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世界に続々できる壁、なぜ 「トランプの壁」をたどって考えた

World Now 更新日: 公開日:

Abema×GLOBE 壁特集全編

アメリカとメキシコの国境3200キロをたどった

西から東へ約3200キロ。私は太平洋からメキシコ湾まで、米国とメキシコの国境をたどった。壁はトランプの専売特許だと思っていたが、実はすでに約1130キロに及んでいた。ここに、いま、なぜ、新たな壁が必要なのか?

小指ほどある鉄格子の隙間をのぞくと、高く抱き上げられた赤ちゃんが、ほほ笑んでいた。メキシコ北部ティフアナ。太平洋を望む高台の公園で数組のグループが、フェンスの向こうに語りかけていた。反対側の米サンディエゴは週末の1日4時間だけ、フェンスのそばまで来ることが許されている。看護師のベロニカ・ルビオ(41)は、20年前に米国に働きに出た弟の新しい家族に目を細めた。「弟は5年ぶりだけど、ちょっとやせたかな」。この壁の建設が始まったのは、大統領のドナルド・トランプ(71)が「偉大なる壁を」と叫ぶ四半世紀も前だった。

ベロニカの視線の向こうには、生後3カ月のめいのソフィアがいた。米サンディエゴで Photo: Murayama Yusuke

1990年 フェンス建設が始まった

「多数の不法入国者にかき乱されている。彼らがつかんだ仕事は米国民が得ていたものかもしれない。国境警備隊を記録的に増員し、果敢に国境を守る」

これはトランプの言葉ではない。1995年、大統領だったビル・クリントンが行った一般教書演説だ。

米国とメキシコを隔てるフェンスの建設が始まったのは90年にさかのぼる。4年後に北米自由貿易協定(NAFTA)が発効すると、米国産の安いトウモロコシがメキシコに流れ込み、零細農家が大打撃を受けた。職を求めて米国に向かうメキシコ人が増え、国境の管理強化を求める声が米国側で強まった。

カリフォルニア大学サンディエゴ校教授(社会学)のデビッド・フィッツジェラルド(45)は、壁が生まれた時代をこう振り返る。「東西冷戦が終わって国防費が減り、軍需産業が盛んな米国の西海岸は失業者であふれた。そんななかでメキシコ移民がスケープゴート(生けにえ)になったのです」

2001年の同時多発テロ後になると壁の建設は安全保障の色彩を濃く帯び始める。06年には1100キロ超の壁の建設を政府に義務付ける安全フェンス法が成立。いまや総延長は国境の3分の1、約1130キロに達する。

その草分けが、サンディエゴの壁だった。私は警備隊の車両に同乗し、フェンス沿いを走った。国境の壁は二重構造だ。高さ約3メートルの「波板」で車の侵入を防ぐ。高さ約5メートルの鉄条網つきフェンスで人の侵入を阻む。

90年度に約47万人だったサンディエゴ管内の不法入国の検挙者数は、2016年度は3万人余へ激減した。広報担当ティーケイ・マイケル(35)は「侵入は完全には防げないが、対処する時間を稼げるのが大きい。フェンスの有効性は証明済みだ」と強調した。

フェンスをはさんだ両側でミサが開かれた(メキシコ・ティフアナ) Photo:Murayama Yusuke

壁は新しい現実を生んだ。

行き来が自由だったころは米国の農園などで数カ月間働き、年末に家族の元に帰省する「出稼ぎ」が多かった。だが、壁でそれが難しくなり、賃金の高い米国にとどまって定住するようになった。壁を挟んで分断される家族が生まれ、米国に妻子を呼び寄せる人も増えた。

そして四半世紀。不法移民約1100万人のうち、幼いころに親に連れられてきた「ドリーマー」と呼ばれる若者は約80万人に上るとされる。トランプは9月、ドリーマーを強制退去の対象としない移民救済制度の撤廃を決め、社会は割れた。移民救済制度の撤廃を決め、社会は割れた。

砂漠で急増する遺体 追い詰められる移民

西海岸で壁に阻まれた移民の波は、東に向かった。内陸に広がる砂漠地帯だ。

メキシコ北部ノガレスは米国を目指す移民の拠点となってきた。移民を支える民間施設を訪れると、約50人が夕食前の祈りを捧げていた。

夕食前に祈りを捧げる人々。強制送還されて行き場を失った人も多い(メキシコ・ノガレス) Photo:Murayama Yusuke

農場作業員セルビン・バスケス(30)は、仕事があると誘われて2カ月前、知人と2人でフェンスを登った。強烈な日差しと暑さで3日目に水が尽き、自分がどこにいるのかも分からないまま2日間、砂漠をさまよった。見つけた検問所に自ら駆け込み、強制送還された。「男女一組の遺体を見た。あのまま自分も死んでいたかもしれない」

