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アメリカの移民たちが安らぐ、秘密のカラオケ 

ニューヨークタイムズ・マガジンから 更新日: 公開日:
Bráulio Amado/The New York Times

Karaoke at Home

子どもの頃の私には、根拠もなく「運命」だと思い込み、心配していたことがあった。 「ひょんなことから、世界的なポップスターになってしまったら?」

当時の日記には、妄想に基づいた心配事がびっしり並んでいる。「早く引退してしまったら、2000万人のファンから私の歌声を奪うことになる」「私の歌声に世界平和がかかっていたら、どうすればいい」……。振り返ると、この強迫観念は、両親の不安が高じて生まれたものだったのだろう。アメリカン・カルチャーというブラックホールに、娘がさらわれやしないだろうか、というような。

ニューヨークのクイーンズ区に住んでいた頃は、同じ中国系移民としか交流はなかった。中国系でない子どもとは、学校の外で許可なく接点をもつことを禁じられていたからだ。週末はいつも、家族ぐるみの友人宅で開かれるパーティーに出かけた。大人たちは吐くまで飲み、そして、カラオケ・マシンをオンにした。 アメリカ人はバーに行って他の客を前にカラオケを披露するが、アジア系アメリカ人はカラオケを歌うのに個室を借りたり、自宅に一通りの設備を揃えたりする。

酔っぱらっていようが、しらふだろうが、大人たちはマシンのまわりに集まって何時間も歌った。往年の名曲や共産主義をたたえる歌、そして、テレサ・テンに次ぐテレサ・テン……。 私は、マイクを向けられるたびに、世界中のファンに向かって歌う自分を夢想しては硬くなった。どうせ、マシンには英語の曲なんて入っていなかったのに。

カラオケは、わが家の抱える幸せな秘密だった。アメリカに来たばかりの多くの移民と同じように、私の両親も貧困と孤独に苦しんでいた。それでも、二人には家族があり、その中では、翻訳しようがない親密な言葉の数々が交わされていた。そして、歌があった。 

外に一歩出れば私たちは皆同じ、平たい顔をした「誰でもない人」だった。でも、家の中では、両親や他の大人たちが、気楽で、自由で、にぎやかに振る舞う姿を、私は見てきた。 だが、中学1年生の途中に、ロングアイランドに転居すると、何もかもが変わっった。豊かな白人たちの住む地域に引っ越したことで、私がアメリカ的な個人主義や自己中心的な考えに染まるのではないかという過剰な心配から、両親は一層厳しく、娘に目を光らせるようになった。

学校では、私はもはや目立たない存在ではいられなくなり、人種を理由にいじめの標的にされた。学校ではのけ者にされ、家に帰れば締め付けられる。そんな私のもとにあったのが、カラオケだった。

その年、母親が上海から新しいマシンを持って帰ってきた。「英語の歌もあるのよ」。私にもわかる英語の曲は2曲あった。 無関心を装いつつも、翌日の帰宅後、家に誰もいないとわかると、私はマシンをオンにした。そして「4ノン・ブロンズ」の「ホワッツ・アップ?」という曲の歌詞を覚え始めた。

他の誰かの言葉を歌い上げるのは気持ちがよかった。やり場のない怒りから解き放たれ、充実感や、多幸感すら湧き上がってきた。 学校では悪口を聞かされているばかりの私が、家では壁を揺さぶるほどの声を響かせているのだ。少なくとも、両親が仕事から帰るまでの間だけは。 そして、今。中国の自宅用カラオケのスピーカー内蔵・スマホ連動型のポータブルマイクは一人で歌う魅力を、これまでにないほどに高めてくれている。

先週も世界への不安の高まりから、一人暮らしの窮屈なアパートで新しいピンクゴールドのマイクを唇にあてた。 「さみしくてさみしくて/私はひとりぼっちの運命/それでこそ私だ!」。マイクをもって歌うと、不意に私は孤独じゃないんだと思えた。 ずっと息をひそめ、人前で歌うことに憧れながらも人を恐れていたような自分は、もういない。私は自分に言い聞かせた。ご近所さんはみんな仕事中、誰も聞いてるわけがない。思う存分、声高らかに歌った。

「ホワッツ・ゴーイング・オン?」

(ジェニー・チャン、抄訳 菴原みなと)©2017 The New York Times

 

Jenny Zhang

ニューヨーク在住の詩人、ライター。8月に刊行された短編集『Sour Heart』(日本語未訳)でもアメリカでの移民生活を扱い、「ニューヨーカー」を始め同国内で話題に。

 

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