両手で物事をこなす──。多くの人にとっては当たり前のことだろうが、先天的に右手の手首から先がない私にとっては夢のような話だ。例えばひもを結ぶこと、雨の時に傘を持って電車のつり革につかまること。いずれも私には大変難しい。
46歳になったこの年まで、本物の手に似せた「装飾用義手」を右前腕にはめてきた。親に命じられたわけではないが、自然とそうなって「右腕を隠す」ことが当たり前だった。腕の先端部分を包み込むかたちだから、夏場は汗だくだ。かといって、義手をはめずに外出することは考えられなかった。
義手は使っているうちに亀裂が入って表面が破れてしまい、少なくとも数年に一度は作り替えか修理が必要だ。自己負担額が10万円を超すこともざらだ。
今年の初め、友人が「3Dプリンターを使って自分で作ればすごく安くできる。しかも、残っている腕の筋肉の動きを読み取って手を動かせるらしい」と教えてくれた。実は、「筋電義手」の存在をこのとき初めて知った。
障害者問題を技術革新の観点で考えることに新しさを感じた。ましてや、2020年には東京でパラリンピックがある。そこに向けて、障害者自らが必要なアイテムを作り出してもいいじゃないか。高揚した気持ちでこの取材を同僚たちと始めてみると、技術革新は介護や産業の現場にも波及し、障害者だけではなく多くの人の日常をも変えつつあると感じた。
JR秋葉原駅前にある高層ビルの12階に、ベンチャー企業「exiii(イクシー)」の事務所兼作業場はある。イクシーは低価格の筋電義手の普及を目指し、製作手順も公開している。3Dプリンターがあれば誰でも自由に製品を作ることができる仕組みだ。
この春、イクシーを訪ねた。パナソニック出身で最高技術責任者の山浦博志(30)は、「自分で筋電義手を作りたい」という私の申し出に戸惑った様子だった。片手のない障害者が一人で作ることまでは、現実問題として考えていなかったようだ。
「はんだ付けやねじ回しなど、両手先が必要な場面もありますが……」と言葉を濁す山浦。しかし、だれかが作ってくれるのを待っていたら、せっかくの新たなツールもなかなか手に入らない。だから自分の手で作りたいのだと訴えた。
山浦は、「障害者の方が自ら作ってくれることが何よりです。私たちは、ユーザー自らが作ることで自分に合った義肢装具ができることを目指しています」と協力を快諾してくれた。
「かっこいい」という反応が
本格作業に乗り出したのは夏からだ。8月13日、イクシーがネット上に公開しているリストをもとに、小さなネジやスイッチなどの部品発注から始めた。加えて、本体パーツの3Dプリンター出力を依頼した。あとで色を塗ったり、デザインを施したりしやすいと言われて、本体の色は白にした。この出力で約3万5千円、送料込みで部品代約2万円、はんだごてなどの工具約5千円、完成後の装着時に腕に固定するサポーターが約5千円で、計約6万5千円が総費用だ。
9月になって集中的に製作した。その過程の詳細については別稿を参照していただきたいが、想像以上に大変だった。
完成品は、思ったよりも大きい。しかも、白色が目立つ。普段使っている装飾用義手の肌色を見慣れているからか。恐る恐る「つかむ」動きを試してみると、筋電を検知してモーターが動き、ぎこちないながらも手のひらを結んで開くことができた。
親指と人さし指で物をつまめる。中指と薬指、小指は人さし指と連動して動く。ノートや手帳もつまめて、安定性はまだまだだが、取材用のメモ帳を手全体でつかんだ状態で文字も書けた。
ペットボトルを握ってふたを開けられたのはうれしかった。わきの下かひじに挟んで開けるのは不便だったからだ。娘や友人らと握手しまくった。怖がられたり驚かれたりするだけかと思ったら、「かっこいい」という反応が多かった。
相棒をいろんなところに連れ出したい
山浦は「医療機器としてではなく、日常生活でやりにくいことを補うという福祉機器としての使われ方を想定しています」という。データを公開したのは、大量生産できる能力がイクシーに備わっていないからでもある。現状では前腕部分の欠損だけしか対応できないことや、耐用年数が想定されていないことなど課題も残るが、自分で作る楽しさがあるのも特徴と言える。
こうして、長年装着してきた装飾用義手以外に、選択肢が広がったことは素直にうれしい。だが、どう使いこなすかという難しい課題を前に、戸惑いがあるのも事実だ。市販化されているものを購入したわけではないから、トラブルが起きてもイクシーになんら責任はない。だから、どういう場面なら確実に使えるのかを、利用者である私が常に自己責任で判断しなければならない。
機械だからたまにフリーズしてしまうこともある。取材のような失敗が許されない場面でそうなってしまったらどうなるのか。いろんなことを考えてしまう。
