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なんと「510時間までなら無料」 豪州の移民向け英語プログラムとは

バイリンガルの作り方~移民社会・豪州より~ 更新日: 公開日:
AMEP の上級コースの生徒たち。アジアと中東の出身者が多い=いずれも、シドニー西部の英語学校Navitas(ナビタス)のバンクスタウン校、小暮哲夫撮影

教室で大人の生徒たちが、英語であいさつの練習をしている。

先生 “Nice to see you”(初めまして)
生徒たち It is good to see you” (初めまして)
先生「それでは、I have to go now(おいとましないといけません) だったら?」
生徒たち “See you later” “OK, Bye”(また会いましょう、さようなら)
先生 「“Catch you later”でもいいですよ」

「次は、話す練習をしましょう。Please stand up」

先生が身ぶりを使いながら、生徒たちを廊下に出していすを並べさせる。いすに座った半数の生徒たちに、残りの半分の生徒たちが移動しながら、あいさつをする。相手の生徒はそれに応じてあいさつを返す。こんな一対一のやりとりの練習を繰り返す。

先生の指示がわからない人のために、アラビア語の補助スタッフが先生の言葉を訳して伝えることも。あいさつのやりとりにメロディーをつけて歌う練習もあった。

AMEP で初心者向けコースで学ぶ生徒たち

毎年、6万人が利用

シドニー西部、英語学校「ナビタス(Navitas)」のバンクスタウン校。レベッカ・メイアー先生が教えていた19人の出身地は、中国、ベトナム、イラク、シリアなど様々だ。

ここは、豪政府の成人移民英語プログラム(AMEP)の教室だ。AMEPでは、移民としてやってきて5年以内の18歳以上の人たちが、510時間まで無料で英語を学べる。「4人に1人が外国生まれ」の豪州ならではのプログラムと言える。政府によると、年間の予算は2億6千万豪㌦(約200億円)で、毎年6万人が、国内270カ所で開設されている教室で学んでいる。ナビタスは、政府に指定されたAMEPの提供機関の一つだ。

冒頭のやりとりを見て、かなりやさしい英語、と思われた方も多いだろう。この教室は、4段階あるコースで最も下の「プレ1」と呼ばれる初心者向けだ。バンクスタウン校でAMEPを担当するアーロン・コーフィールドさんが「アルファベットや、英語での数の数え方を知らないような人向けです。紛争地から難民としてやってきた人たちには、そもそも母語でも読み書きができない人もいる。つづりと発音、基本のあいさつなどから、何度も繰り返して学んでいきます」と説明した。

AMEPの初心者向けコースには、基本単語の中国語、ベトナム語、アラビア語での説明書きもあった

生徒たちは平日の午前中から昼過ぎまで1日5時間、週20時間学ぶ。1学期が10週間なので、510時間は「2学期半」に相当する。子どもがいる生徒たちも多く、開講時期は、同じように「10週間×4」の年4学期制の公立の小中高校と合わせてある。バンクスタウン校のAMEPコースで学ぶのは、約300人。若い世代が多い留学生と違い、年齢層は幅広い。最高齢は77歳の女性だという。

暮らしに必要な英語を学ぶ

民間の英語学校であるナビタスが提供しているほかの留学生向けのコースとの大きな違いは、豪州に定住をする際の日々の暮らしで必要な内容に重点が置かれていることだ。たとえば――

●シドニー版の「Suica(スイカ)」と言える電車やバスに乗るためのプリぺードカード「Opal(オパール)カード」。どう入手する?
●公立図書館の登録はどうしたらできる?
●携帯電話の請求書の読み方は?
●どうやって病院の予約をするの?

英語ができない人にとっては、これらの一つ一つが大変だからだ。

510時間を学び終わると、全く英語を知らなかった生徒たちの多くが、こんなやりとりを、単語を並べるのではなく、英語の文章にして使えるようになるという。そして、個別の事情に応じて、さらにレッスンが必要だと判断されれば、さらに、最大490時間、無料で学ぶことができる。

校内の廊下にはベビーカーや託児スペースも。子どもがいる移民の生徒向けだ

上級は「就職向け実践コース」

最上級のレベル3(上級コース)のクラスものぞいてみた。

「ここでは、豪州で仕事に就くことに焦点を当てています」とナビタスのAMEPコースの責任者、スティーブン・アンドレスさん。10週間のコースの2週目に入ったこの日のテーマは、まさに「豪州で働くということ」。イレナ・カスル先生が、配布した10ページのプリントの説明を始めた。

プリントには、employ (雇う)、 employer (雇用主)、 employee(従業員)、 unemployment (失業)といった基本的な単語から、permanent (正規雇用)、casual(雇用主の必要なときだけ働く)などの雇用形態、parental leave (育児休暇)にbereavement leave (服喪休暇)まで、働くなかで出てくる表現が並んでいる。

