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ロシアの流儀

[Part2]自由=混乱の記憶、いつまで 駒木明義(論説委員)


「外出時は、手提げ袋を忘れずに。たまごを見かけたら、必ず買っておいて」


ソ連崩壊から3年後の1994年。モスクワ留学中だった私は、ホームステイ先のご主人からこう言い渡されていた。


物価が1年で3倍に上がるインフレのなかで、警察は腐敗し、凶悪犯罪が横行。多くの家ではなけなしの金をはたいて玄関を鉄製の二重扉にとりかえ、来訪者があるたびに身を震わせていた。


高層ビルを背景に高級車が並ぶ本号の表紙のようなモスクワの光景には、隔世の感を覚える。一方で失われてしまったものもある。例えば、政権に目を光らせるメディアや議会。当時のテレビは、チェチェン戦争で新兵が無残に殺されていく様子を生々しく伝えていた。今のロシアでは、ウクライナやシリアについて、こうした報道は考えられない。


ソ連時代には想像もできなかったような自由をもたらしたのは、ロシアの初代大統領エリツィンだ。ソ連最後の指導者ゴルバチョフはそれに先だって「欧州共通の家」の夢を追い、東西冷戦を終わらせた。


だが不幸なことに今、人々の記憶の中では「自由」と「混乱」が分かちがたく結びついてしまっている。今回取材した人の多くは90年代を「最悪の時代」と振り返り、ソ連時代の「安定」を懐かしんだ。プーチンへの揺るがぬ支持の理由もそこにある。


しかし、そもそも、自由と安定は二律背反ではないはずだ。


プーチンの任期はあと6年。混乱の責任をすべて「外敵」に押しつけて愛国心を高めるようなやり方や、国内の情報を統制するソ連国家保安委員会(KGB)さながらの手法が、いつまでも続くとは限らない。


取材にあたった記者

駒木明義(こまき・あきよし) 1966年生まれ。政治部、国際報道部などを経て現職。モスクワ暮らしは94~95年の会社派遣留学と、2005~08年、13~17年の特派員勤務で計約9年に及ぶ。初の海外旅行先も、学生時代の1990年に訪れた当時のソ連だった。

浅倉拓也(あさくら・たくや) 1971年生まれ。大阪社会部などを経てGLOBE記者。ロシア訪問は初めて。英語が通じなくて困ったが、必ず誰か助けてくれる人が現れた。ロシアの印象はだいぶよくなった。


「同じ森、同じ空気の隣国で フィンランド」に続く) ※5月10日公開予定です。

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