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老夫婦の冬と夜明け ロンドンから

Bestsellers 世界の書店から 更新日: 公開日:

ベルファスト出身75歳のベテラン作家、バーナード・マクラヴァーティーが11年ぶりに発表した『Midwinter Break』。タイトルは「冬至の休暇」とも「(人生の)真冬の破局」とも読め、内容を簡潔に表わす。70代の夫婦、ステラとジェリーが旅に出る。子や孫にめぐまれたが、夫のジェリーはアルコール依存症、妻のステラは人生が無意味に終わる恐怖を抱いている。彼女は言う。「残された時間で何かやりたいの、あなたの飲酒を眺めているだけでなく」

舞台は旅先のアムステルダムのホテルとその周辺、期間は週末の数日間。狭く限定された空間で、なんとか妻に気づかれずに酒にありつこうと策を講ずる老人ジェリーの行動はユーモラスだが、まさにそのアルコール依存症が妻ステラの絶望の根っこにある。つめたい言い方をすれば、原因(ジェリー)と結果(ステラ)を異国のホテルに閉じこめてみた観察記ともいえる。

一見殺伐としたテーマだが、印象的なのは詩情とウィットが共存した文章だ。ストーリーの追求以上に、美しい表現に出会いたくてページをめくる久しぶりの読書だった。メニューを読むために二人そろって老眼鏡を取り出すシーン、ひねりつぶしてゴミ箱に捨てたプラスチックの包装が元の形に戻ろうと身をよじる音。そんな俳句のような描写がふんだんにある。

アムステルダムといえば「飾り窓」とアンネ・フランクの家。著者はこの2カ所を効果的に使う。特に、アンネの家でステラが犯す失策は、本書中最も劇的な部分だろう。最終シーンは吹雪に閉ざされたアムステルダム空港。帰国便を待って夜明かしをする二人。薄明のなか、ジェリーはある「奇跡」に気づく。

Gali Honeyman『Eleanor Oliphant is Completely Fine』

舞台はグラスゴー。私語りをする主人公エレノア・オリファントは30歳の独身女性。大学卒業後すぐにデザイナー事務所の経理課に務め、はや9年がたつ。剽軽な語り口でしゃべりちらす導入部のユーモアは、『ブリジット・ジョーンズの日記』に通じるところがある。だが読者は徐々に、彼女のユーモラスなモノローグのなかに寂しさを感じ始める。独身のオフィスレディの暮らしを歌ったポール・マッカートニーの名曲『アナザーデイ』を彷彿とさせる。「ときどき彼女は寂しくてたまらない。ひとり暮らしのアパートで、理想の男性が現われるまで」。

しかし、更に読み進めると小さな異常に気がつく。ひとつめが毎週ウォッカを2リットル空けるらしいこと。ふたつめが言葉遣いのなかにときどきものすごく難しい単語が混じる点。排尿は、まあ普段着でpiss、ちょっとあらたまってもurinateだが、彼女はmicturateなどと書き、アル中ならばせいぜいalcoholicだろうが、彼女はdipsomaniacと書く(どちらも辞書をひいて初めて知った単語です)。

これはいったいなにごとか?となる。軽快に笑わせてくれるユーモア小説かと思って手に取った400ページが急に重たく感じられる。表紙を飾る無邪気なマッチ棒細工もよく見ると、すべて頭が燃えつきているではないか。こうなると、『エレノア・オリファントは絶好調』というタイトルすら怪しげである。

ボーイフレンドは学生時代につきあっていた一人だけ。毎週水曜日に母親に電話をするが、この母親の悪口雑言は辛すぎる。楽しみとしては確かにアルコールしかなさそうなエレノアだが、ある日コンピュータの不調をきっかけにIT課のオタク的男性レイモンドと親しくなる。見た目の冴えないレイモンドは、大変に寛容でやさしい人物だった。彼とエレノアの会話を通して、我々読者は彼女の秘密を少しずつ知ることになる。里親の家を転々とした子ども時代、学生時代のボーイフレンドの異常な暴力。レイモンドの友情のおかげでエレノアの人生は明るい方向へ向かうが、ある日エレナーは「マリアンヌはどこにいるの?」と誰も知らぬ名前を不意に口にする。燃えつきたマッチ棒は、気まぐれな表紙の意匠ではなかったと読者は知ることになる。

2017年コスタ文学賞処女作賞を取った本作品は、出版数日後に映画化が決まったという。しかしこの物語の最大の秘密である「あの部分」はどのように映像化するのだろう、とお節介な私は気を揉んでいる。

Jon McGregor『Reservoir 13』

新しい小説を読むとき、それがどのジャンルに属すかは、事前にわかっていたり読書開始数ページで諒解できたりするものだ。それがいつまでもわからないときっと落ち着かない。顔のない人間とは、たぶんつきあいにくいでしょう?

