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映画で描かれる韓国の近現代史のファクトとフィクション 崔盛旭さんインタビュー 

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黒縁メガネ、グレーのジャケット、黒のTシャツを着た男性が正面を向いて立っている。バストショット
崔盛旭さん=松本敏之撮影

きっかけは『タクシー運転手』と「光州」

――韓国映画と韓国の近現代史というテーマでコラムを書きはじめたのはどのようなきっかけだったのでしょうか。

2018年に「光州事件」を扱った『タクシー運転手~約束は海を越えて~』が日本で公開されたときに、知人から背景について解説してもらえないかと依頼されたのです。それで上映会でトークを何度かしました。

そのうちにCyzo Womanというメディアの編集者の方から声をかけられました。『タクシー運転手』の後にも『1987、ある戦いの真実』など、歴史を扱った作品が次々と公開されたので、その背景を1本ずつ解説する連載を2019年から3、4年続けました。本の大半はその連載が元になっています。その後GLOBE+で、不定期ですが書いています。

――連載への反響はどうでしたか?

「内容が重すぎる」と言われたことはあります(笑)。ただ『タクシー運転手』なら、「光州事件」が韓国ではどういう文脈を持っていて、それについて国民がどう思っているのかということ、映画プラスアルファの部分を書いたら、そこが面白いと思ってもらえたようです。

『タクシー運転手』は、主人公のマンソクの設定以外は9割実話です。解説をして、これがほぼ実話だと知ると、日本の観客の方たちは「こういうことがあったのか」と新鮮に感じてくれるようです。SNSで「同じ時代に自分はのんきに生きていたのに、すぐ隣の国でこんな大変なことがあったのか」と書いていた人もいました。

――元々ご専門は韓国映画ではなかったんですよね。

はい、私がもともと研究していたのは、日本映画のなかで描かれる朝鮮半島や「在日」についてで、韓国映画ではないんです。博士論文のテーマだった「今井正」という監督は、韓国では「軍国主義者」と批判の対象になっていますが、私は彼の本心は別のところにあったのではないかという視点から研究に取り組みました。

そんな風に、日韓の間で固定化してしまった見方や評価に対して本当にそうなのか?という疑問を常に感じてきたので、日本映画であれ韓国映画であれ、別の捉え方を提示したいという気持ちは一貫している気がします。

なのでコラムを書きながら改めて歴史を調べたり勉強したりしながら書いています。自分自身新たな発見もありますね。

崔盛旭さん=松本敏之撮影

「反日・反共・反米」の複雑さとその変化

――韓国の歴史を理解するキーワードとして「3反=反日・反共・反米」を挙げています。植民地の歴史からの「反日」、分断と朝鮮戦争で決定的になった「反共」と、アメリカへの反発としての「反米」です。

このうち「反日」「反共」は韓国では中学・高校の歴史教育などで教わるものです。一方「反米」は少し違います。私が高校まで習ったのは逆に「親米」でした。

大学に入った時、先輩から「これまで習ってきた歴史をひっくり返してやる」と言われました。私も高校生のときまでは光州事件について「北にあおられたアカたちの反乱」だという当時の政府の公式な見解を信じていました。大学のサークル活動などを通じて、光州のことや李承晩、朴正熙、全斗煥の歴代元大統領たちの何がダメなのかということを先輩たちから教わりました。

「光州事件」の背後にアメリカがいた、少なくとも全斗煥氏が軍を動かすのをアメリカは黙認したということから、1980年代以降、軍事政権を倒すことと同時に「ヤンキーゴーホーム」が大学のキャンパスで叫ばれるようになり、民主化運動につながりました。

――そのような変化が映画でも見て取れるんですね。

『タクシー運転手』でもソン・ガンホさん演じるマンソクが変わっていきます。最初は軍事政権の言うことを信じていたけれど、光州を見て変わっていきます。その様子が、光州以外の韓国人たちの経験や、彼らへの罪悪感とシンクロしてヒットになりました。

――「反日」についてはどうですか。日本人が「韓国は反日だ」と言うのと、意味合いが違う気がするのですが。

韓国における「反日」は単純なものではないんです。

韓国の歴史を習うと、自然に「反日」になります。朝鮮半島は日本に植民地にされて搾取された側なので、そうやって「反日」は歴史教育のなかで学ぶんですが、学校の外に出れば、みんな日本のアニメや映画や音楽が大好きなんですよね。そういうギャップがあります。

そして韓国の「反日」のなかには「知日」や「克日」という意味も含まれている。二重性を持つ言葉なんです。うわべだけで「反日」だと思うと誤解しやすい。

――その「反日」的な要素、映画で描かれる植民地時代や日本の描かれ方も変わっていますか。

すごく変わりましたね。かつて学校から見に行く映画は、安重根など抗日運動や、独立運動家の活躍を描いたものだった。でも、そういうものを散々見せられると飽きてしまうし、違うものが見たいと観客の欲求が変わってきます。

それで、これまで知られていなかった人や歴史上の出来事を発掘するような映画が出てきます。本で取り上げた『金子文子と朴烈(パクヨル)』もその一つです。

朴烈のことは学校では教えてくれなかった。なぜなら彼はその後北朝鮮に行きましたので、「反共」の立場からするとそれだけでアウトなんです。でも民主化して、「それはそれ、これはこれ」と分けて考えられるようになり、映画になったんです。

日本人の描き方も、昔は北朝鮮と同じように「悪」の塊というか。いまも植民地時代を背景にした映画では「悪役」ではありますが、多様なキャラクターを持つようになっています。