でも、そんなことも含めて、実際に使っていかなければ普及しないだろう。少しずつ、この新たな相棒をいろんなところに連れ出して、障害者にも健常者にも見てもらいたいと思っている。ひとまずの目標を、「ひもを結ぶこと」に置きたい。
部品がそろった9月3日、秋葉原で組み立てを始めた。まず、プラモデルの組み立てと同じように枠を外す。片手で部品を固定するのが難しく、机の上にハンカチを置いて滑り止めにした。翌4日にはさらに細かい「指」の組み立てに取りかかる。手順の映像を見ながらなんとか仕上げたが、途中手順を間違え、部品を折ってしまうこともあった。
9月8日。筋電義手の心臓部と言える基板づくりに入った。約10センチ四方、厚さ数ミリの大きさのプラスチック板に、マイクロコンピューターや回路をはんだ付けして仕上げる。回路は直径数ミリの細さ。ピンセットを使いながら、一日がかりで作った。
9月9日。朝から動作確認をするが動かない。スイッチがケースにひっかかったり、付けたはずのはんだが浮き上がったり。トラブルが続出したが、夜になってようやく完成した。山浦が「障害者が自ら筋電義手をつくった世界初の事例だと思いますよ」とねぎらってくれた。
(岩堀滋)
日本国内では、2000年代に入ってから我々が初めて子どもに筋電義手を装着した。筋電義手が知られるようになったのはここ3~4年ではないか。医師も長年「片手で何でも出来る」という考えでしかなかった。前例にならって装飾用義手の装着を勧めてきたのが実情だ。
我々の病院では、大人と子どもを合わせて約160人が筋電義手を装着した。うち70~80人は今も定期的に外来診察に来る。操作が難しく精度を保つのも大変で、筋電義手は作ってからも継続して対応することが重要だ。中には使うのを断念してしまう人もいるが、幼少時から装着すればその比率も減るはずだ。
筋電義手を入手して装着すればすぐ動かせるようになると誤解する例もあるようだ。大人でも8週間入院して毎日訓練し、退院後も定期的に通院して思うように動かせるまで2年はかかる。訓練ができる病院も全国で限られる。訓練で使う筋電義手の費用も病院で負担している。
なるべく障害者の負担を減らしたいので、国産の筋電義手の開発を進めている。プロトタイプを年内に完成させ、2年以内に市販化したい。目標は、現状で最安値でも150万円とされる費用を50万円以下にすることだ。軽さ、見た目の良さ、つかむものの形状に合わせた人間らしい手の動きにしたい。
(聞き手・岩堀滋)
ちん・たかあき 兵庫県立リハビリテーション中央病院・ロボットリハビリテーションセンター長。55歳。
黒とグレーの武骨な「手」が、小指から順になめらかに閉じてリンゴの模型をつかんだ。米国ニューヨーク州ロチェスターに住む大学生ペレグリン・ホーソン(20)は、生まれつき左手の指がない。高いもので一つ数万ドル(数百万円)もする義手は、自分には無縁だと考えて育った。
そんな彼が今、「自作」の義手をつけて毎日の生活を送っている。「スターバックスに行ったとき、友達の分もカップを持てるようになった」と喜ぶ。
ホーソンの義手は、プラスチックの部品を3Dプリンターで「印刷」し、指の部分を太い釣り糸のようなナイロン製のケーブルでつないでいる。手首を内側に曲げれば、義手の指が閉じて物をつかめる。筋電義手と違ってモーターがない分、材料費は安く、20ドル(約2400円)以下で作れる。
この義手の原型は南アフリカの大工リチャード・バンアズが開発し、インターネットで動画が公開された。動画を見たロチェスター工科大の研究員、ジョン・シュールは「これは世界に拡散できる」と感じ、非営利団体「e-NABLE(イーネイブル)」を設立。義手を必要としている人と、3Dプリンターを持っていて義手づくりに協力してくれるボランティアをウェブサイトで募った。大学近くに住むホーソンは協力を申し出て、義手の改良と製作に携わる。「この手は僕の体の一部でもあるし、同時に、未完成の作品でもある。自分の体の一部を自分でデザインして、改良できる。こんなにクールな(かっこいい)ものはない」とホーソンは言う。
「自転車が乗れるようになった」
e-NABLEは立ち上げから2年で世界60カ国の6200人がボランティアとして登録。材料費はボランティアが負担し、計800人に義手を贈った。
主なターゲットは子どもだ。子どもはすぐに成長してサイズが合わなくなるため、高価な義手を買い続けるのは難しい。e-NABLEの義手は安く、壊れても部品の取り換えが簡単。プラスチック製なので汚れても洗えばいい。シュールのもとには子どもたちから「自転車に乗れるようになった」といった喜びの声が届く。
