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壁がつくる世界

[Part1]1990年 フェンスの建設開始


「Abema × GLOBE」壁特集全編



小指ほどある鉄格子の隙間をのぞくと、高く抱き上げられた赤ちゃんが、ほほ笑んでいた。メキシコ北部ティフアナ。太平洋を望む高台の公園で数組のグループが、フェンスの向こうに語りかけていた。反対側の米サンディエゴは週末の1日4時間だけ、フェンスのそばまで来ることが許されている。看護師のベロニカ・ルビオ(41)は、20年前に米国に働きに出た弟の新しい家族に目を細めた。「弟は5年ぶりだけど、ちょっとやせたかな」。この壁の建設が始まったのは、大統領のドナルド・トランプ(71)が「偉大なる壁を」と叫ぶ四半世紀も前だった。


「多数の不法入国者にかき乱されている。彼らがつかんだ仕事は米国民が得ていたものかもしれない。国境警備隊を記録的に増員し、果敢に国境を守る」


これはトランプの言葉ではない。1995年、大統領だったビル・クリントンが行った一般教書演説だ。


米国とメキシコを隔てるフェンスの建設が始まったのは90年にさかのぼる。4年後に北米自由貿易協定(NAFTA)が発効すると、米国産の安いトウモロコシがメキシコに流れ込み、零細農家が大打撃を受けた。職を求めて米国に向かうメキシコ人が増え、国境の管理強化を求める声が米国側で強まった。


カリフォルニア大学サンディエゴ校教授(社会学)のデビッド・フィッツジェラルド(45)は、壁が生まれた時代をこう振り返る。「東西冷戦が終わって国防費が減り、軍需産業が盛んな米国の西海岸は失業者であふれた。そんななかでメキシコ移民がスケープゴート(生けにえ)になったのです」


2001年の同時多発テロ後になると壁の建設は安全保障の色彩を濃く帯び始める。06年には1100キロ超の壁の建設を政府に義務付ける安全フェンス法が成立。いまや総延長は国境の3分の1、約1130キロに達する。


その草分けが、01面のサンディエゴの壁だった。私は警備隊の車両に同乗し、フェンス沿いを走った。国境の壁は二重構造だ。高さ約3メートルの「波板」で車の侵入を防ぐ。高さ約5メートルの鉄条網つきフェンスで人の侵入を阻む。


90年度に約47万人だったサンディエゴ管内の不法入国の検挙者数は、2016年度は3万人余へ激減した。広報担当ティーケイ・マイケル(35)は「侵入は完全には防げないが、対処する時間を稼げるのが大きい。フェンスの有効性は証明済みだ」と強調した。

フェンスをはさんだ両側でミサが開かれた(メキシコ・ティフアナ)
Photo:Murayama Yusuke

壁は新しい現実を生んだ。


行き来が自由だったころは米国の農園などで数カ月間働き、年末に家族の元に帰省する「出稼ぎ」が多かった。だが、壁でそれが難しくなり、賃金の高い米国にとどまって定住するようになった。壁を挟んで分断される家族が生まれ、米国に妻子を呼び寄せる人も増えた。


そして四半世紀。不法移民約1100万人のうち、幼いころに親に連れられてきた「ドリーマー」と呼ばれる若者は約80万人に上るとされる。トランプは9月、ドリーマーを強制退去の対象としない移民救済制度の撤廃を決め、社会は割れた。移民救済制度の撤廃を決め、社会は割れた。





西海岸で壁に阻まれた移民の波は、東に向かった。内陸に広がる砂漠地帯だ。


メキシコ北部ノガレスは米国を目指す移民の拠点となってきた。移民を支える民間施設を訪れると、約50人が夕食前の祈りを捧げていた。

夕食前に祈りを捧げる人々。強制送還されて行き場を失った人も多い(上。メキシコ・ノガレス)
Photo:Murayama Yusuke

農場作業員セルビン・バスケス(30)は、仕事があると誘われて2カ月前、知人と2人でフェンスを登った。強烈な日差しと暑さで3日目に水が尽き、自分がどこにいるのかも分からないまま2日間、砂漠をさまよった。見つけた検問所に自ら駆け込み、強制送還された。「男女一組の遺体を見た。あのまま自分も死んでいたかもしれない」


私が訪れた時はつかの間の雨期で、緑の低木に覆われていた。だが実際に歩いてみると、足元は鋭いトゲのあるサボテンだらけで起伏も多い。猛毒のガラガラヘビやピューマもいる。気温は40度を超え、のどがカラカラになった。


米側のアリゾナ州南部を管轄するピマ郡検視局長グレゴリー・ヘス(46)によると、移民とみられる遺体は90年代は年に十数体だったが、00年代から170体前後に増えた。今年も平年を上回るペースで見つかっている。「砂漠ではちょっとした誤算が死を招く」


それでも壁の向こうを目指す人が絶えない背景には、圧倒的な経済格差がある。米国の1人当たり国内総生産(GDP)はメキシコの約6倍。これまで3回強制送還された建設作業員フェルナンド・クルス(50)は「米国なら一日働けば120ドルもらえたが、メキシコはわずか5ドル。ばかばかしくてやっていられない」と話した。


危険度を増す越境に目をつけたのがマフィアだ。「コヨーテ」と呼ばれる案内人を自らの組織に囲い込み、移民からもらう「手引き料」をつり上げた。壁はマフィアの「利権」に組み込まれ、許可なく越えることすら困難になった。


支援施設で会った車塗装工アレハンドロ・バスケス(21)は、中米ホンジュラスから来た。コヨーテから国境の「通行料」だけで4万メキシコペソ(約25万円)を要求され、「払えないなら40キロの麻薬を背負って歩け」と迫られた。2週間前から大量に食べて脂肪分を蓄え、6?9人の運び手に3人のコヨーテが一組になって、6日間で80キロ以上歩く計画だった。「軍用装備で監視していて、勝手に壁を越えたら必ず見つけ出すと言うんだ。警備隊もマフィアもやることは同じだ」



(文中敬称略)


(「2003年 巨大官庁誕生」に続く)




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