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「不当な政治介入を排除できる」 福田康夫元首相が語る「記録を残す意味」

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福田康夫元首相


――公文書に関心を持ったきっかけは

直接的なきっかけは、米国に国立公文書館(NARA)という大変立派なものがあるのを知ったことです。1980年代半ば、国会議員になる前、父(赳夫元首相)の秘書をしていた時だ。地元である群馬県の前橋市の学校が、終戦直後の航空写真が欲しいということで探していたが、なかなか見つからなかった。知り合いの新聞記者に頼んでNARAで調べてもらったら、「あるよ」と。それで米国に行ったときにNARAに寄って検索用カードで「MAEBASHI」を調べたら、数十枚の写真がすぐ出てきた。ワシントンDCに、日本の地方都市の、しかも戦争で焼かれた写真があるということにびっくりした。しかも、よく整理されていて誰もがアクセスできる。「あぁなるほど、さすがだな」と感心した。

正しい情報を入手することができるのは、民主主義の原点。入手できないと、国民は正しい判断ができない。結果、悪い判断によって悪い政治家が誕生してしまうことがある。日本では、NARAのように集中的に記録が保存されているところはどこになるかと考えたときに、あるにはあったけれど、とても小さくて大したことがなかった。それが、関心を持った一番最初だ。

その後、国会議員になり、官房長官になったときに研究会を作り、公文書管理制度の改善について研究を始めた。調べるほどに、日本の公文書館の施設がみすぼらしいだけでなく、体制、制度も整っていないことが分かってきた。その後、2007年に首相になったときに公文書管理法の法制化の作業をした。実際に法律が通ったのは、次の麻生内閣のときだ。

――管理法ができる前はどういう状況だったか

公文書の保存と管理についてルールがなかった。90年代後半の薬害エイズ問題では、当初廃棄したとされていた資料が次々と見つかった。なんと、職員のロッカーにあった。2000年代後半の年金記録問題もとんでもない話だった。政府だからと国民が安心して預けている、そのお金についての書類がないなどというのは話にならない。

外交文書では、首脳同士がちょっと腰掛けて通訳だけを交えて話す時もメモをとる。ところがその会談のメモがどこにあるか分からず、数十年たって、係争の元になることもある。

例えば法律も、制定されてから100年後にその趣旨や本質を確認するには、立法過程が残されていることが大事。憲法だって、「アメリカ人が作った憲法だ」「日本人が提案していたんだ」などいろんな話がある。もっと立法過程が明らかになっていれば、そんなつまらない議論をしなくても済む。国をあげての論争にならなくて済む。

――真実を示す資料が知られていないから、議論が起こるということか

そういうこと。声のでかいのに、だまされちゃうということだ。重要でないと思っていても100年後は重要になっているかもしれないから、その時々の個人的な判断はしちゃいけない。できるだけ多くのものを記録として残し、国民の求めに応じて容易に提示できるようにすべきだ。

――公文書管理法の第1条に、以下のようにある。「公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、(中略)もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする」

その精神。事実の集積が国家なんです。最近、明治維新について異論を唱えている人がいるように、時間がたつと歴史は分からなくなってくる。しかし、史実はこれなんだということがはっきりすれば、あまりいろんな拡大解釈はできなくなると思う。歴史的な事実を積み重ねていった結果日本国になるわけで、公文書館に行けばしっかりした事実があると、そういうところを持つことが日本にとっても必要。そうでないと、100年後、日本とは一体何だったのか、ずいぶんいい加減な国だったんじゃないか、となりかねない。

――公文書管理法に取り組んだときに難しかったことは

野党とも相談しながら進めたので意見が対立した、ということはなかった。一致して賛成していたと思う。官僚から反対があるかと思ったが、意外になかった。協力的だった。やましいことをしていれば別だが、メモは役人の立場を守るものでもある。まじめな役人であれば、彼らが後から何か言われたときに、説明をする大事な資料になる。だから、役人を守るためにやるんだと思う。

――後世に記録を残すという意識が官僚に根付いてきたと感じているか

もう少し理解が必要なんじゃないかなと。公文書なんて自分で適当にやればいいんだと思っている人もまだいる。だから公務員になったら、すぐ講義を受けて考え方を徹底させる必要がある。でも、あまり言い過ぎると、書類を作らなくなってしまう。自分たちは国民のためにいるんだと意識しないといけない。そうすれば、不当な政治の介入などを排除できる。「それはできない、記録に残りますよ」と一言言えばね、政治家だってむちゃなことは言わないですよ。そう考えれば、役人を守るためにあるんだと考えてもおかしくない。

――特定秘密保護法ができて、秘密指定をすればどんな資料があるかも分からなくなった。官僚にとってやりやすくなったのでは

秘密指定をしても、永久(非開示)なんてことはほとんどないと思う。いつか開示されて分かる。だから適当なことを言っても、いずれ分かるよ、恥をかくだけだよということ。

――東日本大震災の後、政府の原子力災害対策本部をはじめとする組織の会議の多くで議事録が作られていなかった

管理法は11年4月1日施行。震災は3月に起こったが、あと3週間で施行されるんだから、法律の趣旨にのっとってやっていないといけない。それなのにいい加減にやっていた。自分たちの混乱ぶりを記録として残したくないということでしょう。でも混乱があったのであれば、むしろその混乱ぶりを知ってもらったほうがいい。将来の参考になる。

――記録をきちんと残すことは、外国との関係で何を意味するか

日本は事実を積み重ねてきた国ということになれば、日本を信用しないといけなくなる。逆に都合の悪いものは隠しているんじゃないかと思われたらおしまいだ。日本は戦争が終わったときに軍部に都合の悪い資料は燃やしてしまったことがあるから、信用されていないところがあるんだろうと思う。名誉挽回するためには相当の年月、積み重ねが必要だ。でも、いま取り組んでいるようなやり方を続けていけば国際的な評価は、「日本は信用できる」と変わってくると思う。

村山(富市・当時の首相)談話にあった「平和友好交流計画」にもとづいて始まった「アジア歴史資料センター」は外国人からも評価が高い。「日本にとって不利な資料も出している」と。日本は正直な国なんだということが分かってもらえれば、政治家の交渉のときに役に立つ。センター以外にも、公文書のルールを守って、行政も資料を残していくようになれば、口だけではないと諸外国も分かるのではないか。将来の人が楽をできる。

――新しい公文書館の計画が検討されている。どんな施設を期待するか。

どこにどんな情報があるというインデックス機能があればよいと思うが、大変な作業。もっと大事なのは、現物を見ることができるかどうかということ。公文書館に行ったら、本当にあったという感動が教育上必要で、だから展示室を充実させる必要がある。日本でも、美術館や展覧会は人気がある。実物を見たい、という意欲はあると思う。政府がそれに応えていない、ということ。

日本は今まで経済大国だったが、これから少子高齢化でどんどん外国に追い抜かれていくだろう。あまり大きくない国になってしまう、それは仕方がない。大きくなくても、質の高い国を目指すべきなんです。

ふくだ・やすお

1936年生まれ。石油会社員から父・赳夫の秘書となり政治の道へ。2000年から04年まで官房長官を務め、07年から1年間、第91代首相に。外交に思い入れが強く、首相辞任後も政府の特使として世界各地を訪問した。現在、日中交流促進実行委員会の最高顧問。