私が訪れた時はつかの間の雨期で、緑の低木に覆われていた。だが実際に歩いてみると、足元は鋭いトゲのあるサボテンだらけで起伏も多い。猛毒のガラガラヘビやピューマもいる。気温は40度を超え、のどがカラカラになった。

米側のアリゾナ州南部を管轄するピマ郡検視局長グレゴリー・ヘス(46)によると、移民とみられる遺体は90年代は年に十数体だったが、00年代から170体前後に増えた。今年も平年を上回るペースで見つかっている。「砂漠ではちょっとした誤算が死を招く」

それでも壁の向こうを目指す人が絶えない背景には、圧倒的な経済格差がある。米国の1人当たり国内総生産(GDP)はメキシコの約6倍。これまで3回強制送還された建設作業員フェルナンド・クルス(50)は「米国なら一日働けば120ドルもらえたが、メキシコはわずか5ドル。ばかばかしくてやっていられない」と話した。

危険度を増す越境に目をつけたのがマフィアだ。「コヨーテ」と呼ばれる案内人を自らの組織に囲い込み、移民からもらう「手引き料」をつり上げた。壁はマフィアの「利権」に組み込まれ、許可なく越えることすら困難になった。

支援施設で会った車塗装工アレハンドロ・バスケス(21)は、中米ホンジュラスから来た。コヨーテから国境の「通行料」だけで4万メキシコペソ(約25万円)を要求され、「払えないなら40キロの麻薬を背負って歩け」と迫られた。2週間前から大量に食べて脂肪分を蓄え、6?9人の運び手に3人のコヨーテが一組になって、6日間で80キロ以上歩く計画だった。「軍用装備で監視していて、勝手に壁を越えたら必ず見つけ出すと言うんだ。警備隊もマフィアもやることは同じだ」

巨大官庁誕生 壁の軍事化

越境の「組織化」が進むメキシコ側に対し、米国側は壁の「軍事化」で対抗している。

フェンスには赤外線暗視装置や振動センサーが配され、上空ではアフガニスタンの戦場で性能が培われた無人機や係留型飛行船が、川面ではプロペラ船や高速艇が巡回する。イスラエルの軍需大手はハイテク監視塔を建設している。私が国境そばで道を間違えて車を引き返すと、不審な行動に映ったのか、数分でヘリが飛来し、警備隊の車両が駆けつけた。

壁建設は当初から、警備隊と軍の二人三脚で進んできた。

冷戦と湾岸戦争が終わった1990年代、国防予算が大幅に削減される一方、警備隊の予算は伸び続けた。同時テロ後の2003年、ブッシュ政権は運輸保安庁など22の組織を統合した巨大官庁、国土安全保障省を創設。警備隊は1992年度から予算で約11倍、要員は約5倍に拡大し、所属する税関・国境警備局は、連邦捜査局(FBI)などを上回る米国最大の法執行機関になった。

人の往来を阻むフェンスは途中から車止めの鉄骨に変わった(中。米ノガレス郊外) Photo:Murayama Yusuke

壁をめぐる産業も潤った。

発注先には、ボーイングやノースロップ・グラマンなど軍需大手が名を連ねる。航空宇宙産業が集まるアリゾナ州ツーソンでは、アリゾナ大学が運営する研究開発拠点テクパークス・アリゾナに、軍需大手レイセオンなどが進出し、100社以上が創業した。砂漠地帯に監視塔やフェンスをそなえ、新技術を試すことができる。テクパークス共同副社長のブルース・ライト(70)は「光学センサーなど国境警備技術が生かせる市場が爆発的に広がっている」と語る。軍事技術に強いイスラエルの大学などと提携を深める。

地元記者で『国境監視国家』を出版したトッド・ミラー(46)は「壁をめぐって官民が協力し、企業は予算増を求めて政治家に陳情する。国境版の『軍産複合体』をみているようだ」と話す。

攻防の主戦場は国境の川

砂漠を過ぎ、国境の東半分を占めるテキサス州に入ると風景は一変した。緑が増え、壁はほとんど姿を消した。国境を分かつリオグランデ川が自然の障壁となって人の往来を妨げていた。

その川が今、攻防の主戦場になっている。

川を一望できる断崖に立つロマの野鳥展望台。夕日が沈み切ったとき、双眼鏡を手にした警備隊の男性(31)の声色が変わった。

展望台から国境の川を監視する警備隊員(米ロマ) Photo:Murayama Yusuke

「見ろ。今、行ったぞ」

100メートルほど上流の中州の茂みから、数人が乗った小舟がすっと姿を見せ、暗がりに消えた。移民はマフィアの手引きで、当局の手が届かない「緩衝地帯」の中州にいったん上陸し、米側に渡る機会をうかがうのだという。小舟は1分もたたずに引き返した。「警備隊を見て上陸を断念したんだ。毎日いたちごっこさ」

