アンゲラ・メルケルは2005年以来ドイツ首相を務めている。9月24日に連邦議会選挙があるが、いっこうに盛り上がらないのは、彼女が勝つに決まっているからだ。経済紙記者のフィリップ・プリッケルトがまとめた『Merkel(メルケル)』では、彼女と同じ保守党に近い22人の学者や文筆家が12年間のこれまでの政治を批判・総括。彼女の政治スタイルについての寄稿は面白い。
メルケル首相は物理学者だったことから冷静で分析的で「結末から考える」人だと思われている。まずは望ましい「結果」を想定し、そこから遡ってその時々に適切な決断を下すということだが、本当のメルケルはその正反対という。
一度は前政権が歩んでいた脱原発の道から逸脱して稼働期間を延長したが、その直後に日本で原発事故があると、脱原発に回帰した。ユーロ危機でも共通通貨導入時の本来の姿に戻そうとするのか、新しい在り方を目指すのか、「結末」がはっきりしないままメルケルは流されているだけ。2年前の「難民歓迎」も「結末」の姿も考えず、それ以来ドイツは隣国にそっぽを向かれたままだ。
政治家としてデビューした頃、彼女はどんな信念をもっているのか得体が知れないといわれた。これは、共産党独裁の東独で育ったため、個人のイデオロギーを目立たせない習慣が身に染みついているからだと説明される。彼女が統一後に学んだのは、「人気があり多くの票を集めることこそ、政治権力の源泉」という教訓だ。政治の内容自体はメルケル首相にとって二次的で、有権者の支持を得るためであれば、社民党や緑の党の政策もどんどん取り入れていく。
こうなると、これらの政党もメルケル批判を展開できない。ある寄稿者は、「メルケルが党首のキリスト教民主同盟は、他の党と区別できなくなり、彼女の後援会に成り下がった」と憤慨する。だが、野党に有力な首相候補者がいない以上、選挙民も「メルケルさん以外に誰も思い浮かばない」現状になる。
こうして野党も影が薄くなり、一極集中によってメディアも弱腰で迎合的になり、以前あった政策論争もなくなってしまった。メルケル政権12年間でドイツの政治の在り方も変わったようだ。
シュピーゲル紙のベストセラーリストを見ると6位にロルフ・ペーター・ジーフェアレの『Finis Germania(フィニス・ゲルマニア ドイツよ、お前は没落する』というラテン語タイトルの本がある。
縁起の悪い題名の本が登場したと驚いていると、翌週から本書はリストから姿を消した。調べてみると、シュピーゲル紙が本書の反ユダヤ主義的内容を理由に、リストから外してしまったことが判明。これは前代未聞で、この処置の是非を巡って論議が起きている。
本書の著者ジーフェアレは環境破壊とその根底にある思想を歴史的に跡づけた著名な歴史家で、ドイツやスイスの大学教授を歴任。昨年亡くなった。「ドイツよ、お前は没落する」は104ページの哲学的評論で、「アウシュビッツ」観や「過去の克服」をテーマにする。
本書を反ユダヤ主義的だとする人々は、本文中に「アウシュビッツは神話だ」という一節を見つけ、刑法違反の「アウシュビッツの否認」に近づくとする。一方で、著者がいう「神話」とは、ユダヤ人虐殺の事実を否認するのでなく、それをいかに受容するかを論じているに過ぎないと、弁護する人もいた。
NYタイムズのクリストファー・コールドウェル記者は、本書を読んで「反ユダヤ主義的でない」とするだけでなく、著者の交友関係まで調べて、そんな人でなかったと判定した。だが、外国人のこのような主張は、国内で論争を続ける人々にとっては重要ではないようだ。
ベストセラーのリストから除かれたため、本書がその後、どのくらい売れたかわからない。アマゾンのリストではしばらく1位で、1時間に250冊のペースで売れたそうだ。
本書は哲学的で地味な本である。ドイツ社会の右傾化を警告するのが目的であったのに、逆の視点から受け止められてしまったのは皮肉だ。
『Heilen mit der Kraft der Natur(自然の力で治療する)』の著者の アンドレアス・ミヒャルゼンは3代目の医者だ。但しおじいさんもお父さんもドイツではクナイプ療法とよばれる水治療の医者で、3代目も自然療法の熱烈な実践者。同時にフンボルト大学シャリテ病院の研究者でもある。
著者によると、近代医学は伝染病や事故などの救急ケースや手術に関しては実力を発揮する。でも今私たちの多くが患う生活習慣病やがんなどの病気に対しては効果が限定されているそうだ。ヒルに吸血させて関節症の痛みを除去したり、瀉血(しゃけつ)と称して血液を排出させたりする療法は、現代医学からみれば噴飯ものだろう。しかし、これらの治療法を小説の中で知るだけだった私には、おもしろかった。
ドイツのベストセラー(ノンフィクション部門)
7月15日付Der Spiegel紙より
※ 『』内の書名は邦題(出版社)
1. Heilen mit der Kraft der Natur
Andreas Michalsen アンドレアス・ミヒャルゼン
ベルリン・シャリテ病院教授が語る自然療法の理論と実践。
2. Wunder wirken Wunder
Eckart von Hirschhausen エッカルト・フォン・ヒルシュハウゼン
医者の著者が「病は気から」の微妙な世界をユーモラスに扱う。
3. Das geheime Leben der Bäume
『樹木たちの知られざる世界』(早川書房)
Peter Wohlleben ペーター・ヴォールレーベン
自然林を理想とする著者が生きている樹木について語る。
4. Homo Deus
Yuval Noah Harari ユヴァル・ノア・ハラリ
イスラエルの歴史学者・ベストセラー「サピエンス全史」の続編。
5. Alexander von Humboldt und die Erfindung der Natur
Andrea Wulf アンドレア・ヴルフ
探検家、地理学者のアレクサンダー・フォン・フンボルトの伝記。
6. Finis Germania
Rolf Peter Sieferle ロルフ・ペーター・ジーフェアレ
メディアで袋叩きにあった独歴史家の「過去の克服」論。
7. Penguin Bloom
Cameron Bloom&Bradley Trevor Greive キャメロン・ブルーム、ブラッドレー・トレバー・グライブ
悲劇的事故で崩壊寸前の家族を救ってくれた小さな鳥。
8. Wer wir waren
Roger Willemsen ローガー・ヴィレムゼン
未来の世代の目に映る私たち。昨年早死にした著作家の遺著。
9. Merkel
Philip Plickert フィリップ・プリッケルト
四期目目前にするメルケル首相の政治を批判的に総括。
10. Keine Zeit für Arschlöcher
Horst Lichter ホルスト・リヒター
テレビ料理番組シェフの自伝で、人生論を展開する。