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ものづくり生む「ゼロイチ」の発想。街に出たくなる電動車いすで、未来の社会を変えていく。

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
京都・鴨川の川岸にて。就職活動をしていたころ、ここで将来について思案にくれていた。 photo: Semba Satoru

前輪は24個の小さなタイヤを組み合わせてできており、後輪を軸にその場で回転できるほど小回りが利く。四輪駆動で砂利道や7.5センチの段差も越えられる。何より、街行く人に見られると、胸を張りたくなるデザインが心地良い。

「昔、メガネは『ダサい』と思われてたけれど、今はおしゃれでポジティブなものになり、グーグルグラスのような最先端の製品も出てきた。そんな新しい価値を創造していきたい」。社員40人の会社を率いるデザイナー出身の杉江理(34)は言う。

1台約99万円。2014年秋に本格販売を始め、これまでに世界で約800台を売った。昨年はグッドデザイン大賞も受賞。「デザインで社会の課題を解決しようというクリエイターの志の高さ」などが評価された。大企業との提携も進む。パナソニックとは自動走行などの共同開発を進め、NTTドコモとはテーマパークや公共施設での導入拡大に向け手を組んだ。

米国・シリコンバレーでの仕事風景 (本人提供)

本社は米・シリコンバレーにある。杉江が日本にいるのは1年のうち1カ月半程度だ。開発拠点の日本、生産拠点の台湾は共同創業者の内藤淳平(33)と福岡宗明(33)に任せ、もっぱら米国で販売拡大や製品のコンセプト作り、人材確保に集中する。3月には、新モデルが米国で医療機器としての認可を得た。

欧州進出の準備も進めている。「このビジネスを本気でやるには、世界を見ないと。日本だけでは市場が小さすぎる」

自ら発信できる仕事に

小学校からの友人・北村佑三(34)は、杉江について思い出す光景がある。

小学校高学年になり、公道で自転車に乗れるようになる頃のこと。友人たちが子ども用自転車で集まる中、杉江は大人が乗るような紫色のロードバイクで現れた。「小学生はこういうもの、という枠にとらわれない。人に何を言われてもぶれない。自分が良いと思ったものを素直に選ぶやつだった」。そんなマイペースな杉江だが、周りには不思議と友達が集まり、自然とリーダーになっているような子だった。

高校時代、所属していたバスケットボール部の仲間が白血病で死んだ。やんちゃだった友人が、病院のベッドで「学校に行きたい」「体育館に戻りたい」と言っている姿が心に突き刺さった。

「人生に順番なんてない。いつ死ぬか分からない。僕は死ぬときに後悔しないだろうか」。やりたいことをやり、悔いのないように生きようと思った。

大学ではボクシングに熱中したが、卒業後に何がしたいかは定まらないまま就職活動の時期に突入。たまたまセミナーで聞いた日産自動車社員の話に感動した。ものづくりこそ「自ら発信できる仕事」だと感じ、就職浪人をして一からデザインを学び、デザイナーとして日産に入社した。

3年目に転機が訪れる。ペットボトルに別の飲み物を入れて再利用する母親の姿を見て、何度使っても開けやすいペットボトルのフタをデザインしたところ、ある雑貨メーカーが権利の買い取りを申し出てきた。だが、それは社内の副業規定に反することになる。

「大企業ではパーツとしての仕事しかできない。車のランプのデザインは変えられても、タイヤを三つにするのは難しい」。悩んだ末に日産を飛び出し、3日後には中国へ。南京で1年ほど日本語教師をしながら中国語を学んだ後、2年かけてボリビアやラオスなど世界を回った。

旅の中で、再びものづくりへの情熱がわきおこる。「ソニーやトヨタなど、日本製品の性能の高さが日本人への尊敬につながっていた」。ものづくりで世界に影響を与えたい、と改めて思った。

電動車いすにたどり着いたのは偶然だ。共同創業者でソニー出身の内藤、オリンパス出身の福岡らとは元々、課外活動としてものづくりをしていた。そこで開発に取り組んだ一つが車いすだった。

ユーザーとWHILLのテスト走行をする (本人提供)