邦訳すれば『第13貯水池』というタイトルのこの小説、2017年のコスタ文学賞を取ったベストセラーという知識だけで読み始めた。「13歳の少女レベッカが失踪した」という事件を最初のページで知り、ふむふむ殺人事件か誘拐小説だなと思う。村人たちが駆り出され、捜索が始まる。学校での集会、警察の聞き込み。怪しげな人物が何人か浮かびあがる……という運びはお決まりのミステリーである。しかし20ページ読んでも40ページ読んでも犯人は見えてこない。レベッカの姿も消えたままだ。その一方で、つばめが卵を産んだとか、夕闇がせまるなかサギが川面を見つめていた、などという自然描写が頻出する。

そうこうするうちに四季が過ぎて翌年になり、登場人物はぞくぞく増えて数えられなくなる。半分読み進めても謎は解けず、フラストレーションが昂じる。そして何も起こらない。

だが、その辺りで次第に気づき始めるのだ。「レベッカ殺人ないしは誘拐」という標識を脳内にこびりつかせた私は、膨大な数の村人の登場と退場や、彼らの些細な日常と凡庸なふるまいに、異様な注意をはらって読み取っているということに。

スコットランドの伝統楽器バグパイプには終始低い単音を響かせるドローンという部分がある。最近頭上を飛び交うドローン(drone)と語源は同じで、ブンブンうるさく飛び回るミツバチないしはその羽音ことだ。つまり「レベッカ失踪」という情報は本書におけるドローンであり、村の羊の繁殖シーンでも肉屋差し押さえの場面でも、読者の耳元ではそのドローンが鳴り続いているのだ。

ただ、何も起きそうにない悠長なストーリーのなかで、レベッカと同い年の男女生徒5人の動静は気にかかる。そのうちの一人はレベッカと深い仲だったという。だがなかなか解決の糸が見えぬまま(見せぬまま?)、それぞれ心に疑いと秘密をかかえたまま、村人たちの暮らしは続く。5年、10年と。

何も起きないではないか、という不満はあるだろうが、何も起きないまま引っ張り続け、結局は読者を村人一人ひとりの内面に引きずり込んでしまう筆力のすごさを認めないわけにはいかない(それがドローン効果のおかげであっても)。本書の文章は今回の3冊のなかで最も詩に近く、美しい。静かにたたみかける文章には匂いがあり、周囲にふくよかな空気をまとっている。『Eleanor Oliphant is Completely Fine』の文体とは好対照だ。実験的な本作品は映画化を拒絶する作品だろうと思う。だが、映像化不可能とは文学としての勲章ではあるまいか。

英国のベストセラー(ペーパーバック・フィクション部門)

2月10日付 The Times紙より

1 Eleanor Oliphant is Completely Fine

Gail Honeyman ゲイル・ハニーマン

寂しい一人暮らしのエレナーの人生が変わる。だが最後に明かされる秘密は。

2 Reservoir 13

Jon McGregor ジョン・マグレガー

山あいの無名の村で少女が失踪する。糸口なきまま坦々と歳月が経過する。

3 Midwinter Break

Bernard MacLaverty バーナード・マクラヴァーティ

師走、70歳代の夫婦がアムステルダムへ旅をし、人生の意味を問う。

4 Lullaby

Leila Slimani ライラ・スリマニ

原書仏語。若夫婦の家庭にやってきた子守役のルイーズ。その正体は?

5 Camino Island

John Grisham ジョン・グリシャム

プリンストン大学の図書館からフィッツジェラルドの手書原稿が盗まれた。

6 Defectors

Joseph Kanon ジョセフ・カノン

60年代のモスクワに亡命したCIA職員。彼が持ち込んだ秘密に西側は震撼する。

7 Sirens

Joseph Nox ジョセフ・ノックス

マンチェスター出身作家の第一作。犯罪組織ザイン・カーヴァーへの侵入。

8 The Seagull

Ann Cleeves アン・クリーヴス

ヴェラ・スタンホープ シリーズの第8作。旧敵の元刑事を監獄に訪ねる。

9 How to Stop Time

Matt Haig マット・ヘイグ

主人公のトムは40歳くらいにしか見えないが、実は400年前に生まれていた。

10 The Girl Before

JP Delaney JP・デレーニー

ジェーンが借りたアパートでは、前の賃借人エマが不可解な死を遂げていた。