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薬とカネ

[Part1]英国のオプジーボはなぜ安いのか

 

画期的な抗がん剤として、世界中で注目を集める「オプジーボ」。日本では年間3500万円に及ぶと試算された薬価の高さが問題となり、今年2月、一気に半額に引き下げられた。それでも、100ミリグラム約36万5000円と、高額であることに変わりはない。


これに対し、英国ではオプジーボの表示価格が日本の半額以下に抑えられている。なぜ、こうも安いのか。


からくりの裏側をのぞくと、オプジーボを製造販売する製薬企業と、その代金を支払う公的医療との熾烈(しれつ)な攻防が垣間見える。


「我々は限りある財源の中で、最善の医療を選ぶのが仕事。決して命に値段を付けているわけではない」。英国立医療技術評価機構(NICE)で、新薬の使用を推奨する審査を行う総責任者マインダート・ボイセンは、そう話す。


日本では臨床試験で効果が確認された新薬は、原則としてすべて公的医療での使用が認められる。だが、英国では薬効が確認されても、NICEの推奨がなければ事実上、公的医療では使えない。


その審査で何より重視されるのは「費用対効果」。高いカネを払うに足る効き目が十分あるかが問われる。そして、判断基準となるのが「QALY(質調整生存年)」と呼ばれる概念だ。



容赦ない値下げ要求

製造販売元である米製薬大手ブリストル・マイヤーズスクイブ(BMS)は、「1QALYあたり5万ポンド(健康余命を1年延ばすのに必要な追加費用が約700万円)以内」というNICEの基準をクリアするため、すでに2回、オプジーボを日本の半分以下の表示価格から、さらに大幅値下げする提案をした。


だが、NICEは昨年10月の2度目の中間報告で、肺がん治療でのオプジーボ使用について「値下げを考慮しても、1QALYあたりの追加費用は7万3500ポンドで、推奨基準に満たない」との見解を示した。「効果の割には価格が高すぎて推薦できない」というわけだ。厳しい評価の背景には「患者の命に対し国が支払うカネは合理的な範囲内に限る」という乾いたリアリズムがある。


NICEの存在が薬の価格決定に与える影響は、極めて大きい。企業が自主的に決められるはずの表示価格さえ、NICEの費用対効果基準を意識して、低めに抑えられる。さらにNICEの実際の審査でも、費用対効果を厳しく査定され、大幅な値下げを迫られる。英国の医療経済コンサルタント、キース・トーリーは「薬の費用対効果に徹底的にこだわるからこそ、英国の公的医療は製薬会社に強気の価格交渉ができ、大幅に薬価を下げられる」と分析する。


パリの医療経済コンサルタント、モンデール・トウミも、「英国の値下げ交渉は容赦ない。ドイツの公的医療が要求する値下げ幅は5~10%、フランスは20~30%程度だが、英国は平気で50%以上のディスカウントを求めてくる」と話す。



コストの削減が過ぎると下がる治療成績


長引く審査の影響で、英国(イングランドとウェールズ)の肺がん患者の大半は、いまだにオプジーボを使えない。日本ではすでに2015年12月から使用が始まっている。


「NICEの判断が遅れればその分、オプジーボで延命できたかもしれない患者が亡くなっていく」。慈善団体「ロイ・キャッスル肺がん財団」のロレイン・ダラスは患者利益の代表として、NICEの委員会でそう訴えてきた。だが、自らの発言力の限界についてこうも話す。「私たちは会議室の中で最も重要なメンバーではありません」


NICEのボイセンも「我々の役割は、企業と公的医療との交渉を助けること」とし、委員会が実質的に両者の駆け引きの場となっていることを隠さない。


英国の公的医療が薬価にこだわる背景には、財源の問題がある。企業や個人の支払う社会保険料を主な財源とする日本やドイツに対し、英国では大半が税金だ。医療費は国家予算で決められ、総枠の厳守が求められる。患者利益代表のダラスさえ、「抗がん剤の費用が膨らみ過ぎれば、他の病気の患者に回せるお金が減る。バランスが大事」と話すほどだ。



オプジーボを巡るNICEの審査は、早ければ9月中にも最終判断が下される。NICEは現在、BMSに対し、オプジーボの使用を「薬の効果が特に見込めそうな一部の患者」に限定することを提案している。その分、薬の費用対効果が高まるからだ。


「新薬の使用を認める決断を遅らせ、企業に薬価を下げさせ、さらに対象患者数を絞る。そのいずれもが、公的医療費の節約につながる」と、トウミは言う。


「QALY」を武器に薬剤費の抑制を目指す英国のやり方が、公的医療費の伸びを抑え、持続可能性を高めることは確かだろう。日本でもQALYを薬価に反映させる取り組みが始まりつつある。


だが、そこには代償もある。7月中旬、英国製薬企業の業界団体ABPIは「主要な10種類のがんのうち9種類で、英国の患者生存率は欧州平均を下回る」「英国の国民1人あたりのがん治療費は欧州平均の4分の3に過ぎない」という調査結果を公表した。英国のがん治療成績の悪さは、医療関係者の多くが認めるところだ。ABPIの広報責任者リチャード・トーベットはこう指摘する。「製薬会社にとって、英国の公的医療は確かにてごわい交渉相手だ。しかし、コストの削減が過ぎると、多くの患者が必要とする薬を使えず、治療成績も下がる。これらはコインの表と裏の関係なのだから」



(太田啓之)

(文中敬称略)

「日本の公的医療保険の課題」に続く)





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