一方で課題もある。この義手を使うことで成長期の子どもの手にどんな影響があるのか、確かなことは分からない。義手をつけて自転車に乗って事故が起きたときの責任問題も生じかねない。保護者には「実験段階のもの」と伝えて義手を提供しているものの、不安は尽きない。
それでも、シュールは意義を強調する。「製作技術を公開し、安価な義手を世界中に届ける。テクノロジーの民主化だ」
南アの大工バンアズの動画は、紛争地の子どもたちにも義手を届ける契機となった。
米カリフォルニア州の起業家ミック・エベリングは、スーダンの紛争で爆撃に遭って腕を失った当時14歳の少年ダニエルを紹介した記事が気になっていた。バンアズの動画を見たエベリングは、これだけシンプルで、安価な義手なら自分で作ってプレゼントできると思い立った。
インテルなどの大手企業に計画をプレゼンし、支援を引き出したエベリングは、2013年秋、南アのヨハネスブルクを訪ねてバンアズから義手の作り方を教わった。その足でダニエルの暮らす難民キャンプにノートパソコンと3Dプリンターを持ち込み、左手につける義手をプレゼントした。3Dプリンターは診療所に設置し、数日かけて地元の若者らに使い方を伝授してから帰国した。現地の医師と連絡を取り続けているというエベリングは、最新型の3Dプリンターと、より手軽に組み立てられる義手の作り方を携えて、年末にも難民キャンプへの再訪を計画している。
機械の助けを借りるのは、手や足に障害のある人だけに限らない。体の動きを機械で後押しする「アシストスーツ」の開発が盛んだ。
宮原邦浩(47)は2013年秋、交通事故で頸椎(けいつい)を損傷し、首から下がまひした。自分は自転車、相手はオートバイ。どんな事故だったか記憶はない。気がつくと病院にいて、「二度と歩けないだろう」と医師に言われた。
そんな彼が、機械の力を借りて、少しずつだが歩くことを思い出しつつある。
今年8月、宮原は「湘南ロボケアセンター」(神奈川県藤沢市)にいた。週に2、3回、ここでロボットスーツ「HAL(ハル)」を使ったリハビリをしている。腰回りと両脚の外側にHALの白い機体を装着した宮原は、両手で歩行器につかまって体を支えながら、ゆっくりとだが一歩ずつ前へ、歩いた。
人が体を動かそうとすると、脳から出た電気信号が神経を伝わって筋肉に届く。だが、頸椎などを損傷すると、電気信号がうまく筋肉に届かない。筑波大教授の山海(さんかい)嘉之が開発したHALは、筋肉へ届くはずの電気信号を皮膚に貼ったセンサーで読み取り、その信号をもとにモーターを動かして、体の動きを後押しする。
まひを改善する効果
「最初はロボットに体の動きを任せていたが、徐々に自分の体に力が入るようになってきた」と宮原は手応えを語る。
ドイツでは13年、HALを使って歩く練習を繰り返すことで脳と神経と筋肉のつながりが修復され、下半身のまひを改善する効果があると認められ、HALに医療機器としての公的労災保険が適用されるようになった。リハビリ60回分にあたる使用料約420万円が保険で全額まかなわれる。日本と米国でも医療機器としての承認を申請中だ。
山海はさらに、腰だけをサポートするHALを開発した。介護や建設現場などで働く人が装着し、腰にかかる負担を肩代わりするものだ。建設大手の大林組などがすでに導入した。介護される側を治療し、介護する側の負担も減らすことで、山海は「重介護ゼロ社会」の実現を目指す。
アシストスーツの開発は、ほかにもいくつかの企業や大学で進められている。和歌山大の特任教授、八木栄一が取り組むのは農作業用のスーツ「リベロ」。2010年度から農林水産省の補助を受けて開発を進めている。
電動アシスト自転車のように普及させたい
HALのような高度なセンサーはないが、手袋と靴のつま先とかかと部分に仕込んだスイッチで人の動きを感知する。腰の両側にあるモーターの力が胸やももに着けた幅広のベルトに伝わり、重さ20キロの物を10キロの負担で持てる。農作業で多い中腰の姿勢を支える機能もある。青森のリンゴ農家や大分のシイタケ農家など全国13県で検証に取り組み、来秋には1台100万円で市販する予定。「目指すのは高級車ではなく大衆車。量産すれば価格は下がる。電動アシスト自転車のように広く普及させたい」と八木は意気込む。
検証に協力する和歌山県有田川町のみかん農家、小沢守史(43)は、腰にリベロを装着すると、肥料の入った重さ20キロを超えるケースを持ち上げ、段々畑を駆け上がった。「これ、めっちゃ楽やん。普通のお年寄りが登山するときにも使えそう」と小沢。
足腰の弱ったお年寄りが、機械の力を借りてさっそうと街を歩く。そんな未来は遠くないかもしれない。
(左古将規)
(文中敬称略)