどこまで尊重できるかが大きな課題となっており、オランダ医師会は実例調査を続けている。


日本では、脚本家・橋田寿賀子の著書『安楽死で死なせて下さい』がベストセラーとなった。「認知症になって何もわからなくなったら、生きていたくない」「人に迷惑をかける前に死にたいと思ったら安楽死しかない」と橋田は綴る。


だが、そうした理由での安楽死は、オランダでは認められそうにない。


医師会会長のルネ・ヘーマンは「安楽死が認められるには、本人が周囲に気兼ねなく、最高水準のケアを受けていることが前提」と話す。周囲の負担が軽減されたり、ケアの水準が上がったりすることで安楽死を望まなくなれば、それは「完全な自由意思」という安楽死の条件を満たしていないことになるからだ。


もしも「周囲の負担になるから」という理由での安楽死を認めれば、「家族や他人に迷惑をかけないため、安楽死を選ぶべきだ」という患者本人へのプレッシャーにつながりかねない。それこそ「現代版うば捨て山」への道だ。高負担・高福祉で「最高のケアを受けるのは当然の人権」(ヘーマン)という社会常識が定着しているオランダだからこそ、安楽死の法制化も実現できたのではないか。


「耐えがたい苦痛」とはなにか


たとえ認知症ではなくても、高齢者の安楽死の是非は判断が難しい。「本人にとって耐えがたい苦痛かどうか」を判断する際に、肉体的苦痛に加え精神的な苦痛も考慮する必要性が大きいからだ。


ジャン・フェルハーゲンは16年12月、アムステルダム近郊のケアハウスで、息子のミヒル(67)に手を握られつつ安楽死した。96歳だった。


大戦中、ドイツ占領下のオランダで反政府活動を行い、投獄された。戦後は技術者として活躍したが、戦時中の記憶に苦しめられ、58歳で早期退職しケアハウスに移った。


16年秋、急に心臓病が悪化して寝たきりに。「私の人生は終わった。安楽死したい」。ジャンは長年受診してきた家庭医にそう話したが、医師は「動けなくなっただけでは、耐えがたい苦痛とは見なせない」と難色を示した。


だが、セカンドオピニオンを担当したインゲンの意見は違った。「戦争の苦しみを経験した人々は極めて我慢強い。ジャンも長年PTSDの症状に耐えてきた。そうした人の『もう耐えられない』という思いは尊重するべきだ」


家庭医はインゲンの意見を受け入れた。自身も医師であるミヒルは安楽死前の1週間、毎日父の元を訪れた。父は息子に、初めて戦争中の体験を語った。投獄されたのは仲間の密告が原因だったこと、終戦直前に我を失ったドイツ兵に処刑されかけたが、相手の銃の弾切れで助かったこと。ミヒルはようやく、父の苦しみの正体を知った。これまで父と過ごした中で、最も濃密な時間だったという。死の前日、父は「(安楽死は)最高のプレゼントだよ」と語った。


ミヒルは言う。「父は幸せな死に方をしたと思う。私は、自らの意思で命を絶つことには複雑な思いだが、人を苦しみから救う方法としての安楽死は認めてもよいのでは」


(太田啓之)


(文中敬称略)


「わたしのピークは70代」に続く)

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