「ファクション」に見る歴史への欲望

――韓国映画は、歴史や現実の出来事を取り上げている作品がとても多い印象があります。

どういうジャンルであれ、それが何らかの現実とつながっているものが喜ばれるんです。韓国映画の一番の特徴だと思います。

植民地時代、日本から映画が入ってきましたが、その当時からプロパガンダであろうが何らかの朝鮮半島の現実を反映した作品がたくさんあり、いまでも受け継がれていると思います。

ただ、軍事政権が抑圧してきた問題、各地で起きた虐殺などについてはいまだに真相が分かっていないために映画化が難しいものがあります。

そんななかですごいと思ったのが、「済州島4.3事件」をテーマにした『チスル』という映画です。この映画では済州島出身の監督が、ずっとタブーだったこの事件を取り上げています。

私が生まれた頃は朴正熙、小学生のころは全斗煥政権で、その後に盧泰愚政権でしたから、ずっと軍事政権でした。そのせいで私自身、長らく「4.3」といえば「怖い『アカ』の暴動」のイメージしかありませんでした。それをこの映画では島民からの視点に徹底して、理不尽に虐殺されていく様子を描いています。

メガネをかけた男性のアップ写真
崔盛旭さん=松本敏之撮影

――韓国映画にはファクト(fact)とフィクション(fiction)を合わせた「ファクション」というジャンルがあるとしています。

なぜ「ファクト」に「フィクション」が必要だったか、それを見れば韓国人の歴史に対する欲望が見えると思います。

『密偵』という映画では、映画の終盤、朝鮮の独立運動家たちが日帝のパーティーを爆破するというシーンがありますが、そんな史実はなかった。これは「あって欲しかった歴史」です。

それを知らずに見ると、当時の京城(現ソウル)で、そんなことができたのかと思ってしまう。日本軍の支配が強くてそんなことはできなかったし、抗日運動のなかで爆弾事件はあっても、ほとんどが失敗しています。

だから、歴史的事実と映画は区別して見ることが大事です。うのみにすると危険です。私は国が主導した教育を受けて「だまされていたな」と、日本に来て気付いたことがたくさんあるので、映画が描いてないところ、排除されているもの、画面の外にあることを説明するように心がけています。

映画は映画として楽しみ、歴史はそれとは別に知って欲しいですから。

強固な上下関係と「儒教」 自らの体験も

――歴史的な出来事だけでなく、映画を通じて描かれる韓国の社会問題も取り上げています。

『はちどり』という映画では、主人公の少女には姉と兄がいますが、男である兄ばかりがちやほやされる。兄が妹を鼓膜がやぶれるほど殴るんですが、それを親はきょうだいげんかぐらいにしか思っていない。暴力とは考えていない状況が描かれています。

私にも姉と妹がいて、主人公の家族と同じきょうだい構成なんです。子ども全員が大学に行くと大変だからと、姉と妹は最初から諦めていました。そんな自分の家族を思い出しました。

儒教的価値観が強く、男女の間だけではなく、男性同士でも上下関係が絶対で、上には口答えもできない。女性もそういう構造を内面化し、加担してしまっている状況があります。私自身それを当然のように思ってきたので、韓国にずっといたら気がつかなかったかも知れません。日本に来て中学生が先生にタメ口で話すのを聞いて、カルチャーショックを受けましたから(笑)。

韓国社会のセクハラ、パワハラについては、最近特に女性監督が撮った映画を見るとよく伝わって来ます。民主化以降、女性監督の作品が本当に増えました。抑圧が激しいから、それへの抵抗の力も強い。これも「ダイナミック・コリア」の一側面です。

――同じ東アジアで価値観も含め共通する部分も多い日韓ですが、映画から見る日本との違いは何でしょう。

韓国映画は、歴史的な事件や社会問題を取り扱うときに迷いがないんです。「これ、まずいんじゃないか」っていう自己検閲がないと感じます。

まずは思った通りに作品を作って出してみる。そしてそれが議論や論争になることがあっても、制作者たちにはそれも含めて良いことだという意識があると思います。

それは、民主化される前に長くそのような表現を抑圧されてきて、いまは自由になったから。本当に検閲をされてきた経験があるからとも言えます。

日本だと、社会的な問題を扱う作品には俳優のキャスティングがしにくいという話も聞きます。「自己検閲」ですよね。日本社会では少なくとも戦後、韓国であったような形での検閲はなかったのに、なぜだろうと思います。

男性の写真
崔盛旭さん=松本敏之撮影

独裁から民主化まで…韓国を知る入り口に

――本のサブタイトルにもありますが、韓国の影の部分も知ることになりますね。

韓国の近現代史には影の部分が本当に多いですが、その独裁時代から民主化までの流れを、ほぼ映画で辿ることができるんです。

『キングメーカー 大統領をつくった男』『KCIA 南山の部長たち』『タクシー運転手』『1987』…。さらに全斗煥氏のクーデターがどう起きたかを描いた『ソウルの春』も、日本での公開を夏に控えています。今後もこのような歴史的な事件を扱ったり、埋もれていた歴史を描く映画はまだまだ製作されると思います。

日本の方にはまずは映画はエンターテインメントなので、娯楽として楽しんで欲しいですよね。映画が韓国を知るきっかけとして良いのはとにかく難しくないこと。入り口としてこれほど良い物はないと思います。

そこで何か気になったことがあれば、この本が役立つと思います。実際にどんなことがあったかを知って、もう一度映画を見るとさらに興味深いと思います。この本は最初から読んでも、見た映画の部分からでも読めるようになっています。ぜひ手引きとして利用して欲しいと思います。

松本敏之撮影