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世界の書店から

老夫婦の冬と夜明け

[第222回]園部哲 翻訳者

Photo:Toyama Toshiki

短期間に数冊の本を読むために三刀流でいくことがある。外出時は電子ブック、散歩のときはオーディオブック、机に向かったときは紙の本。オーディオブックでは著者の出身地に合わせて朗読役を採用することがあり、とろりと甘いアイリッシュ、日本の東北訛りに若干似つつキリリと勇ましいスコティッシュ、ピンピンはねあがるイースト・ロンドンのアクセント、となかなか楽しい。粒よりの小説が多い今回はすばらしい朗読にめぐまれた月でもあり、ここで取りあげる作品にもアイルランド人俳優によるなめらかなバターのような朗読が用意されていた。


ベルファスト出身75歳のベテラン作家、バーナード・マクラヴァーティーが11年ぶりに発表した『Midwinter Break』。タイトルは「冬至の休暇」とも「(人生の)真冬の破局」とも読め、内容を簡潔に表わす。70代の夫婦、ステラとジェリーが旅に出る。子や孫にめぐまれたが、夫のジェリーはアルコール依存症、妻のステラは人生が無意味に終わる恐怖を抱いている。彼女は言う。「残された時間で何かやりたいの、あなたの飲酒を眺めているだけでなく」


舞台は旅先のアムステルダムのホテルとその周辺、期間は週末の数日間。狭く限定された空間で、なんとか妻に気づかれずに酒にありつこうと策を講ずる老人ジェリーの行動はユーモラスだが、まさにそのアルコール依存症が妻ステラの絶望の根っこにある。つめたい言い方をすれば、原因(ジェリー)と結果(ステラ)を異国のホテルに閉じこめてみた観察記ともいえる。


一見殺伐としたテーマだが、印象的なのは詩情とウィットが共存した文章だ。ストーリーの追求以上に、美しい表現に出会いたくてページをめくる久しぶりの読書だった。メニューを読むために二人そろって老眼鏡を取り出すシーン、ひねりつぶしてゴミ箱に捨てたプラスチックの包装が元の形に戻ろうと身をよじる音。そんな俳句のような描写がふんだんにある。


アムステルダムといえば「飾り窓」とアンネ・フランクの家。著者はこの2カ所を効果的に使う。特に、アンネの家でステラが犯す失策は、本書中最も劇的な部分だろう。最終シーンは吹雪に閉ざされたアムステルダム空港。帰国便を待って夜明かしをする二人。薄明のなか、ジェリーはある「奇跡」に気づく。



(次ページへ続く)

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