川を渡る移民は数年前から急増している。州内の16年度の検挙者は約25万人と5年前から倍増し、今や国境全体の約6割を占める。溺れる人も相次ぎ、年200体前後の遺体が見つかる。

トランプ政権は壁建設の照準をこの川に向けた。18年度予算案に盛り込んだ建設計画約120キロのうち、約100キロが集中する。だが、メキシコとの条約で河川には建設できないうえ、川辺は大半が私有地で早期建設が難しい。

そこで全米有数の野鳥生息地であるマッカレン郊外の国立野生保護区内に壁を建てる案が浮上し、地元で激しい反発が広がった。8月には地元市民や自然保護、移民支援など52の団体が呼びかけ、約900人が「壁ではなく橋を」と叫んで行進した。地元議会は反対を決議した。

ただ、トランプが「強姦犯」「犯罪者」とやり玉に挙げて壁で防ごうと訴えるメキシコ人移民はむしろ、堅調な自国経済を背景に減少傾向が続いている。とりわけ08年のリーマン・ショック後に急減し、16年度の検挙者は約19万人と00年度の1割強の水準に。全体でも半数を割った。

増えているのは地理的にも同州に近いグアテマラとホンジュラス、エルサルバドルの中米3カ国だ。犯罪組織の暴力から逃れて出国する人が相次ぎ、難民認定を求める家族連れや子供の越境も多い

ラストベルトで聞いた「壁つくれ」の大合唱

四半世紀にわたって静かに進められてきた壁の建設は、トランプが大統領選で掲げたことで米世論を分断するテーマになった。

政権は8月、壁の試作品をつくる業者4社を選んだが、トランプが最大120億ドル(約13000億円)と主張する建設費を確保するめどは立っておらず、その2?3倍かかるとの試算もある。いくつかの世論調査では反対がおおむね6割を超え、賛成は4割弱にとどまる。

それでもトランプは強気を崩さない。その成算はどこにあるのか。ラストベルト(さびついた工業地帯)といわれ、トランプが大統領選で接戦を制した北東部ペンシルベニア州に向かった。

かつて炭鉱と縫製業で潤ったルザーン郡は、12年の大統領選で民主党のオバマが制したが、昨年は一転、共和党のトランプが圧勝した地域だ。大統領選の投票日前日、「最後のお願い」で近くの町を訪れたトランプは「偉大な壁をつくる!」と訴え、支持者たちは「壁をつくれ!」と熱狂的な声援で応えていた。

その熱気とは対照的に、商店街は空き家が目立ち、通りには白人の高齢者ばかりだった。「テロリストが忍び込まないためには壁が必要だ」(重機運転手、62)、「壁で秩序を取り戻す」(航空技術者、56)。50人に声をかけると、5人が壁への支持をはっきりと口にした。「自分たちは忘れられている」という疎外感を口にする人も目立った。

カリフォルニア大学教授のフィッツジェラルドの言葉を思い出した。「少数だが声が大きく、必ず投票に出向く。トランプは接戦州でそんなコアな支持者を動員して勝利をつかんだ。彼らを熱狂させ続ける。それがトランプの狙いだ」

だが、なぜ壁なのか。

「目に見えて、テレビに映える。政府があなたのために何かをしている、と伝えるシンボルだからだろう」

21世紀、壁が世界で急増している

ベルリンの壁が崩壊して東西冷戦が終わり、グローバル化はとどまるところを知らない。壁に分断された時代は過去のものになる──。当時、私はそんな期待を抱いた。

だが、昨年の米大統領選でドナルド・トランプが火をつけた壁への熱狂をみて、改めて世界を見渡すと、まったく違う光景が広がっていた。21世紀に入って、世界はかつてないほど壁に囲まれる時代を迎えていたのだ。トランプはそれを、天性の臭覚で、政治の表舞台に持ち出しただけなのかもしれない。

カナダのケベック大学モントリオール校准教授(地政学)のエリザベート・ヴァレの集計によると、20世紀後半まで、世界の壁の数は計画中を含めて十数カ所ほどで推移してきた。それが、2001年の米同時多発テロからしばらくして加速度的に増え始め、今年7月時点では75カ所に達している。

壁の作り手には、冷戦の勝者で、自由や経済的繁栄を享受してきたはずの欧米の民主主義国が目立つ。中東や南アジア、アフリカなど、地理的にも壁の拡散は続いている。

新たな壁の時代を迎えた理由を探った。(文中敬称略)

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