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医者とカネ

逸見政孝さんを執刀した「ゴッドハンド」が最期に頼った医者

東京女子医大の林和彦がんセンター長インタビュー

現代医療における「理想のがん治療医」の条件とは何か。東京女子医大の林和彦がんセンター長(55)が、故・逸見政孝さんの手術も担当した恩師の羽生富士夫さんとの思い出を交えつつ、語ります。(聞き手・太田啓之)





東京女子医科大の林和彦がんセンター長


1986年に医師国家試験に合格し、東京女子医大消化器外科の医局に入って出会ったのが、「ゴッドハンド」と呼ばれた羽生富士夫教授でした。


声もでかけりゃ、態度もでかい。ごつい手が手術中にガチャガチャ動く。一見、「何て雑なんだろう」と思うけれど、手術が終わってみると、切除するべきところはちゃんと取っている一方で、大事な血管はきちんと残されている。患者の肺機能に問題があって「20分以内に終わらせられないか」という要望があれば、それにも応えてしまう。一種の芸術みたいなもので、見ていてドキドキしました。今ならば、「スーパードクター」と呼ばれたことは間違いないでしょう。


「この人を目指そう」と心から思いました。一生懸命やった。病院から自宅に帰れるのは週に1回ぐらいでしたが、羽生先生は僕のことをすごくかわいがってくれました。


だけど、外科医としてある程度仕事ができるようになってくると、同期の他の医師たちに劣等感を抱くようになりました。他のみんなは朝から晩まで手術に関する話をして、自らの技量を上げようと懸命になっていたのですが、僕自身はそこまで没頭しきれず、どこかさめていた。


手先は器用だったので、手術を任せてもらえることは多かったのですが、内心では「この手術は成功しても、がんが再発するんだろうなあ」「結局は治らないだろうなあ」と思っていた。「自分が患者だったら、こんな医者には手術してもらいたくない」「外科医には向いていないかもしれない」。真剣にそう悩みました。


がんの治療法としての外科手術についても、「これ以上の進歩の余地はあまりないのでは」と考えていました。確かに年々、患者の負担を減らし安全性を向上させる技術は進歩しています。だけど、「がんの切除」という手術の本質は基本的に変わらないし、その治療効果には限界がある。がんが再発すれば、基本的には手術はできません。


あと10年、20年、外科医として頑張れば、さらに安全に多くの種類の手術をこなせるようになるかもしれない。だけど、その結果として立てる場所は最高でも羽生先生と変わらない。羽生先生にも助けられない命があるし、羽生先生と同じでは満足できない――。


そう考えて93年に留学を決意し、翌年、米国に渡りました。「なぜ留学するのか」。羽生先生にそう尋ねられた時、思っていたことをそのまま話すと、羽生先生は手近にあった紙をくしゃくしゃに丸めて僕に投げつけ、「二度と戻ってくるな!」「行っちまえ!」と叫びました。


NHK衛星第2テレビオープニングスペシャルのキャスター就任の記者会見で笑顔を見せる逸見政孝さん=1989年


羽生先生は93年、テレビキャスターだった逸見政孝さんのスキルス性胃がんの手術も執刀しました。僕は留学の準備中だったので、逸見さんが末期であったにもかかわらず、羽生先生が手術をしてしまった理由はわかりません。僕ならば、おそらくやらない手術です。「なんとかなる」という思いがあったのかもしれません。


米国では2年半、抗がん剤を使う化学療法について研究しました。帰国後はメスを置き、東京女子医大で化学療法や緩和ケアを担当しました。内視鏡治療についても経験を重ねてきました。今の僕なら、初診から術後の回復期、あるいは看取りまで、手術以外はほぼ一貫して患者をみつづけることができます。


羽生先生は後に胆管がんになりました。最初は手術を受けたのですが、再発した時には、先生自ら僕に「オレを診てくれ。全部お前に任せるから」と話し、化学療法を受けました。幸い、治療がうまくいって、一度は元気になられた。学会でも「林はクソ生意気な男で、私の元を離れていったが、今度はこいつに助けられた」と話されていました。2010年に亡くなった時にも、僕が看取りました。この際だから色々聞いておこうと思って、「死ぬのはこわいですか」と聞くと「こわくはない。でも、苦しむのはいやだ」と話されていたことが、印象に残っています。もちろん、緩和ケアで痛みを取るために最善を尽くしました。


10年前ならば、手術の技量や治療内容の病院間の差は、結構ありました。でもここ数年で、がん診療連携拠点病院や専門医による治療は、どこに行ってもほぼ同じになりました。それぞれのがんごとに、関連学会が科学的根拠に基づく治療方針を取り決めた「ガイドライン」をつくり、どの病院でもそれに沿って治療することが求められているからです。


手術の術式も似たり寄ったりで、病院間の死亡率の差も平準化した。少なくともがん治療については、かつての羽生先生のように、飛び抜けた技量を持った医師はほとんどいない、と考えて良いでしょう。


現代の日本のがん医療に必要なのは、「スーパードクター」ではなく、がん治療のさまざまな分野について十分な知識や経験を持ち、病状の回復や進行に合わせて治療の選択肢を示し、患者のガイド役となることができる「がんの総合診療医」ではないでしょうか。


「医者の専門性を高め、役割分担を進める」と言えば聞こえはいいですが、患者にとっては手術、化学療法、放射線治療と、治療法が変わるたびに主治医が変わることを意味します。それでは患者と医師の信頼関係を築くのは難しい。


現実には患者の年齢や希望によって、治療の選択肢は変わります。40歳代なのか、70歳代なのか。「100歳まで生きたい」と思っているのか、「もう十分生きたので、身体的に負担の大きな治療は避けたい」と思っているのか。医学情報に加え、患者の情報や一般常識まで踏まえ、病状の変化に応じて患者に選択肢を示し、アドバイスをするのがプロとしての医者の務めでしょう。


実際にうちの医局出身で、他の病院で働く医師たちは、化学療法も緩和ケアも、地域のかかりつけ医との連携もやっているし、胸水も抜ける。がんが進行して消化管の閉塞を起こしそうな時にも対応できます。


がん治療の様々な面に通じているからこそ、患者と長期にわたり付き合い、信頼関係を築き、治療の最後までガイド役を果たすことができる。そんな「人間的にも優れたブラック・ジャック」こそが、私にとってはがん治療医としての理想像です。


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