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製薬会社のキャンペーンは是か非か 副作用めぐり社会問題の例も

World Now 更新日: 公開日:
photo:Kodera Hiroyuki

特許切れまでに最大の利益を 

日本でもアメリカでも、新薬の特許期間は出願から原則20年。実際の販売期間はもっと短い。特許が切れれば同一成分でより安価な後発薬が登場し、売り上げは激減してしまう。限られた期間で最大限の利益を得るため、製薬会社の「新薬キャンペーン」は、世界中で日常的に行われている。

よく知られたケースが、抗うつ薬の一種である「選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)」に関するキャンペーンと、それがもたらした影響だ。

SSRIは単一の薬ではなく、同様の効果を持つ複数の抗うつ薬の総称。1980年代末、「従来の抗うつ薬よりも副作用が少なく、軽症の人にも投与できる新薬」として登場し、欧米で急速に普及した。服用すると楽天的な気分になることから、健康な人が飲むことも流行した。

日本では99年に最初のSSRIが販売された。SSRIを製造販売する製薬会社は「うつの症状が出たら迷わずお医者さんへ」というキャンペーンを展開。軽度のうつ状態の人が、精神科や心療内科を受診するケースが激増し、99年に44万人だったうつ病患者は2005年には92万人に増えた。

「SSRIの導入後、製薬会社のキャンペーンにより医師を受診する人が急増し、SSRIの売り上げも急激に伸びる。これは先進国共通の現象だ」。SSRIの副作用について警告してきたイギリス・バンガー大学教授の精神科医デイビッド・ヒーリーはそう指摘する。かつての抗うつ薬の市場規模は小さく、製薬会社にとって魅力的な分野ではなかったが、SSRIと広報キャンペーンの組み合わせは、その状況を一変させた。

だが、日本で急速にSSRIが普及した00年代初頭、既に欧米ではSSRIの一部患者に対する深刻な副作用が明らかになりつつあった。01年にはアメリカの訴訟で、妻と娘と孫を射殺した後に自殺した60歳男性の犯行はSSRIの副作用が原因だったと認定され、製薬会社には640万ドルの損害賠償が命じられた。

09年には日本の厚生労働省もSSRIの添付文書に攻撃性の副作用明記を求めた。

抗うつ薬をめぐるイギリスの論争

イギリスでは現在も、SSRIの副作用についての論議がやまない。

ロンドン在住の映像ドキュメンタリー作家、カティンカ・ブラックフォード・ニューマン(52)は12年、離婚手続きで精神的に疲れ切り、精神科医を受診してSSRIを処方された。

その2日後、彼女は「自分は2人の子供を殺してしまった」という妄想に取りつかれ、ナイフで自分の腕を切りつけた。ニューマンは昨年、自分と同様の体験をした人々の証言を『THE PILL THAT STEALS LIVES(人生を奪う薬)』という本にまとめた。

今年7月には、BBCがアメリカでの銃乱射事件と犯人のSSRI服用との関係を追及するドキュメンタリーを放映。イギリスの製薬企業団体ABPIは「SSRIは大人のうつ病治療で第一選択薬として推奨されている」「番組はSSRIを服用する人やその家族を憂慮させかねない」と反発した。

SSRIの重大な副作用の一つが、薬をやめようとした時に耳鳴りやめまい、焦燥感などに苦しめられる「離脱症状」だ。イタリア・ボローニャ大心理学部教授のジョバンニ・A・ファーバらは15年、SSRIの離脱症状に関する61の論文を再検証した結果、「離脱症状はどんなSSRIにも起こりうる。危険性を完全には排除できない」と結論づけた。

杏林大名誉教授の田島治は東京都内で、SSRIなどの抗うつ薬や抗不安薬を長期間服用し続け、それでも回復しなかったり薬をやめられなかったりする患者を対象とする「はるの・こころみクリニック」を開業している。「現在はSSRIのリスクは臨床医の間でも広く知られているが、かつては薬の必要性が乏しい軽度の患者にも安易に投与された。その一部は今も薬をやめられず苦しんでいる。これは『医原病』と呼ばざるを得ない」と話す。

SSRIは現在も精神科や心療内科で広く処方される。田島も「不安や恐怖感の強い患者が期間を限って服用するなら効果的」とするが、少なくとも気軽に処方されるような薬ではなかったのではないか。日本うつ病学会も現在は「軽症うつ病の治療で安易な薬物投与は避けるべき」とする。

ヒーリーは「製薬企業は常に、患者の健康よりも利潤追求を優先する誘惑にさらされている。SSRIで起きた問題は、他の新薬でも起こりうる」と指摘する。

代表的なSSRIの一つ「パキシル」を製造販売するグラクソ・スミスクライン社は、自社のうつ病キャンペーンについて「より多くの患者が適切な治療にアクセスすることが可能となり、患者数増加の要因のひとつにもなった。大変意義のあるものだった」としている。

なぜ薬の値段は高騰するのか 佐藤健太郎(サイエンスライター)インタビュー

佐藤健太郎氏 photo: Ota Hiroyuki

この十数年で、薬の世界はすっかり様変わりしました。かつて大手製薬企業の売り上げを支えたのは、高血圧やぜんそくなど、多くの人がかかる病気が対象の「ブロックバスター」薬でした。分子量が数百程度の「低分子薬」で、化学工場で低コストで大量生産できます。

しかし、低分子薬の開発は行き詰まっています。かつてのブロックバスター薬の大半は、特許期限が切れて安価なジェネリック薬に市場を奪われ、新薬の治験も失敗続き。現在の売上高上位を占めるのは、分子量数十万のたんぱく質を薬として使う「バイオ医薬品」です。

低分子薬は体の隅々にまで行き渡りますが、バイオ医薬品は大きすぎて細胞の中には入れず、病気に関連する細胞表面のたんぱく質にくっついて作用します。対象となる病気は今のところ、特定のがんやリウマチなどに限られますが、時として劇的な薬効があり、副作用も少ないのが特徴です。

バイオ医薬品は遺伝子組み換えや細胞培養など高コスト技術で製造され、対象患者数も限られるため、薬価は低分子薬と比べ桁違いに高い。特許切れの後も後発薬が作りにくいのも特徴です。

リスクの大きいバイオ医薬品開発で主役となっているのが、小回りが利く米国のベンチャー企業=バイオベンチャーです。欧米の大手製薬企業は有力なバイオベンチャーを買収し、その成果を元に新薬を続々と送り出している。これに対し、低分子薬の開発に固執した日本企業は、完全に乗り遅れた。医薬品の貿易赤字は今や4兆円近くに膨れあがっています。

バイオ医薬品の流れに追いつくのか、何とか低分子薬で巻き返すのか。日本の製薬業界は正念場を迎えています。

 さとう・けんたろう 1970年生まれ。国内製薬企業での創薬研究を経て、2007年サイエンスライターに。著書『創薬科学入門』『医薬品クライシス』など。