ユーザーの話を聞きに行き、「100メートル先のコンビニに行くのもあきらめる」という言葉に衝撃を受けた。砂利道や段差が越えられないという機能面に加え、周囲の視線が気になり、外出をためらうのだという。健常者でも乗ってみたくなるデザインと、機能性を兼ね備えた車いすを目指そうと決めた。

11年、試作機を東京モーターショーに出展すると大きな反響があった。望まれていることを実感。消費者に「製品」として届けるために会社をつくった。

創業から1年で米国進出を決めたとき、3人の創業者の中でリードしたのは杉江だった。製品についての話し合いでは、言葉で説明する前にスケッチを描く。「(無から有をつくる)ゼロイチが得意な人間」だと福岡は言う。

「歩道領域のトヨタになる」

京都・鴨川の川岸にて。就職活動をしていたころ、ここで将来について思案にくれていた。 photo: Semba Satoru

だが、独走するタイプの起業家ではない。大変な時は「マジ、きついわ」と素直に言ってしまう。本音と建前の使い分けが必要な場にはなるべく行かない。得意なことと苦手なことがはっきりしていて、それを隠そうともしない。そんな裏表のなさにひかれて仲間が集まり、杉江が苦手な部分を補っている。「彼には『孫力』がある」。祖父母に無条件で愛される孫にちなみ、社内ではそう評価される。

投資ファンドから、1月にWHILLの財務の最高責任者に就いた五宝健治(43)は言う。「普通の経営者は『うちに来たらこんなメリットがある』と誘うが、杉江さんは『これとこれができないから手伝ってくれ』。そして、こちらが『うん』と言うまで絶対にあきらめなかった」

ものづくりはインターネットサービスのような事業に比べ、まとまった資金が必要で、ベンチャーにとってハードルが高い。「日々、きついと感じることは起こるけれど、絶対に何とかなると思っている。僕ね、絵が見えるんですよ」と杉江は言う。未来の街と、そこを走るWHILLの製品ははっきりと描ける。いっぽうで、会社がつぶれるイメージはまったくわかないのだという。

ベンチャー支援を手がける鎌田富久(55)は言う。「インターネットサービスではアメリカが大勝ちした。次に日本発で世界で勝てるのは、確固たる技術を持ったベンチャーだと思う。杉江さんたちはその先頭にいる」

WHILLがいま手がけるのは、主に障害者や高齢者向けの電動車いすだが、杉江がその先に見すえるのは歩道でのすべての人の移動手段だ。

「自動運転などの自動車技術の進化で、近い将来、車という乗り物の位置づけや、歩道と車道の移動方法は劇的に変わると思う。世界中でトヨタの車がたくさん走っているでしょ? WHILLは、歩道領域でのあんな存在になりたい」

(文中敬称略)

即決したのは行動力の5。「アントレプレナー(起業家)って、これが無いとどうにもならないと思っていて」。デザイナーらしく、チャートの形にもこだわった。「もっといびつな形の方がおもしろいんだけどな」。最後まで迷ったのが協調性だ。「俺、あるのかな。話聞いててどうですか?」と記者に逆質問。一度は2をつけたが、数日後、「やっぱ3でお願いします」とのメールが。理由を聞くと「CEOが協調性ないってやばそうだなとw」という正直な答えが返ってきた。

MEMO

バスケットボール…小学校から高校までバスケットボールに熱中。「インターハイに出ることだけが目標」で、高校はバスケの強豪校に進学。レギュラーに定着できず、初めて挫折も味わうが「試合に出られない人はこういう気持ちだったのか」。今まで知らなかった気持ちを知ることができたことは財産だ。

ボクシング…大学では「一人で極められるスポーツを」とボクシングに転向。体育会ボクシング部では副キャプテン。いろんなジムで強い相手を見つけては、「行ってもいいですか」と電話して、スパーリング相手になってもらう、ということを繰り返して強くなった。日産退社後に渡った中国・南京でも地元のボクシングジムに通って現地の人と仲良くなり、語学も磨いた。

文と写真

文・鈴木友里子
1984年生まれ。経済部記者。杉江さんが生まれた静岡県浜松市のお隣、磐田市出身。

写真・仙波理
1965年生まれ。朝日新聞東京本社カメラマン。アフガン、イラク戦争などを取材