豪州での典型的なpayslip(給料明細)の読み方の解説もある。たとえば、明細にはsuperannuationといった単語が出てくる。雇用主が給与額に応じて従業員向けに積み立てる退職年金のことを豪州では「スーパー年金」と呼ぶのだ。

産業を表す表現も確認していく。「hospitality は病院ではないですよ。レストランとかカフェとかホテル、観光業などを指しますね」

授業では、こんな内容をリスニング教材も交えて学ぶ。後日、授業が進んでいくと、就職向けの模擬面接や履歴書や応募書類の書き方も指導するという。

AMEP の上級(レベル3)コース。訪れた5月7日、イレナ・カスル先生(右)が「豪州で働く」のテーマで教えていた

これに加えて、510時間の4分の3を学び終わった生徒は、別に設けられている200時間の無料の就職訓練コースに移ることもできる。ナビタスでは、保育と小売業の分野でコースを開設。200時間のうち40時間は学校の外で職場体験ができるというから、さらに実践的だ。

教室にいた12人は、中国、ベトナム、フィリピンのほか、エジプト、レバノン、パキスタン、バングラなど。アフガニスタンから来た男性は紛争地から逃れてきた難民だという。

母国では、学位や資格を持って専門的な仕事についていた人も多く、「アルファベットもわからない」という人たちはいない。先生の話す内容も理解している様子がうかがえ、質問にも、すぐに生徒たちから反応が返ってくる。

先生「private とpublicのセクターの違いは何ですか」
生徒「publicは政府で働くことです」
先生「みなさんの母国ではどんなふうに仕事を探しますか」
女性「新聞の求人を見て、電話します。必ずしも履歴書は書きません」
男性「人づてに仕事の空きを聞いて」
先生「それはword of mouth(口コミ) と言いますね」

「オージーと結婚で移住」の生徒も

上級コースの生徒のうち3人に話をうかがった。

マゼン・サラメさん(31)はレバノン出身。レバノンでは、結婚式用のカメラマンで、自分のスタジオを持っていたが、豪州の女性と結婚。今年2月に豪州にきた。中級コースに3週間通い、上級コースに移った。母語はアラビア語で、「来た時は英語で話そうとしても恥ずかしかった。でも、かなり慣れてきた。語彙も増えてきたので」と振り返る。

AMEPのコースで身につけたいのは「文法です。専門職についてふさわしい英語を話すのに大切だと思う」。豪州でも写真スタジオを開くのが夢だが、それまでには「建設現場でも交通整理の仕事でも働きたい。働けば人脈ができ、お金も貯められる」。

マリベル・アウンさん(35)はフィリピン出身。18年5月に豪州に来た。アウンさんも移住の理由も、母国で出会った豪州人の男性と結婚したことだ。豪州に来るまでは、医院で事務職をしていた。フィリピン人は英語が得意ではと感じるが、第一言語はタガログ語だと、「文法を学び、熟語を覚えて、正しい発音も身につけたい。高齢者ケアの仕事に就きたいので」。AMEPを修了後は、職業カレッジ(TAFE)で資格を取りたいという。

アイリーン・ザパンタさん(40)もフィリピン出身。やはり、豪州の男性と結婚して移住。今年3月からAMEPに通い始めた。フィリピンでは理学療法士として働いていて、シドニーでも職業カレッジで似た資格を取ろうと考えた。「私にはそのための準備になっている」。フィリピンでも患者の施術記録は英語で書いていたが、「書き方も違いますし」と言う。

インタビューに応じてくれた(左から)マゼン・サラメさん、マリベル・アウンさん、アイリーン・ザパンタさん。3人とも豪州人と結婚して移住した

友人づくりの第一歩

学校には、移民としての今後の進路を相談するアドバイザーがいて、1学期ごとに個別に面接。それぞれがどんな目標を持っているか、英語ではどんな面を上達させたいかなどを尋ね、それぞれのニーズに応じて、アドバイスをするという。

面接の中では生徒たちの日々の「困りごと」も出てくる。英語を学ぶ、ということだけではなく、保健や医療など行政や地域の様々な支援サービスを紹介することもある。「とくに、難民たちには精神的なトラウマを持っている人が多いので」(コーフィールドさん)

英語学校Navitas(ナビタス) の移民向け英語プログラムAMEP の担当者、スティーブン・アンドレスさん(左)とアーロン・コーフィールドさん

知人や身寄りが少なく、最初は言葉の壁のある移民たちにとっては、ここが出会いの場にもなっている。

あるクラスの女性の生徒は、教室で唯一のイラン出身だった。中国人女性たちがひょんなことから、彼女を自分たちのグループに引き入れた。その後は、みんなでランチを食べたり、学校の外でも中華料理の作り方を教えたり、遊びに出かけたりと、とても仲良くなった――。アンドレスさんがこんなエピソードを紹介してくれた。